私のブログに似つかわしくないタイトルであるが、両者を聴き比べることができる札幌交響楽団の「森の響(うた)フレンドコンサート」を聴く機会に恵まれた。
本日(6月18日)午後、キタラ(札幌コンサートホール)で札響名曲シリーズと銘打って「森の響(うた)フレンドコンサート」があり、聴く機会を得た。
聴く機会を得た、という言い方には含みがある。実は今回も私自身がチケットを購入したのではない。知人のH氏がチケットを購入したにも関わらず、その後用件が発生し、チケットを譲り受けたということなのだ。
私の場合、クラシック系のコンサートを聴く場合は、ほとんどがこうしたケースである。私の中ではまだまだクラシックは敷居が高いということなのだ。
さて、今日のコンサートには「ウィーン ~ 華麗なるヴァイオリンと運命」というタイトルが付けられていた。というのも、若き俊英として知られる(私はもちろん知らないが)ドイツのヴァイオリニストのフォルクハルト・シュトイデ氏をゲストのコンサートマスターとして迎えてのコンサートだったからだ。
プログラムは、次のとおりである。
◇モーツァルト/セレナード第13番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525
◇モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
◇ベートヴェン/交響曲第5番ハ短調op.67「運命」
この札響の名曲シリーズというのが、どのようなコンセプトで行われているのか、私は理解していないが、本日の場合いっさい指揮者は登場せず、コンマスのシュトイデ氏のリードのもとに演奏は進んだ。
今回のコンサートの演目は、クラシックに疎い私にでも耳慣れた曲が二つも演奏され(一曲目と三曲目)、その意味ではとても楽しむことができたコンサートだった。
そうした中で、モーツァルトとベートヴェンとの違いを私なりに感ずることができた。それがはたして正解なのかどうかは知らない。
しかし、私なりに感じたのは、モーツァルトの“繊細”に対する、ベートヴェンの“重厚”という対比である。そこには交響曲と協奏曲という違いがあるのかもしれないが、二人の曲調の違いのようなものを感じたのだが、はたしてそれは彼らの全ての曲に対して言えるものかどうかは私は知らない。
ただ、モーツァルトが日本においては非常に人気が高いということもそうしたところに因があるように思える。私もまたモーツアルトの方がどちらかというと好みである。
もう一つ、今コンサートの印象はやはりフォルクハルト・シュトイデ氏のコンサートだったという印象である。上背があり、演奏のスタイルも派手な彼は圧倒的な存在感を誇っていた。もちろんそこには技量的な裏付けがあってこそ、なのであるが…。
三曲とも、私は非常に興味深く聴くことができたが、管楽器を排し、弦楽器のみで演奏した「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が特に印象的に私の耳に残った。
なお、アンコールで演奏された曲も私にとって耳慣れたモーツァルトの「フィガロの結婚 序曲」だったのが嬉しかった。
本日(6月18日)午後、キタラ(札幌コンサートホール)で札響名曲シリーズと銘打って「森の響(うた)フレンドコンサート」があり、聴く機会を得た。
聴く機会を得た、という言い方には含みがある。実は今回も私自身がチケットを購入したのではない。知人のH氏がチケットを購入したにも関わらず、その後用件が発生し、チケットを譲り受けたということなのだ。
私の場合、クラシック系のコンサートを聴く場合は、ほとんどがこうしたケースである。私の中ではまだまだクラシックは敷居が高いということなのだ。
さて、今日のコンサートには「ウィーン ~ 華麗なるヴァイオリンと運命」というタイトルが付けられていた。というのも、若き俊英として知られる(私はもちろん知らないが)ドイツのヴァイオリニストのフォルクハルト・シュトイデ氏をゲストのコンサートマスターとして迎えてのコンサートだったからだ。
プログラムは、次のとおりである。
◇モーツァルト/セレナード第13番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525
◇モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
◇ベートヴェン/交響曲第5番ハ短調op.67「運命」
この札響の名曲シリーズというのが、どのようなコンセプトで行われているのか、私は理解していないが、本日の場合いっさい指揮者は登場せず、コンマスのシュトイデ氏のリードのもとに演奏は進んだ。
今回のコンサートの演目は、クラシックに疎い私にでも耳慣れた曲が二つも演奏され(一曲目と三曲目)、その意味ではとても楽しむことができたコンサートだった。
そうした中で、モーツァルトとベートヴェンとの違いを私なりに感ずることができた。それがはたして正解なのかどうかは知らない。
しかし、私なりに感じたのは、モーツァルトの“繊細”に対する、ベートヴェンの“重厚”という対比である。そこには交響曲と協奏曲という違いがあるのかもしれないが、二人の曲調の違いのようなものを感じたのだが、はたしてそれは彼らの全ての曲に対して言えるものかどうかは私は知らない。
ただ、モーツァルトが日本においては非常に人気が高いということもそうしたところに因があるように思える。私もまたモーツアルトの方がどちらかというと好みである。
もう一つ、今コンサートの印象はやはりフォルクハルト・シュトイデ氏のコンサートだったという印象である。上背があり、演奏のスタイルも派手な彼は圧倒的な存在感を誇っていた。もちろんそこには技量的な裏付けがあってこそ、なのであるが…。
三曲とも、私は非常に興味深く聴くことができたが、管楽器を排し、弦楽器のみで演奏した「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が特に印象的に私の耳に残った。
なお、アンコールで演奏された曲も私にとって耳慣れたモーツァルトの「フィガロの結婚 序曲」だったのが嬉しかった。