インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

台風11号過ぎる…

2014-08-10 21:57:38 | 身の回り
 台風のせいか今、室温が28度で過ごしやすい。雅太は、森林浴どころではなく、部屋で、模様替えやら「反復」やらをやっていた。いつもは見ないテレビだが、年初頭に行った東京界隈やら、昔住んだ経験のある三重県津市やら香川県高松市やら、九州やらが出ていて、雅太は懐かしんだものである。伊勢湾界隈を歩いていると、高潮や大雨だと水没するのではないかと、危険を感じたものだ。

 さて、過去を振り返るというのも、自分自身が一体何を「意図したか」であり、かつては勝手な妄想に寄っていたものだ。雅太はそれなりに頑張ったのであるが、最初の設定が悪かったのが、欠陥が多すぎたのか「負け組」となった。もっとも多数がそうであろうが。

 さて、雅太の場合は、妙に褒められたこともあり、「作家を志し」、物書きをやり始めた。それは普通の小説ではなくて気が違っており、「死神がどうの」とか「大地の子供たちを踊らせよう!」とか、アステカの時代を調べて行くうちに、狂気と妄想の中に沈んでいった経緯があった。

 当時の日記やら資料を、雅太は未だに大量に抱えており、すっかり忘れていたその状況を反復するのである。当時必要だったのは、「作家になること」ではなく、人生経験であり、今でもそうなのだが、本を読んだり書いたりすることではなく、もっともっと色んな体験をすることなのである。

 雅太にとっては、この間の野生のウサギとの遭遇も、貴重な体験であったように思われた。飼われているそこら辺のウサギとは、姿形は同じでも(茶色いし痩せていたか?)、何かが違う。まず目つきが違う。人間に飼い馴らされたウサギは、あんなに人間を凝視しない。多分、「食うか、食われるか」の世界に生きているからだろうが、眼差しが、生死を分けるのかも知れぬ。

 と、ここまで書いたところで、雅太は思い出した。『沈黙の力』でカスタネダがジャガーと遭遇したとき、「お前の命は見つめ方にかかっているのだ」(鼻先を見つめろとか)と師に言われた一文を思い出す。なるほど、人間が逆にヒグマとかと遭遇してもやはりそうなるのか。

 「よい狩人は、目で獲物に催眠術をかける」というのも思い出す。生きとし生けるもの全ての目は、他の生き物の集合点を動かすことが出来る。特にその目が、意志の上に注がれている時には。

 そこまで考えた時、雅太は妄想を巡らす。ウサギに逃げられたならば、ツキノワグマでも出現したら(いるのか?)、一体どうなるのだろうか。熊は恐いので、せめてキツネと見つめ合いたいものだ。

森林浴と野生動物

2014-08-07 20:08:19 | 身の回り
  雅太は健康的すぎる仕事に従事し、夜遅くまで残業することもあったが、昨夜は早く上がれ、明日が休日ということもあり、石釜レーズンとくるみを齧り、温泉、サウナへ直行した。やることといえば、飲んだり、パチンコや麻雀をするわけでもなく、読書ぐらいのものであるが、1時間半浸かりながら、雅太には人生体験がもっと必要に思われた。

 サイクリングやら釣りは面倒なので、やはり森林浴だと、『呪術師の飛翔』を手に、スイカを土産に実家への山奥に入る。雨上がりで、背後の小川が増水していた。それでも本の通り、足を浸けて時計回りに回る。

 ちょうど「スピリットの声」なる所を読んでいるときだった。雅太は、車の中で聞くためにICレコーダーに吹き込んでいたのだが、そこで、間抜けなのか、精霊の命令なのか、あり得ないことが起きた。ゴルフにたとえるなら、ホールインワンで、ガチャ、スルスル、ボトンと、レコーダーが溝に落っこち、お陀仏となってしまったのだ。やはり呪術師が機械の類いに頼るのは、許されざることなのか。

 ……スピリットの声はどこからともなくやってくる。それは沈黙の深みから、非存在の領域からやってくるの。そして、その声は、私たちがすっかり沈黙していて、バランスが取れている時のみ、聞こえるのよ。

