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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

なぜ今“地域共生社会”が提唱されるのか?

2017-10-25 21:36:20 | 講演・講義・フォーラム等
 日本は今、全体人口が縮小し、高齢社会に突入しようとしている。そうした中、地域に住む人々が共に生きる地域社会を創造することが提唱されている。なぜ今、“ 地域共生社会”の創造が必要なのか、考えるフォーラムに参加した。 

               

 10月21日(土)午後、道新ホールにおいて札幌市内の社会福祉法人が共催で「札幌社会福祉フォーラム2017」が開催され、参加した。
 フォーラムは二つの講演と、パネルディスカッションで構成されていた。
 講演は、一つは中央大学法学部教授の宮本太郎氏「共に生きる地域社会~新しい生活保障~」と題して、もう一つは厚生労働省の政策企画官である野崎伸一氏「なぜいま『地域共生社会』を提案するのか」と題して、それぞれ講演された。
 それぞれがヴォリュームのあるお話だったので、それを再現するのは難しいので、ごくごく要点(と思われる点)に絞ってレポしてみたい。

 宮本氏は日本の人口構成を次のような切り口から説明した。
日本は1960年に人口1億人社会となり、その後も増加していったが、やがてピークが過ぎ2040年には再び人口1億人社会となると予想されている。ところがその人口構成が1960年には現役世代と高齢世代の比率が10対1だったものが、2040年にはその比率が0.5対1になるという。人口構成比の激変である。
 このことは、現役世代が高齢世代を支えるというこれまでの構図がもはや描きにくくなっているということを示している。

               

 一方、日本は世界有数の長寿国となったが、高齢者の中に幸福感が広がっていないとい
う。それは、高齢者の困窮問題、孤立問題、終活問題など、これまでには考えられなかっ
た問題が次々と生起してきて心休まる状況にはなっていないことがあるという。
 こうした社会の新しい課題に対して、これまで縦割り行政では問題に十分対応しきれなかったり、あるいは財政的に支えることが難しくなってきているという現実があるという。

 宮本氏が言うには、これからの日本においては、これまでの「支える側」、「支えられる側」という二分法では成り立たなくなる社会になってきていると指摘する。
 だからこれからの社会は、誰もがどこかで支えられ、誰もが誰かを支えるような「支え合い」を公的支援と地域力を合わせて“地域共生社会”を創造していかねばならないと主張された。

 宮本氏が言われたことを、誤解を恐れずに極論すれば、もはや公的支援だけに頼り切る(支えられる)ような生活や老後は不可能ですよ、宣言されたと受け止めた。

 厚生労働省の野崎企画官のお話も、話の内容は宮本氏の話と大同小異といった感じで、国の立場から「地域共生社会」の創造を後押しする話だったと受け止めた。

               

 国の財政が“火の車”であることは良く聞く話である。その中でも、社会保障費の増大は深刻で、今の仕組みのままでは益々社会保障費が膨れ上がるばかりで国の財政が立ち行かなるという危機感から、国は国民に自助努力を求めてきたとも受け取れる。
 これは誰かを批判していれば済む話ではない。一人ひとりが時代認識を新たにして、支え、支え合う「地域共生社会」の創造に参画していかねばならないことを教えられた二つの講演だった。

 しかし、「地域共生社会」の具体像ということになると、どのようなものなのだろうか?
 その一端を、講演に続いて行われたパネルディスカッションで垣間見ることができた。明日そのあたりについて言及してみたい。


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