本屋へ行けば、今をときめく『天使と悪魔』が激しく売り出されている。だいぶ前(2003年末)に発行されたのであるが、映画化されTV宣伝が酷いので、これを見ている方で、読んだ方もおられると思われる。
インディオは、インディアンには興味があるが、キリスト教世界やバチカン(~神に捧げられた国~)などには大して関心がない。
しかし先月bookoffで綺麗なハードカバーがたった100円で売ってあったので読んでみた。
ミステリーとしては?だが、テーマが素晴らしい。宗教と科学。最初に殺害されたセルンの反物質爆弾?の発明者レオナルドはこれを融合しようと目論んでいたようだ。実際、かつて科学とは神への道と考えられていた。
きっと村上陽一郎先生は喜んでおられるでしょう社会の中の科学 品格ある教養者たれ
ほかにこんな記事も→自然科学に潜む理神論
著者(ダン・ブラウン)の信仰心が厚いのかスピリチュアルな内容で、心に響く文章が幾つもあった。それがバチカン側(特にカメルレンゴ)の口を通して語られている。
たとえば、シャルトラン(スイス衛兵隊少尉)は、カルロ・ヴェントスカ(カメルレンゴ:前教皇侍従)に、なぜ全能で慈悲深い神が人類に飢餓や戦争、病気などを未然に防いでくれないのか尋ねると、
(神と人類を親子関係にたとえた後)カメルレンゴは微笑んだ。「つまり、口出しして子供の苦痛を未然に防ぐ力をたとえ持っていても、愛すればこそ、子供に体験から学ばせることを選ぶのですね」
さらにカメルレンゴは「人々の魂に直接語りかける現実主義者」として、全世界に向かって語るのである(長いので小説を読みましょう 映画でも叫ぶのか?)
「これだけは信じなければなりません。主としての人類が自分たちより偉大な力への信頼を放棄する時は、おのれの行為への責任感をも放棄するのです。信仰とは…あらゆる信仰とは…この世には人間の理解を超えた偉大な存在があり、わたくしたちはその存在に対して責任を負っているということの戒めなのです…」
ラビバトラの神の教育やら、シルバーバーチの霊訓を思い出す。
新型ウイルスやら地球温暖化やら、人間の理性、科学の力ではどうしようもなくなってくると、偉大なる存在に、ただ平伏すしかなくなるのかもしれない。
信仰について考える小説『天使と悪魔』。総じて良い小説だったが、薀蓄というか、衒学的過ぎて読みにくかった。
随所に文学的表現がある(原書はかなり難しいのか?)。また、視点がころころ変りすぎる。主人公はラングドン(ハーバード大教授)だが、ハサシン(殺人鬼)、ヴィットリア(女性科学者)までならともかく、TVレポーター、兵隊やパイロットにまで移すのはいかがなものか(いや、映画化されるのを念頭においているのか)。
狙いはやはり、キリスト教読者受けと映画化ですか(まさかイタリア観光も?)
しかし薀蓄について行けるか(コンクラーベ小説と根競べ)
この小説を契機に、興味を持って、クリスチャンが増えるかもしれない
先週の土曜、TBSの世界不思議発見で、バチカンの映像が長々とやっていたし…(映画公開前に、ネタをばらしてどうする!)
インディオは、インディアンには興味があるが、キリスト教世界やバチカン(~神に捧げられた国~)などには大して関心がない。
しかし先月bookoffで綺麗なハードカバーがたった100円で売ってあったので読んでみた。
ミステリーとしては?だが、テーマが素晴らしい。宗教と科学。最初に殺害されたセルンの反物質爆弾?の発明者レオナルドはこれを融合しようと目論んでいたようだ。実際、かつて科学とは神への道と考えられていた。
きっと村上陽一郎先生は喜んでおられるでしょう社会の中の科学 品格ある教養者たれ
ほかにこんな記事も→自然科学に潜む理神論
著者(ダン・ブラウン)の信仰心が厚いのかスピリチュアルな内容で、心に響く文章が幾つもあった。それがバチカン側(特にカメルレンゴ)の口を通して語られている。
たとえば、シャルトラン(スイス衛兵隊少尉)は、カルロ・ヴェントスカ(カメルレンゴ:前教皇侍従)に、なぜ全能で慈悲深い神が人類に飢餓や戦争、病気などを未然に防いでくれないのか尋ねると、
(神と人類を親子関係にたとえた後)カメルレンゴは微笑んだ。「つまり、口出しして子供の苦痛を未然に防ぐ力をたとえ持っていても、愛すればこそ、子供に体験から学ばせることを選ぶのですね」
さらにカメルレンゴは「人々の魂に直接語りかける現実主義者」として、全世界に向かって語るのである(長いので小説を読みましょう 映画でも叫ぶのか?)
「これだけは信じなければなりません。主としての人類が自分たちより偉大な力への信頼を放棄する時は、おのれの行為への責任感をも放棄するのです。信仰とは…あらゆる信仰とは…この世には人間の理解を超えた偉大な存在があり、わたくしたちはその存在に対して責任を負っているということの戒めなのです…」
ラビバトラの神の教育やら、シルバーバーチの霊訓を思い出す。
新型ウイルスやら地球温暖化やら、人間の理性、科学の力ではどうしようもなくなってくると、偉大なる存在に、ただ平伏すしかなくなるのかもしれない。
信仰について考える小説『天使と悪魔』。総じて良い小説だったが、薀蓄というか、衒学的過ぎて読みにくかった。
随所に文学的表現がある(原書はかなり難しいのか?)。また、視点がころころ変りすぎる。主人公はラングドン(ハーバード大教授)だが、ハサシン(殺人鬼)、ヴィットリア(女性科学者)までならともかく、TVレポーター、兵隊やパイロットにまで移すのはいかがなものか(いや、映画化されるのを念頭においているのか)。
狙いはやはり、キリスト教読者受けと映画化ですか(まさかイタリア観光も?)
しかし薀蓄について行けるか(コンクラーベ小説と根競べ)
この小説を契機に、興味を持って、クリスチャンが増えるかもしれない
先週の土曜、TBSの世界不思議発見で、バチカンの映像が長々とやっていたし…(映画公開前に、ネタをばらしてどうする!)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます