空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。
新十津川縦断ルート
ご存じのように新十津川町は奈良県十津川村から移住した人たちが拓いた町として有名である。豊かな田園地帯が広がるフットパスルートであるが、ルート名が示すとおり街を縦断する長いルートだった。しかし、その先に待っていたものは…。
雨竜町のフットバスを終えたとき、時計の針は13時を指そうとしていた。時間がない。私は急いで隣町の新十津川町に車を走らせた。ゆっくり昼食を摂る時間などない。車を走らせながら軽食を口にするのが精一杯だった。
そして13時25分、新十津川町のスタート地点である「JR新十津川駅」の駅舎の前に立った。新十津川駅はJR札沼線(学園都市線)の終着駅ということだが、駅舎そのものはとっても小さく、駅員も駐在していない無人駅だった。
※ かわいい、かわいい「新十津川駅」である。愛車と一緒にパチリと…。
新十津川駅からやや迂回しながら踏切を渡り線路を越えた。
街外れにあった新十津川小学校の前の白樺の並木が見事(!)に斜めに立っている。強風のためと思われるが、方向的には南風になる。南風が強いのは何時の季節なのだろうか?
※ 見事(?)に傾いて立つ白樺並木です。
※ シャングルジムなどの体育遊具があるところがいかにも小学校らしいですね。
小学校を通り抜けると田園風景が広がる。ここでも稲を刈り取り、稲の茎の部分だけ残った田んぼが広がっている。そうした田んぼの中に、刈り取った稲の貯蔵施設「RICE BOX21」の建物が目に入ってくる。ここで「オヤッ?」と思ったことがあった。施設名「「RICE BOX21」の上に「JAピンネ」の文字があった。隣の雨竜町では「JA北空知」だった。どうやら雨竜町と新十津川町では農協の組織が違うようだ。なお、「ピンネ」とは新十津川町と当別町の町境にある山「ピンネシリ」からとったように思われる。
※ 稲刈りを終えた田んぼの向こうには新十津川のマチが望まれます。
※ JAピンネのコメ貯蔵施設「RICE BOX21」の建物です。
ここからが大変だった。延々と田んぼや畑が続く、ある意味単調な景色の中を郊外の「ふるさと公園」を目ざしてのウォーキングである。中心街からはざっと見ても4㎞以上あるのではないだろうか?
「ふるさと公園」に至るまでに気づいた光景としては、早々と庭の木々の冬囲いを終えた光景と、コンバインで大豆を収穫する光景くらいだった。
※ 早々と冬囲いを終えた農家の庭先です。
※ 一台のコンバインが大豆の収穫作業をしていました。現代の農業は収穫作業も一人なんですね。
長い道を辿り(ここを折り返さなくてはならないところが辛い)ようやく「ふるさと公園」に着いた。着いてみて、ルート設定者がなぜここまでルートを伸ばしたのか、その理由が分かったような気がした。そこには小さな町としては過ぎるくらいの素晴らしい施設群が揃っていた。その施設を羅列してみると…。
①グリーンパークしんとつかわ(温泉宿泊施設)、②サンヒルズ・サライ(研修宿泊施設&レストラン)、③ケビン村VILLA徳富(宿泊用キャビン)、④青少年交流キャンプ村、⑤室内パークゴルフ場、⑥登り窯「屯田陶房」、⑦新十津川物語記念館、⑧文化伝習館、⑨ピンネスタジアム(ナイター設備も整えた野球場)、少年野球用のふるさと球場、⑩温水プール、⑪スポーツセンター、⑫野外ステージ、⑬サンウッドパークゴルフ場、⑭テニスコート(9面)、⑮サッカーコート(全面芝)、というように町民のためのスポーツ・レジャー施設が一ヵ所に集中して建設されていたのだ。
私もいろいろな市町村を巡っているが、これほどの施設群が一所に集中して存在している例は記憶にないくらいだ。
※ きれいな芝生が全面に敷かれたサッカーコートです。
※ スポーツ合宿などに利用できる宿泊施設「サンヒルズ・サライ」の建物です。
※ 広い芝生が広がる野外ステージ、右側がスポーツセンター、その奥に温水プールがあります。
