インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

鈴虫が鳴いている…

2008-08-25 21:04:33 | 映画や小説、テレビなど
今32度あるが、朝方は28度を下回ることもあり、違和感を感じ始めた。季節の変わり目は、体調を崩すが、脳みその中も崩れていく。

なぜインディオ通信などツマラヌブログを更新しているのか? 誰かが読んでいるからだろうが、その誰かをそんなに意識しているわけでもない。暇だから書くのかもしれないが、「こんなことをしている場合ではない」と心の奥で叫んでいる。

鈴虫の音色が美しい。お茶を啜って、手帳を眺める。大分から広島に移住するのは成功した。運が良かった。これでいい会社に巡り合えば言うことはないが、世の中、そんなに甘くはないだろう。人材は余っているのだから。

自分にしか出来ないことを仕事にしたら、成功するには違いない。そこで自己分析が必要になる。自分はかなり個が強い(個性的である?)といえる。だから個性を強く発揮できるような仕事に向いているだろうが、会社は自分を殺さなければならない。会社にとって社員はトラックやパソコンと同じように利益を上げるための材料(人材)にすぎないのだから。

しかし個性が強いといっても、大したことはないのかもしれない。
ブログで皆面白いことを書いているし、なにせネット(アルファポリスなど)では小説が満ち溢れている。『インディオ通信』も最近アクセスがやや低迷気味である。小説『蛇のスカート』にしてもファンタジー部門で100位以内にすら入らない。ブログにしても、小説にしても、風変わりで興味深いものは沢山あり、好む好まないは人それぞれである。

自分にしか出来ないことは、「社会にとって必要かどうか」で判断されるべきなのかもしれない。『インディオ通信』が社会にとって必要かどうか…これはかなり怪しいものである(この負け組通信を勝ち組が読んでいるようには思われない)。小説『蛇のスカート』にしても、いや、これは娯楽品として読み手が存在するのではないか、と思うが、果たして対価を支払ってまで読む人間が存在するか? これが重要であろう。ただの小説には、何か有り難味が欠ける…(名実ともに価値がない)。
 …こうやってグダグダ考えても、何も生まれて来んわい


 小説『蛇のスカート』 (少数の支持者に感謝

  


 小説『桜の木に集う鳥たち』 (少数の支持者の力で1千票へ) 

  


  blog『インディオ通信』 (社会的に必要か?) 

  

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