田口ランディ『コンセント』
↓
発狂寸前シャーマン
↓
ニーチェ『ツアラトゥストラはかく語りき』
と、尻取り式に来たので、
次は音楽か。
インディオはニーチェが作曲したピアノのCDを持っている。
内容は、?(なんか不慣れな感じ)である。
やはり、ニーチェを読みながら、「ワーグナー」を聴くのが常道であろう。
(『わが闘争』を読みながらか?)
すると、ニーチェの世界が見えて…、こない。
やはりシュトラウスを聴くべきか。
交響詩ツアラトゥストラはかく語りき
すると「超人」が見えてくる。
ニーチェ(いや、ツアラトゥストラ)いわく、
「私はあなた方に超人を教えよう。人間とは克服されなければならない或る物なのだ。あなた方は人間を克服するために、何をしたというのか?・・・・・
人間から見れば、猿は何だろう? 哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずだ。・・・・・
超人は大地の意義なのだ。・・・・・・
わが兄弟たちよ、私はあなた方に切願する。大地に忠実であれ、そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな、と。彼らは、自らそれと知ろうが知るまいが、毒を盛る者達なのだ。
彼らは生命の軽蔑者だ。大地の方で飽き飽きしている死に損ないの。・・・・・」
読んでいるうちに、何か「超人=古代メキシコの呪術師(≒ドン・ファン?)」がイメージされてならない。
インドのヨガ行者、日本の山岳修行者なども、人間を克服?しようとして、身体に刺激を与えているのだろう(か)。
かくしてインディオは『呪術の実践』という書物を、開いてみるのであった。
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発狂寸前シャーマン
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ニーチェ『ツアラトゥストラはかく語りき』
と、尻取り式に来たので、
次は音楽か。
インディオはニーチェが作曲したピアノのCDを持っている。
内容は、?(なんか不慣れな感じ)である。
やはり、ニーチェを読みながら、「ワーグナー」を聴くのが常道であろう。
(『わが闘争』を読みながらか?)
すると、ニーチェの世界が見えて…、こない。
やはりシュトラウスを聴くべきか。
交響詩ツアラトゥストラはかく語りき
すると「超人」が見えてくる。
ニーチェ(いや、ツアラトゥストラ)いわく、
「私はあなた方に超人を教えよう。人間とは克服されなければならない或る物なのだ。あなた方は人間を克服するために、何をしたというのか?・・・・・
人間から見れば、猿は何だろう? 哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずだ。・・・・・
超人は大地の意義なのだ。・・・・・・
わが兄弟たちよ、私はあなた方に切願する。大地に忠実であれ、そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな、と。彼らは、自らそれと知ろうが知るまいが、毒を盛る者達なのだ。
彼らは生命の軽蔑者だ。大地の方で飽き飽きしている死に損ないの。・・・・・」
読んでいるうちに、何か「超人=古代メキシコの呪術師(≒ドン・ファン?)」がイメージされてならない。
インドのヨガ行者、日本の山岳修行者なども、人間を克服?しようとして、身体に刺激を与えているのだろう(か)。
かくしてインディオは『呪術の実践』という書物を、開いてみるのであった。
ニーチェは作曲したことがあるんですか?
それは知りませんでした。
情熱的なんでしょうか。
クラシック評論は苦手ですので、
今聴いて判断しています。
シューマンか? いや、ブラーム? ひょっとしてショパンに近いかも、知れません。
喜山さん、これからもよろしくお願いします(なかなか趣向が合っているのでは…)。