全てを見て回ることは時間的にも困難だった。
私はそのマチの歴史を知る上でもできるだけ資料館や博物館の類を訪れることにしているが、ここでも「新十津川物語記念館」を訪れてみることにした。「新十津川物語記念館なんてしゃれたネーミングだなあ」と思いながら訪れた(入館料140円)のだが、そこはなんと、NHKのテレビドラマにもなった「新十津川物語」を記念する記念館だったのだ。内部は原作者の川村たかし氏に関する資料と、NHKドラマの放映資料だけの展示施設だった…。
「新十津川物語」について私は寡聞にして知らないが、奈良県十津川村が大水害に襲われたのを機に、村民が北海道に移住し苦難の末に現在の新十津川町の礎を築いた歴史を辿るという実話をもとにした小説を映像化したもののようだ。そのため新十津川町民にとってはことのほか思い入れが深いようである。
※ 「新十津川物語記念館」です。完全な逆光のため苦労しました。
※ 内部は原作者の川村たかし氏の功績をたたえる展示が主でした。
もう一つ、公園内で「11月22日オープン」という赤い文字が目立ったので、何かな?思って近づいてみると、これが冬季用の「室内パークゴルフ場」のオープンを伝えていたのだ。長さが100メートル近くあるのではと思われるビニールハウス棟が3棟建っていた。中を覗いていると全面芝のコースには凹凸まで造られており、資料を調べると18ホールでPar66、全長541mと本格的である。
※ 屋内パークゴルフ場のオープンを伝える表示と、その後ろには3棟のビニールハウスが建てられています。
これほどの恵まれ施設を享受できる新十津川町民を羨ましく思いながら「ふるさと公園」を後にした私だった。
(新十津川町ルートの後半は後編で)
新十津川縦断ルート
ご存じのように新十津川町は奈良県十津川村から移住した人たちが拓いた町として有名である。豊かな田園地帯が広がるフットパスルートであるが、ルート名が示すとおり街を縦断する長いルートだった。しかし、その先に待っていたものは…。
雨竜町のフットバスを終えたとき、時計の針は13時を指そうとしていた。時間がない。私は急いで隣町の新十津川町に車を走らせた。ゆっくり昼食を摂る時間などない。車を走らせながら軽食を口にするのが精一杯だった。
そして13時25分、新十津川町のスタート地点である「JR新十津川駅」の駅舎の前に立った。新十津川駅はJR札沼線(学園都市線)の終着駅ということだが、駅舎そのものはとっても小さく、駅員も駐在していない無人駅だった。
※ かわいい、かわいい「新十津川駅」である。愛車と一緒にパチリと…。
新十津川駅からやや迂回しながら踏切を渡り線路を越えた。
街外れにあった新十津川小学校の前の白樺の並木が見事(!)に斜めに立っている。強風のためと思われるが、方向的には南風になる。南風が強いのは何時の季節なのだろうか?
※ 見事(?)に傾いて立つ白樺並木です。
※ シャングルジムなどの体育遊具があるところがいかにも小学校らしいですね。
小学校を通り抜けると田園風景が広がる。ここでも稲を刈り取り、稲の茎の部分だけ残った田んぼが広がっている。そうした田んぼの中に、刈り取った稲の貯蔵施設「RICE BOX21」の建物が目に入ってくる。ここで「オヤッ?」と思ったことがあった。施設名「「RICE BOX21」の上に「JAピンネ」の文字があった。隣の雨竜町では「JA北空知」だった。どうやら雨竜町と新十津川町では農協の組織が違うようだ。なお、「ピンネ」とは新十津川町と当別町の町境にある山「ピンネシリ」からとったように思われる。
※ 稲刈りを終えた田んぼの向こうには新十津川のマチが望まれます。
※ JAピンネのコメ貯蔵施設「RICE BOX21」の建物です。
ここからが大変だった。延々と田んぼや畑が続く、ある意味単調な景色の中を郊外の「ふるさと公園」を目ざしてのウォーキングである。中心街からはざっと見ても4㎞以上あるのではないだろうか?