 機械にかまっていてはダメだということか。空っぽにしなければならぬのかもしれぬ。つまり、今、ここで、こうやって、ブログを書いていること自体、雅太にとっての、自己満足やらエネルギーの無駄遣いということにでもなるのか。

 音読はダメなのか。森に落ちていた鉛筆を片手に雅太は、読解し始めた。黙読の方がしみこむ力が強い。400ページを超える大篇で、半分近くまで来た。「自由のためにしか闘う時間はないのよ、タイシャ」とある。

 そこまで読んだとき、「全ては人知を超えているところで、計画を超えた計画で、築き上げられたのだろうか?」と、己の今の生き様、について考えたりする。

 生まれ故郷もかなり変わったが、面影が過去を反復するのを手助けしてくれたりする。そういえば、高校生の頃、参考書を片手に山奥で寝転んでいたなぁ、とか、やはり鮭のごとく、山奥に戻ってくる本能があるのかと物思いにふける。

 その時、雅太の前に、一匹の茶色いウサギが現れた。それはつぶらな瞳で雅太の様子をうかがっていた。雅太も驚いたが、相手もなぜこんなところに人間がいるのか唖然としている様子だった。この前は、イタチが横切ったが、今回のウサギとは睨み合いをした。カメラに撮りたかったが、その瞬間、逃げるのは目に見えている。「だるまさんが転んだ」のごとき、二匹の生き物は動かない。3分ぐらいたったか、ウサギはぴょんと跳ねて、行ってしまった。

ついに、親知らずを抜く。

2014-06-06 18:51:10 | 身の回り
  明朝、雅太は奥歯の激痛に苛んだ。痛みのあまり、焼酎を口に含んだが、耐えられず、職場へは向かわず、歯科医院の門を叩く。が、レントゲンでは原因が分からず、倒木のごとき親知らずが怪しいような気もする。そこで、どうせ虫歯を育むものだからと抜いてしまおうということになり、麻酔が打ち込まれた。低血圧の雅太の動悸が激しくなり、麻酔の量を3分の2で抜歯が始まる。酒に酔うのも早い、少量で効くのだから、麻薬も当然の結果かもしれぬ。案外、簡単に終了し、ガーゼで巨大な穴を塞いだ。

 問題は食事であるが、雅太は片方の歯によって普通通りの食事を敢行したわけである。むろんそれなりに気を使い、イカは刻み、汁は啜らず、首を傾げて咀嚼するわけである。

 雅太がネットで調べてみると、皆流動食やら饂飩やらを食べているようだが、結構な血液が排出され、ばい菌と闘うためには栄養価の高い物を食べねばならぬように思われる。

 空腹の雅太は大盛りのイカ焼きそばを作ったまでは良かったが、食べきれるかどうか自信が無かった。

 

田舎の空気に包まれて

2014-05-25 21:09:17 | 身の回り
  田舎の実家に戻った雅太は、久々に森林浴を満喫した。緑の中に身を潜めると、心が鎮まる。背後から山水が流れ、頭上では山桜の青葉が天蓋となって、風に揺れている。

 椅子に座った雅太は、いつものごとく、人生を鳥瞰するのである。親も年をとったし、自分も次第にそうなって行くわけで、出来るならば、これからは喧騒な都会を離れ、ひっそりと余生を過ごしたい、とノート片手に、ボールペンで、あれこれ記したりするわけである。

 年金暮らしの老人ばかりな山奥で、いかに若者、いや、中年男が生計を立てるかということになるが、それも、ひとえに、当人の「個人的な力」、ということにでもなろうか。それが運というものか。

 さて、故郷に戻れば、親はもちろん、独特の空気、自分の部屋、悠久とした自然の流れが待ち受けており、ああ、都会での修行は終わったのだなぁ、と錯覚に襲われる。が、年金生活まで後果てしなく長いわけで、修行の日々は続くのであろう。雅太の前に、小暴君が現れるのか。
 
