AKira Manabe ブンブン日記

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理念と経営12 月号通信2

2007-12-12 16:32:40 | Weblog
◆◆今週のことば

私は、再建を命ぜられて赴任した福岡支店では、まず、沈滞したムードを変えるために、挨拶の励行と、朝は8階まで階段を上らせ全員で体操をしました。

また、元気な女性を3人選んで、社外からの電話に集中的に待機させました。

電話が鳴ったら1度でとる。
決して2度は鳴らさない。

「おはようございます。大和ハウス工業福岡支店でございます」
と、ほがらかに用件を受けることを徹底させました。

3ヵ月経ったら、福岡市内で「大和ハウスに朝電話したら元気をもらえる」
と評判をいただきました。

これは彼女たちの自信にもなり、だんだん店も明るくなりました。

大和ハウス工業株式会社 代表取締役会長 樋口武男

★関連記事は、月刊「理念と経営」12月号に記載されています。
(6~13ページ 「巻頭対談・創業の精神を語る」)


◆◆企業事例研究 

今週の企業事例研究は、日本の古書、古美術、出版、美術館などを運営されている、京都・株式会社思文閣をご紹介します。

代表取締役社長 田中 大氏にお話を伺いました。


☆「創業~現在まで」

1937年、現在の社長である田中大氏の祖父・田中新氏が、「書肆思文閣」を個人経営として運営したことに始まります。 

その後、祖父の次男であり、大氏の父・周二氏が「株式会社思文閣」を設立。

1989年、大氏が入社。
常務、副社長を経て、2000年には社長に就任します。

「我々思文閣は、日本の優れた文化を育み、伝え、広める事により、1人でも多くの人々に、感動と豊かな心を与えつづける企業をめざす」

この経営理念の下、文化企業組織として同社を牽引され、現在では、国内はもとより、世界に向かって日本の美を発信しつづけています。


☆「逃げてはいけない」

田中社長が社長に就任して2年目のとき、突然、危機が訪れました。

銀行の貸し渋りに遭い、出版部門の業績が悪化し、創業以来、初めて赤字決算となりかけます。

会長である父に、出版事業の停止と京都・東京以外の店舗の閉鎖などを提案するも、会長はそれを一蹴。


「這いずりまわって、売ればいいんや」


それは、逃げてはいけない、立ち向かうことでしか道は開けないという父・周二氏の「教え」でした。

さらに災難は続きます。

会社の中核を担う40代社員が次々と会社を去っていくのです。

原因は、「会社の将来に限りをつけた」ということでした。

このことは田中社長をひどく苦しめ、追い込みます。
ストレスから十二指腸潰瘍になり、薬が手放せなくなるほどでした。

「逃げてはいけない」

田中社長は自らを顧みました。何が原因なのか。
下記は、田中社長の言葉です。

「頼りにしていた人が去る。これがきつかった。自分が呼び入れた人もいた。やめるというイメージはなかった。よく考えると、自分が彼らの立場だったら、田中家のためにやらされていると思うかな。社長になれるわけでもないし。いいように使われていると思うかもしれない」


☆「機構改革、意識改革」

「信頼の回復」・・・田中社長は改革に乗り出します。

まず事業部制にして、各人に責任のあるポジションを用意。
それぞれ部署で目標を設定し、その目標に対する検証、修正など社員に主体的に行わせるようにしました。

そして、田中社長はこう訴えます。

「時代は変わった、もう一度創業しよう」と。

さらに、「各人が、“自分が思文閣”と思える場をつくろう。
この会社を、“自分が主役の場”にしていこう」と呼びかけます。

そうすると若い社員たちの間に、「先がよく見えてきた。やれば報われる」という意識が芽生え、醸成されたそうです。
 
 
「逃げてはいけない。立ち向かうことでしか道は開けない」

田中社長は困難から目を背けず立ち向かったからこそ、そこで多くのことを学びました。

しかし、逃げてはそこから何も学べないのです。

★関連記事は、月刊「理念と経営」12月号に掲載されています。
(42~49ページ「企業事例研究2」)
〓AKIRA MANABE〓

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