インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

雅太の叫び

2015-02-26 20:11:04 | 身の回り
  雅太は小説家を志望していたわけだが、最近、とんと興味は消えうせていた。不惑を過ぎてくると、さすがにフィクション小説という妄想の世界に浸ることに、抵抗が出てきたのかもしれぬ。できるだけノンフィクションに近い文章を志すようになる、つまりこのブログがその一例かもしれぬ。妄想よりも、リアルな夢の出来事をそのまま綴った方が、自分自身に忠実であるし、害は少ないし、自他ともに感動を引き寄せることができるのではなかろうか。

 というわけで、雅太は最近、等身大で特殊なテーマの物語を綴り始めた。完成していないから何とも言えぬが、もはや面白ければ何でもありなのである。材料はそろい、年数がたち、頭の中で発酵している。雅太は書きながら、自分自身を壊していく。ブレイキングバッドに影響されているのかもしれぬ。まさに化学教師宇ウォルター・ホワイトが、麻薬を作るがごとき感じで、雅太も原稿を書いているのだろうか。麻薬のクオリティーが高ければ、需要は伸びていくわけで、ひょっとしたら恐ろしいものを作らんとしているのかもしれぬ、と雅太は思うこともあった。

 たかが原稿だ、とはいえ、ある種の文章は、人間を揺さぶり、破壊していくだけの力を持ているかもしれぬ。強烈に、より強烈にインパクトのあることに、はまっているのは書き手なのだが、それに読み手が同化してしまうと、蟻地獄のごとき引きずり込まれていく。ふつうは拒絶するのであるが、テーマやら書き出し次第では、持て行かれてしまうのである。

 多くの本は、理性的な人間に働きかけているのだが、中にはカスタネダのように、もう一人の人間に働きかけているような本もある。それはうごめく芋虫たちに、蝶になるように誘っているのかもしれぬ。『コンセント』とかもある意味、主人公がそういう風に変化していくわけで、自分を壊すための原稿だったのかもしれぬ。カスタネダに言わせれば、集合点の移動、精霊の来訪、ナワールに触れた、ということになるのか。

 文章といえば、このブログはどうなのか。果たしてもう一人の自分に働きかけているのか。
 あなたよ、一体どこにいる? いや、あなたがこれを書かせているのか?
 ただ今、この瞬間、ちらっと現れた?

 みんな自分の知覚の壁を壊すために、酒を飲んだり、本を読んだり、踊ったり、音楽をガンガン聞いたりするわけで、
 雅太にとっては書くことがその一環なのかもしれぬ。キーボードをたたくその姿は、まさに芋虫が蠢いているのだ!
 いつか蝶にならんと蠢く、指先がもがき、「おお、イーグルよ!」と天に向かって叫んでいるのである。

 イーグルが雅太に見せているのは、今、8年目にして、ブログがこんなになってしまったということだった。

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1 コメント

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紹介 (言霊百神)
2015-02-27 20:10:20
百花繚乱 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/
おほもと http://www.oomoto.or.jp/
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