 帰りの温泉で疲れた雅太は、これから夜の部の修行、夢見につかんとするのであった。

呪いの絵

2014-05-08 13:53:18 | 身の回り
 雅太は木曜日が休みで、昼過ぎに近くの産地直売の農協の野菜売り場にでもいって、ビタミンを補給しようとアパートをでる。キーケースのキーがこんがらがり、知恵の輪を解くのに時間がかかる。アパートのエントランスのところで、何やらカードのようなものが落ちており、大勢の住民に踏まれたのか知らぬが、背面の白が薄汚れている。蹴飛ばしてやろうと思った雅太だったが、ひょっとしてポイントカードでも落としたのかもしれぬと、汚ならしいカードを拾って、ひっくり返して見ると昇天した。それは雅太の名前がきっちりと刻まれている社員証だったのである! 

 雅太は愕然とした。己の社員証が、江戸時代の踏み絵のごとき状態になっていたとは。多分、深夜に帰宅した際、誤って落としたに違いない。雅太が回想するに、昨夜は休み前とあって遠征し、閉店間際まで、みはらし温泉のサウナで粘っていた。睡魔と闘い、朦朧とした状態で尾道へ戻ったのだが、まさか、踏み散らかされていようとは。ひょっとしてサウナで放映していた「呪いの絵」に気を奪われた影響かもしれぬと思ったりする.確か世界衝撃映像の番組で、ムンクのお叫びを10倍怖くした、己の血で書き、書き上げた後に自殺したという絵のようだ。そんなものを全国放送で流しても良いものか、と思いつつ雅太はサウナで金縛りにあったように見続けていたのであった。

 ブログを綴りながら雅太はイチゴをほおばる。遠方から仕入れたものと違い、地産地消の野菜果物は鮮度や味が全然違う。こんな馬鹿ウマなイチゴを売るのは反則だと思いながら、悪夢を忘れ、雅太はささやかな幸せを感じるのであった。

 

部屋の夢

2014-05-07 07:18:00 | 身の回り
  刺身を食べながら、雅太は今朝の夢について回想する。一度寝て起き、念入りにマジカルパスをした後、靴下を二枚はき再び眠りに就いた。クッションマッサージで足の裏をマッサージしているうちに、意識が消えた。

 雅太は体がかすかに震え、浮遊しているのを感じた。瞬間、起き上がった.雅太はそれは夢見の体であることが薄々分かり、さっそくどこか行こうと壁に向かう。以前ぶつかった感覚があったが、今回は突き抜けた。どこかへ行こうという目的意識が薄かったのか、ふらふらと商店街をさまよった。横浜の方のレコードショップのネオンがあり、踊り場のような建物がある。そこら辺から、普通の夢に移行したような感があり、車の中で横たわっていると雨が漏ったり、雅太を含めた3人ぐらいの部屋の比較とか、奇妙な世界に飲み込まれて行った.

 雅太は固いカリフラワーを噛みながら、きっとあの夢は暗示に違いない、と確信する。「夢の中にでてきた部屋は、あなたの現状を映し出している」等々、夢占いの本にでている。確か、雅太の部屋は成功者の部屋と比較して、サービス精神に欠け、雑然としている。隣の部屋は雅太が中に入れていたウオーターサーバーを出入り口に出し、外部の人が飲めるように置かれている。それと同時に、部屋の中がすっきりしているという塩梅だ。

 またその向こうの部屋では、引っ越してしまったかのごとく、モノが何も無く、それでいて、アンティークな敷物があり、すっきりとくつろげる雰囲気である.そこへはポツリと宅配があり、親への贈り物、魂に心地良い枕のようなものが準備されていた。素晴らしき成功者の部屋として、中年女性が解説しているのだ。成功者としてテレビなどで活躍している若者の部屋らしい。

 雅太は短時間で一週間ぐらいの人生経験をしたような夢を見たのだった。

予知夢

2014-05-05 06:54:42 | 身の回り
   雅太はパセリをウサギのように咀嚼しながら、ブログを書き始めた。毎日鮮明な夢を見るのだが、書き留めておかないとシャボン玉のごとく弾けてしまう。今朝は正に記憶すべきことが弾けてしまった感があり、マジカルパスをせずに寝たのが悪かったのかと思ったりする.そんな夢まみれの雅太であったが、一昨日、夢日記に書き留めておいたことが、三分の一、いやほんのさわりだけ、なぞった。職場の応援に来たのが夢の通りの青年で、雅太が夢の通りに皆に紹介したという内容である.応援は別の青年が来ると思っていたのだが、まさか夢の通りになるとは、雅太は驚かされた。

