人間は人生を楽しむために生まれてきたというより、転生して経験するために生まれてきたという説がある。宗教の世界なのであるが、前世からのカルマを引き継ぎ、それを刈り取ったり、発展させたりするために、地上界に送り込まれたというのだ。
偶然というものは存在せず、自分に関わるあらゆる行為やら結果は、前世からの自業自得であるとするのだ。前世はともかく、現世はかなり自業自得な面が多すぎるので、その通りかもしれない。
ただ現世を決定づけるのは、出生環境やらパーソナリティーであるといっても良いほど、「初期設定」のパワーがあまりにも大きすぎるので、そこをどう説明するかといえば、やはり前世か何かによらなければならないのかもしれない。
本来、今すぐに、生き方やら行為というのは変えられるのであるが、それがなかなか出来ない。それは若かろうが、年をとろうが、関係ない。。頑固な人間がそう簡単に言うことを聞かないのと同じで、自分で痛い目に遭うなりして「気づく」しかないわけだ。
ただニコチン中毒者と同じで、「タバコは体に悪いからやめた方が良い」と気づいたところで、実行しなければ意味がない。癌になるとか肉体がとてつもなく苦しい目にあって、初めてやめられるのかもしれない(手遅れであるが)。
根本問題として、人間というものは他人から忠告されたくらいでは自分の問題を修正できない。自分の問題は自分で修正するしかないということだ(ということは、直接的には注意しないほうがいいということか)。
もっとも問題のない人間はこの世に一人もいないわけで、問題だから人間として生まれてきたのかもしれない。問題を解決しろ→ 転生→ 未解決で死ぬ(どころか問題を増やす)→ 転生→ … この連続なのか。 ということは、永遠に解決できないということなのか。
いや、人間には途方もない潜在能力が隠されているから、きっと解決できるに違いない。ただそれをやる状況まで追い込まれていないだけなのだ。これまで自分の人生を振り返ってみて、恵まれた状況よりも、もうどうしようもなく疲れ、ボロボロになって歩いていたりする方が、精神的に恐ろしく冴えていたりする(長続きしないが)。
ということは、初期設定が厳しいほど、過酷な人生になるには違いないが、鍛えられるだろう。そうでない我々現代日本人の大多数は、自分で自分を追い込まなければ潜在能力などなかなか発揮されない。といっても、それは10年以上も前の話で、今では経済環境的に追い込まれ始めてている。
この転生説に立つなら、思い切って自殺した所で全然解決にはならない。もっとキツイ初期設定で、カルマを刈り取る人生のゲームがスタートするからである。この循環から解放されるには、ひたすら自分を高めるしかないのであるが、果たして終わりがあるのか(悟れるのか)。
とりあえず、人生は肉体を伴った罰ゲームだと開き直って、進んで苦しみを引き受けることが重要なのかもしれない。苦しいことは自分が蒔いた種だとして、諦めて引き受ける。カルマからは逃げられない。
今度日本人が追い込まれると、違う潜在能力が発揮されるかもしれない。
偶然というものは存在せず、自分に関わるあらゆる行為やら結果は、前世からの自業自得であるとするのだ。前世はともかく、現世はかなり自業自得な面が多すぎるので、その通りかもしれない。
ただ現世を決定づけるのは、出生環境やらパーソナリティーであるといっても良いほど、「初期設定」のパワーがあまりにも大きすぎるので、そこをどう説明するかといえば、やはり前世か何かによらなければならないのかもしれない。
本来、今すぐに、生き方やら行為というのは変えられるのであるが、それがなかなか出来ない。それは若かろうが、年をとろうが、関係ない。。頑固な人間がそう簡単に言うことを聞かないのと同じで、自分で痛い目に遭うなりして「気づく」しかないわけだ。
ただニコチン中毒者と同じで、「タバコは体に悪いからやめた方が良い」と気づいたところで、実行しなければ意味がない。癌になるとか肉体がとてつもなく苦しい目にあって、初めてやめられるのかもしれない(手遅れであるが)。
根本問題として、人間というものは他人から忠告されたくらいでは自分の問題を修正できない。自分の問題は自分で修正するしかないということだ(ということは、直接的には注意しないほうがいいということか)。
もっとも問題のない人間はこの世に一人もいないわけで、問題だから人間として生まれてきたのかもしれない。問題を解決しろ→ 転生→ 未解決で死ぬ(どころか問題を増やす)→ 転生→ … この連続なのか。 ということは、永遠に解決できないということなのか。
いや、人間には途方もない潜在能力が隠されているから、きっと解決できるに違いない。ただそれをやる状況まで追い込まれていないだけなのだ。これまで自分の人生を振り返ってみて、恵まれた状況よりも、もうどうしようもなく疲れ、ボロボロになって歩いていたりする方が、精神的に恐ろしく冴えていたりする(長続きしないが)。
ということは、初期設定が厳しいほど、過酷な人生になるには違いないが、鍛えられるだろう。そうでない我々現代日本人の大多数は、自分で自分を追い込まなければ潜在能力などなかなか発揮されない。といっても、それは10年以上も前の話で、今では経済環境的に追い込まれ始めてている。
この転生説に立つなら、思い切って自殺した所で全然解決にはならない。もっとキツイ初期設定で、カルマを刈り取る人生のゲームがスタートするからである。この循環から解放されるには、ひたすら自分を高めるしかないのであるが、果たして終わりがあるのか(悟れるのか)。
とりあえず、人生は肉体を伴った罰ゲームだと開き直って、進んで苦しみを引き受けることが重要なのかもしれない。苦しいことは自分が蒔いた種だとして、諦めて引き受ける。カルマからは逃げられない。
今度日本人が追い込まれると、違う潜在能力が発揮されるかもしれない。