インディオ世界を語るに、呪術師(シャーマン)は避けて通れないだろう。
本来なら、呪術師の記事を書き込むだけだろうが、このインディオ通信、目玉記事として(?)、ブログ主が実際に体験してみたい。
たとえるなら、別府温泉旅行で地獄巡り(知ってます?)するだけ(見るだけ)ではなく、足湯とか入浴するのに似ている。やっぱ、実際に浸かってみないとね。
が、その呪術、何をどうしたら良いのか、さっぱり分からない。
そこで教科書として、『呪術の実践』(写真)を引っ張り出した。
2,3年ぐらい前に既に持っていたが(運良く?、BOOKOFFで半額GET!)、めんどくさいので、放置していたものである。
『呪術の実践』
MAGICAL PASSES
~古代メキシコ・シャーマンの知恵~
カルロス・カスタネダ 結城山和夫(訳)
二見書房 2400円+税
実に怪しげなタイトル、いかれた踊り(?)をしている写真だらけの、得体の知れない本である。
まえがき
第一章 マジカルパス
第二章 テンセグリティ
第三章 テンセグリティーの六つのシリーズ
1.意図を準備するためのシリーズ
2.子宮のためのシリーズ
3.五つの関心ごとのシリーズ ―― ウエストウッド・シリーズ
4.左の体と右の体の分離 ―― 熱シリーズ
5.男らしさのシリーズ
6.特定のマジカルパスとの関連で用いられる道具
訳者あとがき
ズラリと並ぶ個性的な目次の前に、妙な献辞がある。
「テンセグリティーを実践する全ての人に捧ぐ。
彼らはおのおのの力をテンセグリティーへ集中することにより私をエネルギーの形成に触れさせてくれた。これは、ドン・ファン・マトゥスや彼の系統の呪術師たちには決してかなうことのなかったことである」
わけが分からん(読解力がないのか?)。
結城山氏が、英文を訳したのであろうが、インディオ(僕)にとっては、更なる通訳(笑)が必要であるように思われた。
キーワードの「テンセグリティー」は第二章で説明されている。
テンセグリティーとは、テンション(緊張、張力)とインテグリティー(無欠状態、正直)の合成語である。
「体の腱や筋肉を引き締めたり緩めたりすることによってもたらされるのがテンションで、体を健全で完全かつ完璧な単一体とみなすことがインテグリティーなのだ」とあり、「テンセグリティーは一貫した体系的動きとして教えられている」と堅苦しい文章がぐだぐだと続いている。
ページをめくる。得体の知れない動作をした外人の写真が、これでもかと載っていた(合計486個!)。何かしら、マヤ文字を見ているよな気分に陥った。
たまらないので、最後のページの訳者あとがきを見ると…
どうやらこの本、『呪術師と私――ドン・ファンの教え』(1968年)が、全米大ベストセラーになったから出版されたようだ(おかしいとは思っていたが、「カスタネダ」の名前で出したわけだ。『呪術の実践』で売れるはずがないもんね)
訳者が分かり易く要約するところによれば(カスタネダ語に苛立って訳したのかも)、
さて、そのマジカルパスであるが、カスタネダの師、ドン・ファンの語るところによれば、その目的は「エネルギーの移動」すなわちエネルギーを体の活力の中心
へ戻してやることにある。人間の体には特に大きな活力の中心が六つあって、そこではエネルギーが渦を巻いているが、性質としてエネルギーはそこからずれてしまう傾向がある。そのずれたエネルギーをもう一度活力の中心へ戻してやると、幸福感や充実が得られると同時に、使われていない生命力との絆を取り戻し、知覚レベルにおいて世界をこれまでと違った仕方で感知できるようになるのだという…。
う~ん、この領域に到達しないと、真の意味でインディオになれないということか(?)