 「予知夢」だったのかと雅太は首を傾げる。これまで雅太の見た夢の中では、かなりストレートで、実用的な部類に入るであろう.そもそも、夢は間接的な暗示で、空を飛んだり、ゴキブリがでてきたり、何かの象徴を「ひょっとしてあれでは…」と勘ぐるわけである。それが直接そのままであるならば、ノストラダムスの予言のごとき、無理矢理解釈したりする必要もなくなり、便利きわまりないであろう.

 しかしそんな予知夢など早々起こらない。何故かと雅太は棚から本を漁って見ると、「なぜ未来は人間から隠されるのですか」という問いに偶然出くわした。『霊の書』(アラン・カーデック)である。

  もし未来が人間に分かれば、人間は現在をおろそかにして、自由意志で行動しなくなる。本人はこう思う、これこれのことが起こるのなら、自我がかかり合う余地はないと。さもなくば、それの起こるのを回避しようとする。神はそうなることをお望みではない…

  …ただ人間を自由にしておいて、人間が自己の行為に責任を持つようにさせておく、ここに目的がおありだ…

  …ということであるらしい。雅太は手を叩いた.確かに、夢予知ばかり見てそれに従って動いていたら、もはや自分は自由な意識を持った人間ではなく、操り人形ではないか。たとえそれが望ましかったとしても、自分の意志で、自然な状態で導かれなければ、意味がないのかもしれぬ.

 生まれたことの意味が、意識のレベルを上げることにあるとすれば、それもうなずける。資本主義社会の中で、現代人は利益を、金を増やすことを目的としているのだが、本当の黄金は自分自身の意識であり、光り輝く卵であるとしたら。

 そこまで書いたところで、雅太はいくら言葉で良いことを書いても仕方が無い、本当に重要なのは実際の行為であり、修行である、今から出勤せねばならない、と思うのであった。

背伸びの人生

2014-05-02 06:44:47 | 身の回り
  雅太は、小さめのイカをタマネギ、豆腐、椎茸、油揚げ、卵と一緒に煮込み、味ぽんで仕上げて、朝食を作った.定番のメニューであり、みそ汁こそ無いが、ブロッコリーやパセリなども添え、栄養面では問題は無かった。問題なのは雅太の脳みそであり、それを築き上げたこれまでの生活スタイルということになるか.

 修行ということを意識すれば、どんな奈落の状態でも訓練場ということになり、それなりの意義があるだろう.しかし雅太の場合、単なる個人の執着、背伸びをしてでも覗いてみた世界、ということにでもなるか.まさに今では「古代メキシコの呪術的世界」というのが、それに相当するであろう。

 それは難関高校、難関大学、そして難関資格、難関試験へと発展し、さらには、作家への新人賞へと展開して行くのである。難しいものには価値があると思い込んでいたのは、雅太の無知と世間知らずによって育まれたのであろう。ど田舎で育ったがために新聞テレビの宣伝に流され、それが肉体労働者の無邪気な両親によって助長されたのかもしれぬ。さらに一人息子であったために、雅太は人一倍可愛がられ、甘やかされて育ったわけで、そのツケを、この十数年間、支払い続けているのかもしれぬ。

 ペーパーテスト、紙切れを読み書きするたぐいでは、キリンが首が長くなったように、高いところを見渡せるようになったのだが、実生活ではまだまだかもしれぬ.まだ背伸びをしているところがあるのだろう。ちょこっと夢の中で神秘体験をしたぐらいで、それがどうしたというのだ。実生活で神秘的なことがばんばん起こらねば、本物とはいえぬのではないか。

 そこまで考えたところで、雅太は出勤の支度をするのであった。

 

