私が結婚を母に報告した時、
ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、
私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。
「私にとって、由美は本当の娘だからね」
ドキリとした。
母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。
再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。
けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。
気になってはいてもそのことを口に出した途端、
互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。
だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。
母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。
私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。
そして、
「私もだよ、お母さん」
すぐそう言えば良かったと後悔した。
結婚式当日、母はいつも通りの母だった。
対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。
式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。
母は何かを準備していたらしく、
司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。
すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。
「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。
お母さんに会いたい。
お母さんどこ?
由美を迎えに来て。
由美ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」
そこで声はピーっという音に遮られた。
「以上の録音を消去する場合は9を…」
と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。
車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。
病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。
看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。
この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。
シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、
まっすぐ前を見つめながら話し始めた。
「私が夫と結婚を決めたとき、
互いの両親から大反対されました。
すでに夫には2歳の娘がいたからです」
「それでも私たちは結婚をしました」
「娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。
私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」
あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。
「私は自分を責めました」
「そしてこんな母親失格の私が、
娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、
娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。
今思えば、逆の行動をとるべきですよね」
そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。
「そんなとき、
パートから帰った私を待っていたのは、
娘からのこの留守番電話のメッセージでした」
「私は『もしもし、お母さん』
このフレーズを何度もリピートして聞きました。
その言葉は、母親として側にいても良い、
娘がそう言ってくれているような気がしたのです」
初めて見る母の泣き顔は、
ぼやけてはっきりと見えなかった。
「ありがとう、由美」
隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。
きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。
私も知らなかった。
司会者が私にマイクを回した。
事故は母が悪いわけじゃないことなど、
言いたいことはたくさんあったけれど、
泣き声で苦しい私は、
言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。
「私もだよ、お母さん。ありがとう」
ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、
私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。
「私にとって、由美は本当の娘だからね」
ドキリとした。
母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。
再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。
けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。
気になってはいてもそのことを口に出した途端、
互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。
だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。
母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。
私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。
そして、
「私もだよ、お母さん」
すぐそう言えば良かったと後悔した。
結婚式当日、母はいつも通りの母だった。
対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。
式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。
母は何かを準備していたらしく、
司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。
すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。
「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。
お母さんに会いたい。
お母さんどこ?
由美を迎えに来て。
由美ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」
そこで声はピーっという音に遮られた。
「以上の録音を消去する場合は9を…」
と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。
車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。
病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。
看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。
この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。
シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、
まっすぐ前を見つめながら話し始めた。
「私が夫と結婚を決めたとき、
互いの両親から大反対されました。
すでに夫には2歳の娘がいたからです」
「それでも私たちは結婚をしました」
「娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。
私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」
あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。
「私は自分を責めました」
「そしてこんな母親失格の私が、
娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、
娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。
今思えば、逆の行動をとるべきですよね」
そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。
「そんなとき、
パートから帰った私を待っていたのは、
娘からのこの留守番電話のメッセージでした」
「私は『もしもし、お母さん』
このフレーズを何度もリピートして聞きました。
その言葉は、母親として側にいても良い、
娘がそう言ってくれているような気がしたのです」
初めて見る母の泣き顔は、
ぼやけてはっきりと見えなかった。
「ありがとう、由美」
隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。
きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。
私も知らなかった。
司会者が私にマイクを回した。
事故は母が悪いわけじゃないことなど、
言いたいことはたくさんあったけれど、
泣き声で苦しい私は、
言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。
「私もだよ、お母さん。ありがとう」