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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

雨です

2011年04月15日 14時03分05秒 | 通信
天気予報より早く雨が降ってきました。

まだ危機的状況にある東電の福島第一原発から、明日(16日)とあさって(17日)、神戸に向かって風が吹いてくるとの情報があります。

神戸の人もこの二日間はなるべく外出を避け、換気扇を回さず、家に閉じこもっていた方がいいと進言する人がいます。

震災から一カ月たつと、集団としての被災から、被災内容が個別化してゆきます。

こういう時に政治闘争をやっている暇はないと思われるのですが、野党ばかりでなく民主党内でも、権力闘争が再開されています。

政治の混迷もまた震災後の人災の一つです。

いったいどうなってしまうのでしょう。

並んで

2011年04月14日 14時17分24秒 | 通信
ひさしぶりに並んで座り、ひそひそ、小声で語り合います。

いつもの店のいつもの席、というのが神戸市内に数カ所あるのです。

いつもの店だけれど、久方ぶりに行くとメニューも変っているし、スタッフも変っている(ただし、店内レイアウトは一緒)

声が小さい人だから並んで座っている方が、よく聞こえる。

語りのモードを管理するのはわたし。ほっておいたらいつまでも堅強(かたこわ)い話しばかりするから。

頃合いを見計らって、抒情モードにコージチェンジする。


花冷え

2011年04月13日 19時47分17秒 | 通信
今朝、まろうど社の発送作業をしながら、ことしは朝顔を育ててみようか、などと考える。

JRに乗る時、いつもわたしは海側に座る。六甲連山を車窓から見るためである。

山のところどころに桜色が点在している。

この色が山に春到来をもたらす先陣色となる。

六甲はやがて新緑の季節を迎えることになる。

すると桜色に変って、藤色が山のところどころに見えるようになる。

藤は他木に絡みながら蔓をのばし、その寄った木を枯らすほどで、精が強いと言われている。

藤色は母が好きだった色だ。

わたしは近年になって白藤の妖しさに目覚めた。

今年もどこかで白藤の藤棚を見てみたい。

やはり私は雨男なのか

2011年04月12日 19時28分04秒 | 通信
大阪城夜桜会の前日は晴れ、そしてその翌日の今日も晴れ。

夜桜会の日に限って雨。

そういえば去年は絶望的に夜桜会の日は雨だった。

16回開催するうちに、2~3年に一度は雨にたたられる。

どうやら私は雨男のようである。

イベントが天気次第という時、雨を恨んでも仕方ないが、どうしてここまでも雨にたたられねのだろう。

父もわたしよりひどい雨男だった。

溜息が出る。

雨は降ったものの

2011年04月11日 23時36分37秒 | 通信
午後1時からFMわぃわぃ「南の風」奄美篇の生放送。

この番組も今年7月で放送15年を迎えるので、島唄を録音したアーカイブスがたまってきた。

その蓄積も番組で活かそうと、今年から少しずつ以前に録音したものを紹介している。

本日紹介したのは、徳之島伊仙町伊仙出身の幸野泰士さんのうた。

番組を終わって、三宮に出て、今夜の大阪城夜桜会の準備をする。

ダイソーなどで買い物をしていると、雨がぱらぱら降ってきた。

冗談じゃない。二年続けて雨というのは受け入れられるものではない。

天をうらみつつ準備を進める。

予定の午後6時には大阪城西の丸庭園前の芝生に陣取る。今年は同庭園の夜間開放が行われている期間中とバッティングしたので、入口近くの芝生は柵が作られ入ることができない。

少しずつ参加者が増えて行ったが、時折雨が降る。本格的なものでないと分かっていても腹が立つ。

やがて今日のアトラクションの主役である俳優たちがやってきて、花見参加者からお題をもらってそれで即興劇を作ってゆくという“ジャムコント”を披露。30分の熱演に大いなる拍手がわいた。

花見は続いて第三部に突入。各人の自己紹介の語りが続く。最後に私が詩を朗読した。

今年は寒く、飲んでも酔えなかった。だから私も酔いつぶれることはなく最後まで司会をまっとうできた。

この花見も16回目を迎える。毎回充実した会となるのが嬉しい。この会をして初めて春を迎えた気分になる。

恒例の詩華交歓 今年は

2011年04月10日 19時32分13秒 | 通信
同じ花見をするなら、互いが持っている資質をいかそうと、短冊を購入して、即吟して書き込み、“うたあそび”をした。今年で4回目となるあそびである。

