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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

そらちフットパスウォーク 12 月形町 前編

2013-09-07 23:15:57 | フットパスウォーク & トレッキング
空知支庁10市14町では空知総合振興局の勧め(?)で各市町それぞれ1コースずつのフットパスコースを設定し、それをまとめたルートガイドを発刊した。いずれもが各市町の見どころを満載したルートとなっている。私はこの24のコースを時間をかけて、ゆっくりと完歩したいと思い立った。 

近代史の断面をリアルに触れる月形ルート

 月形町はその町名の由来からも樺戸集治監を抜きにしては語れないようだ。月形町のフットパスルートも開拓に尽力した樺戸集治監の囚人たちの軌跡を辿るルートだった。 

        

 不順な天候が続いた8月下旬の道央の天候だったが、9月5日(木)に起床したときに空が晴れていたので急遽『そらちフットパスウォーク』に取り組むことにし、朝7時すぎ月形町に向かった。この日は月形町、浦臼町、奈井江町の三つのフットバスルートを踏破しょうと考えて家を出たのだった。

 月形町という町名の由来だが、樺戸集治監の初代典獄(所長)「月形潔」の姓がその由来だそうである。

 月形町のルートのスタート&ゴールは「JR石狩月形駅」である。駅の駐車場に車を置いてフットパスを始めることにした。

          
          ※ JR石狩月形駅の駅舎である。空の色が不気味です。

 スタートしたのは8時20分だったが、ちょうど月形駅に列車が到着し通学している月形高校の生徒たちがたくさん降りてきた。生徒指導の先生が出迎え「おはよう!」と声をかけているのだが、誰も返事をしていなかったようだ。ちょっと寂しい光景である。
 駅のすぐ近くには趣のある煉瓦の倉庫があった。マップの説明では昭和初期に農作物の集積所として建設され、今は農協の資材倉庫になっているということだ。

          

 踏切を超え、月形高校を左手に見ながらに進むと正面に「樺戸神社」が見えてくる。

          

 さらに坂道を進むと丘全体が公園となっている「円山公園」が広がっている。園内には樺戸集治監の歴代典獄の功績を記念する「歴代典獄記念碑」が立てられ、その横には樺戸集治監の囚人たちによって植えられたおよそ600本の杉林があった。杉の木の群生地としては国内の北限とされているそうだ。

          

          

 「円山公園」を後にして月形町の住宅地に戻ってくる。路傍にはススキの穂が目立ち秋を感じさせてくれる。ちょうどJR学園都市線の踏切を通過しようとするとき珍しく電車が通過したので一枚写真に収めた。

          

          

 ルートは国道275号線に導かれる。「篠津山囚人墓地」を目ざして一直線の国道をひたすら進む。「篠津山囚人墓地」を目ざすには国道を通るルートしかないのだろうが、車がたくさん行き交う国道のフットパスルートはあまり歓迎できないルートである。
 国道の両側には収穫を間近に控えた稲作地帯が広がっていた。今まさに黄金色に染まろうとするその光景は豊かな田園風景そのものである。ところが私はこの後、厳しい現実にも直面するのだった…。

          

          

 水田以外目にするものもない国道をどれくらい進んだろうか?道路脇に「篠津山霊園」と「篠津山囚人墓地」と書かれた看板が目に入った。
 国道を左折すると、左側には町の霊園が、そして右手には整然と墓石が並べられた囚人墓地があった。資料によると1022名の無縁仏が眠っているということだ。

          

          

 墓地の横にテントが横たわっていたので、近くの方にお聞きしたところ「つい先日、慰霊祭があった」とのことだった。その方は「樺戸集治監の囚人たちは、月形町を開拓してくれた恩人である」と話をしていたが、月形町の人たちの囚人への思いを代表している声のように思えた。
 帰宅して調べたところ、「樺戸集治監が開庁した9月3日には、毎年ここで多くの来賓を迎えながら、月形町主催の『樺戸監獄物故者追悼式』が盛大に行われています。」という記事を見つけた。私が訪れた2日前に今年の追悼式が行われていたことになる。

(以下、後編は明日に)


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