田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 141 家族

2015-10-07 22:48:00 | 映画観賞・感想

 1970(昭和45)年、一つの家族の物語を通して、高度経済成長期にかかりつつあった当時の日本を見事に活写した映画である。倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆といった個性が際立つ俳優たちが山田映画を見事に体現してくれている。 

 10月5日(月)午後、めだかの学校の10月の学習会が開催された。めだかの学校では現在、「映画の中の北海道-昭和編」と題して、シリーズで北海道が舞台のとなった映画を連続して視聴している。今回は山田洋二監督・脚本の「家族」が取り上げられた。

                 

 映画は九州・伊王島の炭鉱員として働く風見精一(井川比佐志)一家が、酪農を夢見て北海道・中標津町へ移住する旅の中で起こるさまざまなエピソードを綴っているものだ。
 それは図らずも(いや図っていただろう)1970年代の日本を写すロードムービーとなっていた。石油産業で発展しつつある福山市、大阪万博、東京の上野、函館の朝市、等々を通して、発展しつつある日本の現状を映し出していた。

 一方、精一一家はそうした繁栄から取り残され、厳しい北海道の果ての開拓に挑もうとしていた。(実際には離農した酪農家の後を受け継いだような形だが…)

            

 今回この映画を取り上げた、めだかの学校の企画担当者は、上映前に精一一家が入植することになった根釧パイロットファームの厳しい現実についてレクチャーした。当時、国の援助を得ていたとはいえ、厳寒の大地での酪農経営は大変だったようだ。
 用意された施設設備が中途半端なうえ、酪農経営をするには耕地面積が少なかったという。そのうえ、導入されたジャージー牛の品質が悪く次々と伝染病に倒れていったという。
 そうしたことが、全てが入植者の負担となったため、自己資金に乏しい入植者は次々と離農せざるを得なかったという現実があったそうだ。

 映画は、福山の企業に職を得て小市民的生活を手にした弟一家(前田吟)、万博に沸く大阪の様子、東京・上野の安宿、函館の朝市の様子などを映し出しながら、列車で移動する精一一家を追う。
 自己中心的で、あまり思慮があるとも思えない一家の柱の精一。
 移動の無理がたたって一歳の長女を旅の途中(東京)で亡くしてしまい、悲嘆にくれる精一の妻・民子(倍賞千恵子)だが、気丈にも精一を懸命に支え続ける。
 精一の思慮のない発言を戒める父・源蔵(笠智衆)。
 
            

 そうしてようやくたどり着いた中標津は、精一が思い描いたような土地ではなかったようだ。精一に山田監督が言わせた次の言葉がそれを象徴する。「えらか所に来てしもうたばい」…。
 えらか所にたどり着いた直後、今度は父・源蔵が息を引き取ってしまう。結局、精一一家は五人から三人になってしまった。

 暗く、つらい場面の多い映画だが、映画は最後につらい冬を乗り切って、北の大地に緑が蘇り、精一一家が飼う牛が生れ、また民子の中にも新しい生命が宿る、という明日への希望を抱かせるところを描き、The ENDとなる。
 はたして精一一家のその後はどうなったのだろうか?思わずそう心配したくなるほど、精一は頼りなげだった。しかし、きっと気丈な民子、献身的な民子が傍に付いているから逞しく北の大地で生きていったことだろう、と思わせてくれたラストシーンだった。

 映画が制作されてから45年も経っているにしては画質が非常によく、見やすかったこともあり、おおいに楽しめた。特に、倍賞千恵子の演技力にはいまさらながらに感服した。
 彼女の良さを十分に描き切った映画ではなかったか?
 実は、山田監督は、この「家族」をはじめとして、1972年に「故郷」、1980年に「遥かなる山の呼び声」と倍賞千恵子を主役に据えた「民子三部作」といわれるシリーズを制作している。



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2 コメント

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あの時代を懐かしく感じたり・・。 (夢逢人)
2015-10-08 18:45:53
貴兄が加盟している《・・めだかの学校では現在、「映画の中の北海道-昭和編」と題して、
シリーズで北海道が舞台となった映画を連続して視聴している。・・》

めだかの学校は各分野を学ぼうとする学研クラブのように感じています。
そして確かに北海道は映画、そしてテレビドラマの作品が舞台のなったのは多いです。

今回、山田洋二監督・脚本の名作『家族』を貴兄は鑑賞され、
的確に貴兄の解説された文に好感している次第です。
もとより昭和40年代のあらゆる情景が表現され、私は一年前のふたたび観て、
あの時代を懐かしく感じたり致しました。

そして《めだかの学校の企画担当者は、上映前に精一一家が入植することになった根釧パイロットファームの厳しい現実についてレクチャーした。
当時、国の援助を得ていたとはいえ、厳寒の大地での酪農経営は大変だったようだ。
用意された施設設備が中途半端なうえ、酪農経営をするには耕地面積が少なかったという。
そのうえ、導入されたジャージー牛の品質が悪く次々と伝染病に倒れていったという。
そうしたことが、全てが入植者の負担となったため、自己資金に乏しい入植者は
次々と離農せざるを得なかったという現実があったそうだ。》

こうした現実は私は無知でしたので、初めて学んだ次第です。            

《・・特に、倍賞千恵子の演技力にはいまさらながらに感服した。
彼女の良さを十分に描き切った映画ではなかったか?
実は、山田監督は、この「家族」をはじめとして、1972年に「故郷」、1980年に「遥かなる山の呼び声」と倍賞千恵子を主役に据えた「民子三部作」といわれるシリーズを制作している。・・》

私も倍賞千恵子さんの演技力には称賛している次第です。

余談ですが、たまたま私は山田監督と倍賞千恵子さん主演の作品は、
『下町の太陽』(1963年)と『霧の旗』(1965年)を鑑賞してきましたので
三部作に連動したかしら、と思ったりする時もあります。

Re:あの時代を懐かしく感じたり・・ (田舎おじさん)
2015-10-09 22:07:08
 夢逢人さん、コメントありがとうございます。
 この映画が制作された1970年は個人的にいうと、ちょうど私が就職した年にあたります。映画の中で、函館市の朝市が映し出されたのですが、市場内を馬が荷車を曳いていたシーンが映し出されて、「えーっ、そんな時代だったぁ?」と思ったものでした。
 日本における45年間というのは、ずいぶんと時代の変遷があったことを感じさせてくれた映画でもありました。

 めだかの学校の「映画の中の北海道-昭和編」はまだしばらく続くようですので、これからも楽しみたいと思っています。

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