インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

4月28日 …『マヤ・アステカの神話』を考える

2007-04-28 03:44:03 | 思想・宗教
 またまた堅苦しい本を掲げて恐縮である。

 おかしなブログ主が、勝手な妄想で「インディオの思想」をずらずら書いてしまったら(自己主張)、

 「はぁ?」「おかしいよ~」「バイバイ…」
 
 翌日のアクセス数が激減するものと思われる。
 恐ろしいので(臆病者!)、名のある本?を叩き台にし、コメントを述べる形にした。
 それにしても、何か、インディオ関連書物の解説ブログみたいになってきた(笑)。

 
  マヤ・アステカの神話
  アイリーン・ニコルソン(松田幸雄 訳)
  ¥2600 青土社

 5年前の今頃(GW)、無理して買い、妙な気持ちで読んだ。
 屁理屈が多く、回りくどく、観念的で、◎(やや難)か。
 神話がロマンチックに述べられている。が、物語ではないので、面白みがない。300ページを超えるこの本と付き合うのは、キツイかも。
 沢山の写真(モノクロ)とその解説があり、詩も挿入され、本文無視してそれだけ読む手もある(アホか! ますます面白くないぞ)。

  メキシコに住むジャーナリストの白人女性が、死ぬ一年前(1967年)に書き上げたものらしい。モーツアルトが死ぬ間際に作曲したレクイエムを思わせる。彼女も古代アメリカの神々に憑かれて書いたのであろうか。


 再びざっと読む。
「はぁ?」「おかしいよ~」「バイバイ…」したい箇所もある(が、凄い所も多い)。

 ざっと、速読する(こんな内容だっけ?)

 五年たった今、新鮮に思える。

 訳者あとがきを抽出すると(またか。これが、怠け者の読み方さ…)、
 
 ニコルソンがいうには、
 ①メソアメリカの神話は万華鏡のように輝く変幻極まりない世界を創り出していて、象徴はほんの僅かしかなく集中し、一つ一つが広範なものの見方や宗教理念に奉仕するために作られたかのように簡略化され、巧みに処理されている。そこでの神話は、創造には犠牲が伴うという献身的な愛の精神に基づくものであった。

 ②本書での彼女の主張であるが、ケツアルコアトルに象徴される愛の宗教が、支配民族の血の崇拝儀礼に堕落していった。すなわち、宗教が神官の堕落や間違った薬学の使用、自発的な犠牲から公認の捕虜殺人と化して堕落して、文明を衰退に導いた。特にアステカに厳しく、血の儀式は殉教的なものではないと認めない。

 ③スペイン人来航により、記録が破壊され、変形を受けた。そのとき既に宗教は堕落変形の兆候を持っていたので、メソアメリカ神話の正しい理解がなされていない。


 う~ん、血の崇拝儀礼は、支配民族(マゾヒスト)が推し進めただけである、ということは、マヤ文明は、最初から酷いマゾ文明ではなかったのか。

 ざっと読み、はっとしたのは、「第6章 黄金の人間」。
 神々が錬金術(?)で人間を作った、という感じ。
(ボールの中にトウモロコシなどの材料を混ぜ、かき混ぜ、最後に神の血を加えたってイメージかな)

 人間は品物を作るが、自分自身が品物だと思わないもんね。

 読み返し、なんか、ニーチェ『悲劇の誕生』を思い出した。

 ディオニュソス賛歌(インディオ的か!?)した後、こう書いてある。
「…人間はもはや芸術家ではない。人間自体が芸術作品になってしまったのだ。すなわち、全自然の芸術力は、ここに陶酔の戦慄のもとに啓示され、根源的一者(造物主9に最高の歓喜の満足を与えるのである。もっとも高貴な粘土がここで捏ねられ、もっとも高貴な大理石がここで彫刻される。人間だ…」

 ああ、眠い。
 かくしてマゾ文明の思想は、ニーチェの危険思想と繋がるのである…
 
 妄想が膨らみそうなので、今回は失礼!


  <来週に続く>