「ふるさと公園」に至るまでに気づいた光景としては、早々と庭の木々の冬囲いを終えた光景と、コンバインで大豆を収穫する光景くらいだった。
※ 早々と冬囲いを終えた農家の庭先です。
※ 一台のコンバインが大豆の収穫作業をしていました。現代の農業は収穫作業も一人なんですね。
長い道を辿り(ここを折り返さなくてはならないところが辛い)ようやく「ふるさと公園」に着いた。着いてみて、ルート設定者がなぜここまでルートを伸ばしたのか、その理由が分かったような気がした。そこには小さな町としては過ぎるくらいの素晴らしい施設群が揃っていた。その施設を羅列してみると…。
①グリーンパークしんとつかわ(温泉宿泊施設)、②サンヒルズ・サライ(研修宿泊施設&レストラン)、③ケビン村VILLA徳富(宿泊用キャビン)、④青少年交流キャンプ村、⑤室内パークゴルフ場、⑥登り窯「屯田陶房」、⑦新十津川物語記念館、⑧文化伝習館、⑨ピンネスタジアム(ナイター設備も整えた野球場)、少年野球用のふるさと球場、⑩温水プール、⑪スポーツセンター、⑫野外ステージ、⑬サンウッドパークゴルフ場、⑭テニスコート(9面)、⑮サッカーコート(全面芝)、というように町民のためのスポーツ・レジャー施設が一ヵ所に集中して建設されていたのだ。
私もいろいろな市町村を巡っているが、これほどの施設群が一所に集中して存在している例は記憶にないくらいだ。
※ きれいな芝生が全面に敷かれたサッカーコートです。
※ スポーツ合宿などに利用できる宿泊施設「サンヒルズ・サライ」の建物です。
※ 広い芝生が広がる野外ステージ、右側がスポーツセンター、その奥に温水プールがあります。
全てを見て回ることは時間的にも困難だった。
私はそのマチの歴史を知る上でもできるだけ資料館や博物館の類を訪れることにしているが、ここでも「新十津川物語記念館」を訪れてみることにした。「新十津川物語記念館なんてしゃれたネーミングだなあ」と思いながら訪れた(入館料140円)のだが、そこはなんと、NHKのテレビドラマにもなった「新十津川物語」を記念する記念館だったのだ。内部は原作者の川村たかし氏に関する資料と、NHKドラマの放映資料だけの展示施設だった…。
「新十津川物語」について私は寡聞にして知らないが、奈良県十津川村が大水害に襲われたのを機に、村民が北海道に移住し苦難の末に現在の新十津川町の礎を築いた歴史を辿るという実話をもとにした小説を映像化したもののようだ。そのため新十津川町民にとってはことのほか思い入れが深いようである。
※ 「新十津川物語記念館」です。完全な逆光のため苦労しました。
※ 内部は原作者の川村たかし氏の功績をたたえる展示が主でした。
もう一つ、公園内で「11月22日オープン」という赤い文字が目立ったので、何かな?思って近づいてみると、これが冬季用の「室内パークゴルフ場」のオープンを伝えていたのだ。長さが100メートル近くあるのではと思われるビニールハウス棟が3棟建っていた。中を覗いていると全面芝のコースには凹凸まで造られており、資料を調べると18ホールでPar66、全長541mと本格的である。
※ 屋内パークゴルフ場のオープンを伝える表示と、その後ろには3棟のビニールハウスが建てられています。
これほどの恵まれ施設を享受できる新十津川町民を羨ましく思いながら「ふるさと公園」を後にした私だった。
(新十津川町ルートの後半は後編で)