今年は短歌形式でまとめようと決めた。これまでは短歌、一行詩、自由律、俳句、琉歌と形式を混交させていた(それはそれで楽しかった)。相方が短歌に接する機会が多くなったので、今年は短歌に特化しようと決めたのである。私の呼吸(息と言葉)は俳句的長さと韻律だが、もうひとり人は一息の息つぎが長く、その影響か文章もワンセンテンスが長い。こういう人は、一気に詠み込む息の長さが短歌的なのである。

互いが作ってきた花弁当を食べた後に、あたあそびをした。こうして今年も花見のうたの群れが重なってゆく。

若い頃、徹底して嫌いだった桜であるが、今はその樹下で、日本人らしいことをしている。

半年になります

2011年04月09日 19時56分36秒 | 通信
iPhoneを使い出して半年になろうか。

もともとパソコンはMacだったので、PCとMobileが連動しているのは、実に快感である。

「やはりMacユーザーはiPhoneを使わなきゃ」とうそぶいたりする。

このスマートフォンはいまだに充分に注目の的で、持っているだけで誇らしい気分になる。

だが、Softbankの電話通話力は、ドコモ、auに較べると三流である。なのでなかなかSoftbankは、一番機として使うのは躊躇する。

奄美に行ったときもSoftbankは絶望的に通じなかった。いざという時はauがなければ話しにならなかったのである。

ただ都会を徘徊する程度なら、Softbankで充分だし、ネット力はiPhoneは群をぬく。携帯でパソコンと同じ画面操作が出来るというのも限りない魅力であり、ハンディパソコン(またはHandy Mac)と言って良いだろう。

IPhoneで期待はしていなかったが意外とすごものと感じているのは、写真とムービー機能である。特にムーピー機能は優れている。このムービー機能を使って、ミニ・ドキュメント映像を作れるし、ツイッターと連動してライプ動画を配信できるそうだから、ぜひ近い将来使ってみたい。

雨の神戸

2011年04月08日 13時37分35秒 | 通信
今日は朝から雨。

一日ごとに暖かくなる神戸。

桜もぼちぼちと咲き始めています。

11日(月)には、まろうど社の花見を予定しています。

参加は自由です。

今年も大阪城という大きい構えの場所で、友人、知人たちと知縁による宴を楽しみたいと思っています。

今年もカルチュラルタイフーンに奄美をテーマに参加します

2011年04月07日 13時18分05秒 | 通信
今年もカルチュラルタイフーンに参加します。

今年のテーマは、「奄美 移民と無国籍」。

開催は7月23日(土)、24日(日)のいずれか。
場所は、神戸です。
海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3丁目19番8号)

企画と司会はわたし・大橋愛由等です。


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2011 cultural-typhoon in Kobe

theme 「奄美 移民と無国籍」


 神戸は移民によって成形されてきた都市である。近代以降、日本国内に限らずアジア各地から、集まってきたひとびとは、既存の身分秩序が存在しない新興都市ゆえの自由な規範性のもとで、独自の都市文化を造ってきた。やがてひとびとは〈混ざり合い〉を進め、共同体としての出自意識が希薄化していく。そうした状況下でも、自分たちの集団のありようや、言語・文化の独自性を保ってきたエスニシティがいくつかある。

 われわれが取り扱うエスニシティ集団は、鹿児島県奄美群島の出身者たちである。現在神戸には、長田区に徳之島出身者、中央区から灘区にかけて沖永良部島出身者が、それぞれエトニ社会を形成している。奄美を故郷とする出自意識は強く、「郷友会(きょうゆうかい)」という互助・親睦共同体を複数運営。活発な活動を展開している。両島出身者とも、自前の会館を所有。そこでは、島唄や伝統芸能を継承する機能も具有している。

 われわれのセッションでは、どうして奄美出身者が神戸に集住するようになったのか、その歴史的経緯を分析することから始める。近代以降、日本、中国、米国、沖縄(琉球)、鹿児島(薩摩)といった国家・地域が絡んで、奄美の所属が何度か変転することになり、いわば「無国籍」状態が現出。時に密航という形で神戸へ経済移民を余儀なくされた時期もある。