死ぬ前に…

2014-05-01 07:52:51 | 身の回り
  車検で大金が飛んだ雅太であるが、温泉通いを辞めたわけではなく、昨夜も遅くまでサウナで粘って、世界衝撃映像やらのテレビを見ていた。猛吹雪で飛行機が凍てつく川に墜落して生存者5名の映像に食い入った後、17度の水風呂に浸かりながら1度の川に30分もいるなんて死んでしまうだろうと考えたりする。

 目覚めたら、冷蔵庫に魚類がなく、雅太は、最近出費がかさむから買い物を控えていたのだと思い出し、実家の乾燥椎茸を煮込んで、馬鹿でかい椎茸に醤油をつけ、丸干しやらネーブル、ブロッコリーサツマイモなどと一緒に食べ始める.

 呪術の力で、果たして金の心配をしなくて良いようになるのかどうか分からぬが、確実に生活は昔より良くなっており、精神的にもより高いところから見ているように思われる。もはや雅太は死ぬときの訓練をしているのかもしれぬ。が、健康的生活を送っているので、色艶も良くまだまだ死ぬとは思われぬと思ったとき、こうなったら自営業でもやってみようかと思ったりする。

 雅太が十数年願望している「作家」というのも自営業であるが、所詮、出版社という他人のふんどしで土俵に登るわけである。土俵には沢山の作家が居るわけだから、用済みになったら、さよならということにもなろう。そんなに実力がある、売れる本が作れるのならば、営業は任せるというスタンスではなく、自分で作って自分で販売すれば、粗利が大きいというもので、それが自営業の醍醐味である。

 とはいえ、分業と協業の社会で、物書きは作家、売るのは営業と専門の人がやった方が効率が良い.作家になったからには、気が狂うほどパソコンの前にへばりついて、妄想やらアイデア、本からの引用を書き込まねばならず.その毎日の回転で、あっという間に人生が過ぎて行くのかもしれぬ。

 内的対話を止めねばならぬ雅太にとって、実に矛盾した行為であり、宇宙の波に逆らっているともいえよう.何か手がないものか。

 いや、実はあるのである。これからは高齢化社会であり、することに困る大勢の老人が発生するわけだ.雅太には2、3の大ヒットが予感されるビジネスアイデアがあった。フィクションを書いて出版社に持ち込むより、これの企画を持って行く方がよほど採用率が高く、世のため人のためになるであろうと思われるのだ。

 かくして休みである雅太は、アイデアをより具現化しようと思うのであった。

ゴキブリの夢

2014-04-26 07:22:56 | 身の回り
  雅太は離脱を期待して、寝たのだが、奇妙な夢に翻弄された。それは重なり合ったような夢で、とりわけ印象に残ったのは、壁に止まった一匹の大きなゴキブリである。雅太は日常の意識と同様、夢の中でもゴキブリは気持ち悪いと思い、白い壁でかさかさ動くそれを潰しにかかった.。汁が飛び散り、ゴキブリの頭が欠ける。生命力の強さで未だ生き長らえているのに驚かされる。タコ部屋のような場所に入り、牢名主のような職場の上司に気を使い、食べたくないものを食べさせられたりするわけだ。懐かしい30円アイスの当たりバーで、それを食べろといわれ、雅太の食指に合わないのだが食べてみたりする.日常生活を反映してか、与えられた部屋がさばけていて、それを片付けたり.今と昔の意識が、洗濯機の中でかき混ぜられているような感じで、過ぎたリアルのパッチワークかもしれぬ。
 
 ただ夢の中では、与えられた条件で、意識して動いているような気がする。それがドラマチックで、ハラハラさせられたり。例えば夜中、親父の車をひそかに運転して移動したが、ブレーキが効かなくなったり。ど田舎の実家が大都会になったり、大都会が近くにあったり、現実が歪められているのは、やはり夢だからだろう。

 夢が飛ぶということは、まだ夢の内容を実質的に支配できていないのであろう.と考えたところで、雅太は再び、夢の中で自分の手を見ることをやってみようと思うのであった。

成功の鍵は、冷静さ。

2014-04-23 05:20:12 | 身の回り
 トイレへ行くため4時頃起きて、ついでにマジカルパスをし眠りにつく。子守唄のヘミシンクテープを聴きながら寝ようと思ったが、ICレコーダーが見当たらないため、ただ冷静さを意識し、眠りに就こうとした。出来れば体外離脱をしたいと思った。なかなか寝付けず、寒さで毛布の下で丸くなっていた。

