2014年にゴーストライター騒動で日本中の注目を浴びたあの佐村河内守氏を追ったドキュメンタリーである。騒動の後、メディアの前から姿を消した佐村河内氏を気鋭の監督・森達也が佐村河内氏の自宅での彼を追い続けるドキュメントである。
数日前の新聞でこの映画のことを知り、俄然興味が湧いて今日の午後、シアターキノに出向き観てきたものである。
FAKE…、直訳すると「偽造する」、「見せかける」、「いんちき」、「虚報」などと訳される。
このFAKEの意味するところが深いように私には思われた。つまり、佐村河内氏が今なおFAKEし続けているのか、あるいは森監督が観客に対してFAKEをしかけたのか?そのあたりが観る者によってさまざまなのかな?と思わせるところにある。
森監督は、佐村河内氏に対して「信頼している」と語る。しかし、画面から伝わるのはどこか懐疑的な森監督の思いが滲み出てくるように思われた。
佐村河内氏は言う。問題を暴露した新垣氏は佐村河内氏の耳は聴こえていたと嘘の証言をしていると…。画面での会話は、絶えず妻の手話通訳を介してのものだった。
その佐村河内氏の独白には耳を貸さねばならない点も数多くあるように思われた。つまり私たちは、当時のマスコミ情報によってかなり刷り込まれていた点も確かにあるように思える。
しかし、それでもなお映画を観終えた私としては、佐村河内氏はいまだにFAKEし続けているのではないかという疑念を拭い去ることができなかった。
それは主として次の2点にある。
一つは海外メディアのインタビューを受けた場面だった。佐村河内氏が曲のコンセプトを書き、それを図表のような形で示したのに対して、インタビュアーは「その図表から音楽に変わる瞬間を見せてほしい」と要求したことに対して、彼はその要求に応えることができなかった。
さらに、ドキュメントの最後の場面で森監督は「いまぼくに隠していることはありませんか」と問うた場面で、佐村河内氏は沈黙してしまうのである。
それまで能弁であった彼が、肝心の問い掛けに対して答えに窮してしまうところに、私は彼への疑念を拭い去ることができなかったのだ。しかし、これはあくまで私の感想であり、ドキュメントの要素としてはまだまだ考えらせられる点がたくさんある映画だった。
特に、ドキュメントの最後になって、森監督が佐村河内氏に「作曲してみたら」とけしかけたところ(あまり良い言葉遣いではないですな)、それまで数か月以上音楽から離れていた彼が、シンセサイザーを用いてそれなりの曲を完成させるのだが、それすらも本当に彼が作曲したものかどうか、私には信じられない思いで画面を見ていたのだった…。
はたして誰が、何が、FAKEだったのか??
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