まあ、すこしずつ実践しようと思う(牛歩のように)。
今後、教科書の内容のほか、実践経過と、その効力を報告していきたい。
そういえば、目次の後に不気味な注意事項があった。それも、かなり不安をあおるような(Meはさらに?頭がおかしくなるのだろうか…)。
本来なら、呪術師の記事を書き込むだけだろうが、このインディオ通信、目玉記事として(?)、ブログ主が実際に体験してみたい。
たとえるなら、別府温泉旅行で地獄巡り(知ってます?)するだけ(見るだけ)ではなく、足湯とか入浴するのに似ている。やっぱ、実際に浸かってみないとね。
が、その呪術、何をどうしたら良いのか、さっぱり分からない。
そこで教科書として、『呪術の実践』(写真)を引っ張り出した。
2,3年ぐらい前に既に持っていたが(運良く?、BOOKOFFで半額GET!)、めんどくさいので、放置していたものである。
『呪術の実践』
MAGICAL PASSES
~古代メキシコ・シャーマンの知恵~
カルロス・カスタネダ 結城山和夫(訳)
二見書房 2400円+税
実に怪しげなタイトル、いかれた踊り(?)をしている写真だらけの、得体の知れない本である。
まえがき
第一章 マジカルパス
第二章 テンセグリティ
第三章 テンセグリティーの六つのシリーズ
1.意図を準備するためのシリーズ
2.子宮のためのシリーズ
3.五つの関心ごとのシリーズ ―― ウエストウッド・シリーズ
4.左の体と右の体の分離 ―― 熱シリーズ
5.男らしさのシリーズ
6.特定のマジカルパスとの関連で用いられる道具
訳者あとがき
ズラリと並ぶ個性的な目次の前に、妙な献辞がある。
「テンセグリティーを実践する全ての人に捧ぐ。
彼らはおのおのの力をテンセグリティーへ集中することにより私をエネルギーの形成に触れさせてくれた。これは、ドン・ファン・マトゥスや彼の系統の呪術師たちには決してかなうことのなかったことである」
わけが分からん(読解力がないのか?)。
結城山氏が、英文を訳したのであろうが、インディオ(僕)にとっては、更なる通訳(笑)が必要であるように思われた。
キーワードの「テンセグリティー」は第二章で説明されている。
テンセグリティーとは、テンション(緊張、張力)とインテグリティー(無欠状態、正直)の合成語である。
「体の腱や筋肉を引き締めたり緩めたりすることによってもたらされるのがテンションで、体を健全で完全かつ完璧な単一体とみなすことがインテグリティーなのだ」とあり、「テンセグリティーは一貫した体系的動きとして教えられている」と堅苦しい文章がぐだぐだと続いている。
ページをめくる。得体の知れない動作をした外人の写真が、これでもかと載っていた(合計486個!)。何かしら、マヤ文字を見ているよな気分に陥った。
たまらないので、最後のページの訳者あとがきを見ると…
どうやらこの本、『呪術師と私――ドン・ファンの教え』(1968年)が、全米大ベストセラーになったから出版されたようだ(おかしいとは思っていたが、「カスタネダ」の名前で出したわけだ。『呪術の実践』で売れるはずがないもんね)
訳者が分かり易く要約するところによれば(カスタネダ語に苛立って訳したのかも)、
さて、そのマジカルパスであるが、カスタネダの師、ドン・ファンの語るところによれば、その目的は「エネルギーの移動」すなわちエネルギーを体の活力の中心
へ戻してやることにある。人間の体には特に大きな活力の中心が六つあって、そこではエネルギーが渦を巻いているが、性質としてエネルギーはそこからずれてしまう傾向がある。そのずれたエネルギーをもう一度活力の中心へ戻してやると、幸福感や充実が得られると同時に、使われていない生命力との絆を取り戻し、知覚レベルにおいて世界をこれまでと違った仕方で感知できるようになるのだという…。
う~ん、この領域に到達しないと、真の意味でインディオになれないということか(?)
まあ、すこしずつ実践しようと思う(牛歩のように)。
今後、教科書の内容のほか、実践経過と、その効力を報告していきたい。
そういえば、目次の後に不気味な注意事項があった。それも、かなり不安をあおるような(Meはさらに?頭がおかしくなるのだろうか…)。