今日は低気圧の影響で風が強く、小雨が混じって肌寒い一日でした。こんな日は作業ができませんので、家で読書して過ごしました。
中村天風先生の「盛大な人生」の中で、「十牛訓」についての解説があります。
一、「尋牛・じんぎゅう」 一人の牧童が牛を訪ねて深い山の中にわけいっている状態。
二、「見跡・けんせき」 やっと牛の足跡を発見。
三、「見牛・けんぎゅう」 牧童が捜し求めて、苦心に苦心を重ね、ようやく牛の半身を見つけたところ。
四、「得牛・とくぎゅう」 苦心惨憺の結果、やっと牛をつかまえた。
五、「牧牛・ぼくぎゅう」 発見してつかまえた牛を飼い慣らして育て上げようとする。
六、「騎牛帰家・きぎゅうきか」 なかなか手なずける事のできなかった荒牛も、やっと飼い主に慣れて来て、背中に乗ってのんびり笛を吹いて、牛とともに楽しみながら家に帰れるようになりました。
七、「忘牛存人・ぼうぎゅうそんにん」 もはや牛はおらず、牧童がひとり。 (第六図で求める人と求められた牛が全く一体となって、無心無我の境に没入した、ところが更に進んでみると、今まで求めていた牛、いわゆる本然の自性、自我の本質、その中に存在する本心というものが、ほかのところにあるのではなくて、またほかのものではなくて、自分自身であったという事)
八、「人牛倶忘・じんぎゅうぐぼう」 何も無い。人も牛も忘れてしまった、ただの円相。
九、「返本還源・へんぽんけんげん」 本然に還る、自然に咲く梅の花。
十、「入てん垂手・にってんすいしゅ」 布袋様が立っているの図。(実際に人生を生きている人の姿)
八図までは、世の中人の役に立つ為の自分を用意の為の修行、九・十図にいたって初めて利他、他人のために生きる命ができるというわけです。