 金色の光に包まれ、垂直にむくっと起きた。雅太は意志と呼ばれる力を意識し、感謝をし、窓の外を出ようとした。辺りは暗かった.どかっと窓に当たり、「え? どうなっているのだ?」と戸惑う。そこで一度目の離脱は終わり、二度目がすぐに起こった。前兆として、目を閉じているはずなのに、鮮明な映像が、次々と現れては消えて行った。

 二度目の離脱では、雅太は闇の中を飛んでいた。ウルトラマン、スーパーマンのごとき姿勢で移動するのである。到着した場所は、実家で、ここから夢が混在したように思われた。というのも、眠っているはずの母が、一緒に住んでいない姉と一緒に雅太のアルバムを眺めていたからだ。雅太は、「ここに自分がいるよ」と働きかけたが、向こうはその存在を捕らえなかった。それでは仕方が無い、メル友でも探しに行くかと思ったところで、移動中にエネルギーが切れたようだった。

 16.1度.5時20分。目覚めた雅太は、備忘録として早速ブログを書く。ほんの1時間、2時間の間だが、果てしなく長く感じられ、死ぬ際の練習でもしているのだろうかと考えさせられる。夢の出来事だと言ってしまえばそれまでだが、リアルで、自由に動けるわけだから、とてつもなく面白い。

 「ヘミシンク」「サウナ」とかよりも、「冷静さ」といった内的沈黙が一番重要なのではないかと思ったりするのであった。

野菜を炒めながら

2014-04-16 07:39:54 | 身の回り
  雅太は今朝も40分ぐらいかけて三食こしらえた。魚は干物で我慢し、野菜たっぷりの焼きそばを作ることにし、モヤシやキャベツ、ネギを入れた。フライパンが小さいため、焼きそばを二人前入れ、箸で炒めていると、こぼれ落ちたりする。それを捨てるわけだが、そういったハミだしモノを見ながら、雅太には社会というモノも同じかもしれぬと思ったりする。

 社会という名のフライパンに、具材となる人間がたっぷりと乗っており、社会環境というか、人知を超えた力が、それをかき混ぜる。しかし内側から離れてしまった人間は、外へ、外へと押しやられ、挙げ句にはフライパンからこぼれ落ちるのである。

 そうしたこぼれ落ちた具材を利用して、さらに派遣労働やら3Kと呼ばれる仕事、これも社会に必要であり、フライパンで炒められるわけである。ところが、最後には「本当に使い物にならない具材」がはみ出し、政府やマスコミが(フライパンが小さい?)社会問題として取り上げる。雅太も将来的にはそうなるのかもしれず、「意識の修行」と称しているものの、端から見ればフライパンから出ないように闘っているのかもしれぬ。とはいえ、日頃、ストレスのたまらない仕事、温泉サウナ、夢見、と清々しい朝を迎えると、重要なのは結末・将来ではなく、今この瞬間ではないか、と思ったりするのだ。

 悲惨な最期を迎えるストーリーだけは避けたい、とはいえ、リアルな人生の物語というのは、起承転結がきっちりしているわけではない.むしろ起承転結がきっちりしている人生こそ、皮相な作り事のような人生ではないか.

 無意識がその人の人生を作るとはいえ、それは人知を超えたところの力が働くに違いない.意志に対する意図で、力を呼び寄せるとしても、それは結構タイムラグがあるのではないか。

 そう理屈をこね回したところで、雅太は時間切れになったのだった。

一日の始まりに

2014-04-14 06:16:12 | 身の回り
  4月も半ばになろうというのに、雅太は11月初め頃の格好から抜けていなかった。温度計を見ると、13.7度であり、実際問題、寒いのである。地球が温暖化しているとは到底思えず、むしろ寒くなっているのでは無いかと疑う。足の裏にはカイロを貼っている始末である。

