AKira Manabe ブンブン日記

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ある結婚の話

2012-04-25 03:43:46 | Weblog
私が結婚を母に報告した時、

ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、

私の手を握りまっすぐ目をみつめてこう言った。


「私にとって、由美は本当の娘だからね」


ドキリとした。

母と私の血がつながっていないことは、父が再婚してからの18年間、互いに触れていなかった。

再婚当時幼かった私にとって「母」の記憶は「今の母」だけで、『義理』という意識は私にはなかった。

けれど、やはり戸籍上私は「養子」で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか、わからなかった。

気になってはいてもそのことを口に出した途端、

互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。

だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。

母は私の返事を待たずに「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」と言い台所に向かった。

私はその後姿を見て、自分がタイミングを逃したことに気がついた。

そして、

「私もだよ、お母さん」

すぐそう言えば良かったと後悔した。

結婚式当日、母はいつも通りの母だった。

対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。

式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。

母は何かを準備していたらしく、

司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。

すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。

「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。

お母さんに会いたい。

お母さんどこ?

由美を迎えに来て。

由美ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」

そこで声はピーっという音に遮られた。

「以上の録音を消去する場合は9を…」

と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。

車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。

病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。

看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。

この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。

シーンと静まりかえる式場で、母は私が結婚報告したのを聞いた時と同じ表情で、

まっすぐ前を見つめながら話し始めた。

「私が夫と結婚を決めたとき、

互いの両親から大反対されました。

すでに夫には2歳の娘がいたからです」

「それでも私たちは結婚をしました」

「娘が7歳になり、私はこのままこの子の母としてやっていける、そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。

私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」

あの事故は、母と一緒にいるときに私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。

「私は自分を責めました」

「そしてこんな母親失格の私が、

娘のそぼにいてはいけないと思うようになり、

娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。

今思えば、逆の行動をとるべきですよね」

そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。

「そんなとき、

パートから帰った私を待っていたのは、

娘からのこの留守番電話のメッセージでした」

「私は『もしもし、お母さん』

このフレーズを何度もリピートして聞きました。

その言葉は、母親として側にいても良い、

娘がそう言ってくれているような気がしたのです」

初めて見る母の泣き顔は、

ぼやけてはっきりと見えなかった。

「ありがとう、由美」

隣にいる父は、少しぽかんとしながらも、泣きながら母を見ていた。

きっと、母がそんなことを考えているなんて知らなかったのだろう。

私も知らなかった。

司会者が私にマイクを回した。

事故は母が悪いわけじゃないことなど、

言いたいことはたくさんあったけれど、

泣き声で苦しい私は、

言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。

「私もだよ、お母さん。ありがとう」

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