田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

多喜雄のソーラン in ちえりあ

2009-09-11 18:09:11 | ステージ & エンターテイメント
 民謡歌手として名高い伊藤多喜雄さんの「さっぽろの歴史と音楽の夕べ」という一風変わったコンサートを聴いてきました。
 
 私がこのコンサートに「出かけようかな」と思ったのは、「歴史と音楽のコラボレーション?いったいどんなコンサートなのかな?」という好奇心が頭をもたげてきてしまった結果でした。
        
        ※ 今回ものにできた写真はこれ一枚きりです。コンサート
         中の写真はもうあきらめています。

 札幌市生涯学習センター(愛称:ちえりあ)で行われたコンサートは、手稲区区制20周年記念事業と銘打たれ、副題が「日本各地の唄探し“手稲”の旅」となっていました。
 構成は、第1部が「手稲にこの人あり」と題して3名の方が伊藤多喜雄の司会で手稲の歴史を語りました。
 そして第2部が伊藤多喜雄のコンサートでした。

 「手稲にこの人あり」では、手稲山口地区で農家を営む尾池純一氏、手稲の歴史に詳しい野村武雄氏、旧手稲鉱山の職員だった西尾貞敞氏のいずれも70~80代の3人が登壇し、多喜雄の司会で手稲の歴史を語ってくれました。特に野村氏は相当に手稲の歴史に精通しているらしく、現在の手稲区が山口県や広島県からの移住者、そして加賀藩主・前田利嗣侯などによって拓かれたことを明快に語ってくれました。「手稲山口」、「手稲前田」など現在の地名として残っているのはその証であると・・・。
 他の二人も当事者でなければ語れぬ貴重な証言を数々語ってくれました。

 三人が降壇した後、さらに一人、札幌で唯一の尺八工房を手稲区で開いている中西秀峯氏が登壇し、尺八づくりの工程などについて語り、自ら尺八を演奏してくれました。
 特徴的だったのは司会を務めた伊藤多喜雄氏が事前に手稲の各地域を訪れ、登壇した人たちにも事前取材をした上で本番を迎えていたことでした。プロ根性見たり!

 第2部は伊藤多喜雄の本職、唄のステージです。
 多喜雄の民謡は旧来の尺八、三味線だけの伴奏ではなく、ピアノとドラムを加えたダイナミックな舞台が特長です。多喜雄のボリュームある声量とバックバンドの音が相まって旧来の民謡とは一味違ってダイナミックに魂を揺さぶります。
 特に彼の代表曲「TAKIOのソーラン節」は何度も聴いているせいでしょうか、聴いているうちに自然に体が熱くなってくるのを覚えるほどです。(こちらをお聴きください つい2~3日前に苫小牧で歌ったものです) 
 ただ、多喜雄のステージと手稲の歴史とが私の中ではいっこうに結び付いてはきませんでした。
 少なくとも表面上は多喜雄の普通のステージだったように思います。そう思うのは浅はか考えなのかもしれません。
 地域を理解する、地域の歴史を理解することが、彼の唄に今以上の深みを与えることに繋がるのだと考えるべきなのでしょう。


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