 さて、昨夜、踊って寝た雅太だったが、ゲートウエイを途中まで聞いていた。といっても、10分ぐらいしか持たず、寝入ってしまったのである。光の体で包む(リバル)なるものをやっている途中、光の体は意識が消えた。そもそも体は寝ている状態で意識だけは起きている、という現象は、よほどエネルギーが余っている状態でないと発生しないだろう。一度寝た後とか、昼寝とか、最後までテープを聴くことが出来る状態が望ましいのだろうが、そうするには、早く寝たり、日常生活でやりたいことをとことんなくす必要に迫られる。夢見をとるか、日常生活をとるか、忙しい現代人は後者を選ぶのに決まっているのだが。

 三食こしらえた雅太は、今日は8時から17時までトレーニングジムに少し似た仕事をこなし、温泉サウナに2時間ばかり入ってアパートに戻ってヘミシンクテープを聞き、爆睡するのだろうか思いながら、朝っぱらからインディオ通信なるブログを綴る。

 このブログもはや7年になろうとしており、その間、多種多様な影響を受け、ブログはこのような私小説になってしまったとほくそ笑むのである。そういえば以前はが飛び交っていたわけであるが、もはや踊るだけの景気がなくなってきたのか、落ち着いてきたのか、インディオダンスホールから発想が遠ざかってきた。

 無限なる宇宙、意志に向かって、意図しながら踊らなければならないのだ、と思いつつ、雅太は朝っぱらから少し踊ってみようと思うのであった。

効果はやはり・・・

2014-04-12 07:55:10 | 身の回り
  一度寝た後、3時頃、マジカルパスをし、WAVE1の最初を聞いて万全を期した雅太だったが、5分程度で瞬殺され、そのまま寝入ってしまった。体外離脱は確実と思われたが、長ったらしい普通の夢に終わり、本当に効果があるのだろうかと疑いながらベッドを出た。

 そして朝食、昼食の弁当、夕食の弁当の三食を作り、慌ただしく昨日の夢の内容を「夢日記」に記すのである。雅太は夢の中で「美味い!」と食べた代物が、怪しげな冷凍食品で、シューマイみたいな中の人参にぶつぶつが出ており、きっと○○産に違いない、やはり手作りで食べ物を加工しなければ、と思ったりする。それにしても2時間ドラマを三本合わせた、長い夢だった。起きているときよりドラマチックであるが、束縛されて自由に動けないのは、やはり「~しなければならない」という観念に縛られているためか。

 と、そこまで思ったところで、そろそろ出勤しなければならない、と雅太はパソコンをシャットダウンさせるのであった。

訓練の前に

2014-04-11 21:18:00 | 身の回り
  雅太は本日も温泉サウナに入って、己自身を癒した。サウナでは野球中継が放送されており、中日と広島が対戦し、三対四で我らがカープが勝っていた。といっても、中日の監督が谷繁であることを今更知った程度の興味しか無く、どっちが勝とうが大して興味が無い.むしろサッカーのサンフレッチェ広島の方が、心を揺り動かされる。雅太はサウナの大画面のかぶりつき、選手でなく、バックネット裏の観客に注目した.スーツ姿で、仕事帰りに、カープを見ている模様で、なるほど、20代前半のカープファンだった頃の雅太ならば、一緒に応援していたかもしれぬ。しかし、不惑の年齢に入れば、冷めた部分もあり、「頑張れ!」と応援しているどころではない。頑張らなければならないのは己自身なのである。

 そう感じつつも、選手の洗練された動きには注目を払う。プロ野球選手が当たり前のようにキャッチしたり、投げている球でも、実は念入りに考えられ、訓練された賜物だろうと思うのだ。スポーツ選手にしろ、一般人にしろ、考えながら行動し、訓練している者の方が、格段に良い成果を残すには違いない。

 と、、そこまで書いたところで、雅太の瞼が重くなってきた。ヘミシンクのテープを聴く前に、既に眠くなってしまっているのである。まずは基本のWAVE1ディスカバリィからじっくり聞いてみようと思っていたが、一度寝てからにした方が良いのかも、と思うのであった。