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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北の歴史が動いた瞬間 3

2012-10-28 23:07:53 | 札幌学 & ほっかいどう学
 北の歴史が動いた、というよりは日本の歴史が動いた瞬間である。講師の合田氏は、日本が太平洋戦争に突入した、日本の歴史が動いた瞬間を昭和16年12月8日の開戦の詔書が発せられた時であると新聞記事の写しを示した。 

 札幌学院大学コミュニティカレッジ「北の歴史が動いた瞬間」第3講(最終講)は10月25日(木)に行われた。第3講のテーマは北海道の歴史というよりは、日本の歴史の大きな転換点であった「太平洋戦争」がテーマだった。本日の投稿は少し長くなるが、興味のある方はお付き合いください。

               
          ※ 昭和16年12月9日付の朝日新聞夕刊です。左側に小さく社説の欄が見えます。

 合田氏は朝日新聞の昭和16年12月9日付夕刊(実際は8日の夕刊だが、当時の慣習で夕刊は翌日付で発行されていたそうだ)のコピーを受講生に渡した。そこには 「宣戰の大詔渙發さる」 という大きな見出しが躍り詔書全文が載っていた。

        
        ※ 宣戦の詔書の写しです。(ウェブ上から)

 その詔書は非常に興味深いものだが原文ではとても内容の把握が難しい。そこでウェブ上に現代語訳文が載っていたので、それを紹介することにする。そこにはなぜ日本があのような太平洋戦争に突入していったのか、日本人の側から見た答えがそこにある。

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。 
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。 
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 

 そしてこの詔書の横に朝日新聞の社説が掲載されている。その社説そのものは鮮明さを欠いていて判読困難なのだが、これもまたウェブ上から見つけたので紹介することにする。(というのも、後ほど紹介するニューズウィーク紙の社説の対比が興味深いからである)

          
          ※ 講義をする合田一道氏です。

帝國の對米英宣戰 と題した朝日新聞の社説である。

 宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向うところは厳として定まったのである。わが陸海の精鋭はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。 
 帝国は、日米和協の道を探求すべく、最後まで条理を尽くして米国の反省を求めたにも拘わらず、米国は常に謬れる原則論を堅守して、わが公正なる主張に耳をそむけ、却って、わが陸海軍の支那よりの全面的撤兵、南京政府の否認、日独伊三国同盟の破棄というが如き、全く現実に適用し得べくもない諸条項を強要するのみならず、英、蘭、重慶等一連の衛星国家を駆って、対日包囲攻勢の戦備を強化し、かくてわが平和達成への願望は、遂に水泡に帰したのである。すなわち、帝国不動の国策たる支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は、もはや米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を、東亜の全域から駆逐するにあらざれば、到底その達成を望み得ざる最後の段階に到達し、東條首相の言の如く『もし帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となる』が如き重大なる事態に到達したのである。 
 事ここに到って、帝国の自存を全うするため、ここに決然として起たざるを得ず、一億を打って一丸とした総力を挙げて、勝利のために戦いを戦い抜かねばならないのである。 

 社説は詔書を受け、国民を鼓舞する内容になっている。対して、合田氏が用意してくれた開戦当時のニューヨークタイムズが興味深い。記事と共に紹介された12月8日付のニューヨークタイムズの社説を紹介する。

 日本との戦争 

 日本の攻撃に対する一つの答えは、日本に対してただちに宣戦布告をすることである。これは、日本が、アメリカがその力を大西洋から太平洋に振り向けることを望むドイツの力に屈した結果なのか、狂気に満ちた日本軍部主導による単独の行為なのかは、まだよくわからない。しかし、今重要なのは米国の防衛を破壊する行為が敵国によって行われたことである。 
 我々はこの行為に対し、すみやかに応戦するだろう。ただ、我々にとって最大の脅威は日本ではなくドイツであることを忘れてはならない。本当の戦いは極東ではなく、英仏海峡にあるのである。欧州戦線の兵力を常に整備しなくはならないのである。ヒットラーが打倒されれば、自ずと極東情勢は収拾する。しかし、仮に日本に勝利したとしても、ヒットラーが欧州で勢力を握れば、我々の危機は増大するのである。 
 米国は攻撃された。米国は今危機にある。国を愛する国民は民主主義を信じ守り通そう。我々は、この国土と現在、未来、そしてこの自由な国土で我々が築きあげてきた生活を守るために、戦闘を開始するのである。 

 下線は私が付けたものだが、日本が宣戦布告した太平洋戦争に対して、日本を脅威とは捉えていない米国の本音を見て取れる。日本が宣戦布告をしてきたので、その防御のために戦闘に入るのだという米国の思いであり、本当の脅威は欧州戦線にあるとしているところが見て取れる。

 この二つの新聞の社説のトーンの違いをどう解釈すべきなのだろうか? 合田氏は別の資料を用意して、当時の日米両国の国力・軍事力を比較したものを用意してくれた。それを見ると両者の差はあまりにも歴然としていて、愕然とする思いである…。

          
     ※ 合田氏が用意した米軍による日本国民に抵抗を止めるよう呼びかけるパンフの写しです。

 かくして3回にわたった合田一道氏による「北の歴史が動いた瞬間」の講座は終了した。またどこかの機会に合田氏の講座をぜひ聴いてみたいと思った三日間だった。


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