ニーチェも正義の味方が気に食わんらしい。
ツアラトゥストラでかく語る、(岩波の下巻p122)
おお、わが兄妹たちよ!どういう人のところに、人間の未来を脅かす最大の危険がひそんでいるのか?それは「善くて義しい人」たちのもとにではなかろうか?
「我々は何が善であり、何が正義かをとっくに知っている。そして実際にそれを身につけている。いまだそうしたものを探し求める者は、わざわいなるかな!」こう彼らは言い、心中に感じている。
悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。また、現世の誹謗者がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
おお、わが兄妹たちよ、その昔、「彼らはパリサイ人だ」と述べた人は、「善くて義しい者」の本心を見ぬいた人であった。しかし、人々はかの人を理解しなかった。
「善くて義しい人」たち自身が、彼を理解するわけもなかった。彼らの精神は、その安らかな良心のなかに囚えられているからだ。善人たちの愚かさは、究めがたく利口にできている。
しかし、真実のところはこうである。善人たちはいやでもパリサイ人たらざるをえないということ。――かれらには選択の余地がない!
善人たちは、独自の道徳を創りだす者を十字架にかけざるをえない!これが真実なのである!
かれらの国、つまり「善くて義しい人」たちの生国と性根と風土を発見した
もう一人の者、その第二の者は、つぎのように尋ねた。「彼らは誰を最も憎むのか?」
彼らは、”創造する者”をこそ、最も憎悪するのである。石の板を壊し、古い価値を壊す者、破壊する者を――彼らは犯罪者と呼ぶ。
というのは、善人は創造できないからである。かれらは常に「終りのはじまり」である――
――かれらは新しい価値を新しい板に描く者を十字架に掛ける。かれらは”おのれのため”に未来を犠牲にする。――かれらは一切の人類の未来を十字架にかけてしまう!
善人たち――かれらは常に「終りのはじまり」であった。――
インディオなりに解釈するに、現代人(=善人?)は創造できないが、古代人(=悪人?)は創造できた、ってか。独自の道徳を(とんでもない道徳だが…)。
ツアラトゥストラでかく語る、(岩波の下巻p122)
おお、わが兄妹たちよ!どういう人のところに、人間の未来を脅かす最大の危険がひそんでいるのか?それは「善くて義しい人」たちのもとにではなかろうか?
「我々は何が善であり、何が正義かをとっくに知っている。そして実際にそれを身につけている。いまだそうしたものを探し求める者は、わざわいなるかな!」こう彼らは言い、心中に感じている。
悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。また、現世の誹謗者がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
おお、わが兄妹たちよ、その昔、「彼らはパリサイ人だ」と述べた人は、「善くて義しい者」の本心を見ぬいた人であった。しかし、人々はかの人を理解しなかった。
「善くて義しい人」たち自身が、彼を理解するわけもなかった。彼らの精神は、その安らかな良心のなかに囚えられているからだ。善人たちの愚かさは、究めがたく利口にできている。
しかし、真実のところはこうである。善人たちはいやでもパリサイ人たらざるをえないということ。――かれらには選択の余地がない!
善人たちは、独自の道徳を創りだす者を十字架にかけざるをえない!これが真実なのである!
かれらの国、つまり「善くて義しい人」たちの生国と性根と風土を発見した
もう一人の者、その第二の者は、つぎのように尋ねた。「彼らは誰を最も憎むのか?」
彼らは、”創造する者”をこそ、最も憎悪するのである。石の板を壊し、古い価値を壊す者、破壊する者を――彼らは犯罪者と呼ぶ。
というのは、善人は創造できないからである。かれらは常に「終りのはじまり」である――
――かれらは新しい価値を新しい板に描く者を十字架に掛ける。かれらは”おのれのため”に未来を犠牲にする。――かれらは一切の人類の未来を十字架にかけてしまう!
善人たち――かれらは常に「終りのはじまり」であった。――
インディオなりに解釈するに、現代人(=善人?)は創造できないが、古代人(=悪人?)は創造できた、ってか。独自の道徳を(とんでもない道徳だが…)。
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