 こうした特質を、〈底辺労働者として移住した初期〉〈終戦直後から奄美の復帰運動時期1945-1953 <tel:1945-1953> 〉〈阪神大震災の前後1995〉〈沖縄・普天間米軍基地の徳之島移設問題で揺れた「沖縄県外」と「沖縄圏内」問題など現在の姿2010-2011 <tel:2010-2011> 〉といった外部からの刺激にさらされた時に、神戸に居住する出身者とその社会がどのように対応したのかを検証。移民都市・神戸の形相のひとつとして奄美出身者のエスニシィティ集団としての特徴を考察していきたい。


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Amami: Emigration and Statelessness

This session focuses on an ethnic group in Kobe, which is originated from Amami Islands in Kagoshima Prefecture. As the age of modernization began, people gathered from various places within Japan as well as from the other Asian countries/regions to Kobe, the emerging international port town at the time. The cultural heterogeneity of those immigrants has been creating a unique urban culture free from traditional caste system and other social norms, while a consciousness of origin and identity among each ethnic community tends to dwindle as the mixture of people continues. However, even under such circumstances, some ethnic groups, including the Amamians', retain their own group identity as well as the uniqueness of languages and cultures.
First, we review a historical process to show why Kobe has a concentrated population of Amamian origin. Amami's belonging has been changed among regions/countries like Japan, China, United States, Okinawa (Ryukyu), Kagoshima (Satsuma). The Amamians have been experiencing "statelessness". In some periods, Amamian economic migration to Kobe was realized only by smuggling.
Then, we examine more closely how the Amamians and their society in Kobe faced the forced and changing current of modern history such as: "The earlier period; Amamian emigrants as bottom class labourers", "1945-1953; reversion of Amami to Japan", "1995; around Hanshin-Awaji Earthquake", and "2010-2011; the recent shock caused by a relocation plan of U.S. Marine base in Futenma, Okinawa to Tokunoshima, Amami and the related question of Amami's status (is it a place just outside Okinawa Prefecture or within Okinawa region culturally and geologically?)".
Analyzing these issues, we clarify the characteristics of the Amamian ethnicity in Kobe, one of the most visible and distinctive facets of this City of Immigrants.

コウナゴとイカナゴ

2011年04月06日 09時31分26秒 | 通信
神戸の人間にとって、この今の時期、もっとも親近感を覚える小魚といえば、イカナゴである。

私もイカナゴの釘煮が好きで、これを食べないと早春を生きている感じがしない。

このイカナゴ、関西ではシンコと言い、釘煮にしなければ、三杯酢で食べるのを好む。

実はこの魚、沖縄以外の日本近海に広く生息しているそうだ(奄美はどうなんだろう)。

知らなかった。

福島第一原発の汚染水が海に排出することによって、茨城沖でとれたイカナゴが汚染されているという新聞報道があった。

注目したのは、朝日と読売の表記の違いである。朝日はイカナゴと書き、読売はコウナゴ(漢字で書けば「小女子」)と書く。もちろん同じ魚であり、表記としてはどちらも間違ってはいない。読売は現地での呼び名に従ったのだということが推測される。

この表記の差異は、読者に微妙な感性受容の違いを生み出す。

朝日のようにイカナゴと書くと、東日本にもこの小魚が生息していることを知ることになり、神戸の人間は東日本の人たちが同じ魚をたべているのだという親近感を覚えることになる。ところが、コウナゴと書かれると、親近感が沸かないために、その記事を読み飛ばすか、読んでも原発被害の一つとぐらいしか認識しなくなる。 

読売の最近の表記を見ていると、ああやはりこの新聞は、東京発の新聞で、いつまでたっても関西に根をおろした新聞ではないのだな、と感じることがある。

少し前にもこのような感慨にひたることがあった。とある受験生が、京都大学の入学試験の最中に携帯電話から試験の解答をネット上に求めたことが発覚して、大きな社会的感心を呼び起こしたことがあった。その時の朝日はその受験生がかかわった大学を「京都大学ほか」と表記。読売は「京都大学や早稲田大学など」と表記していた。

朝日は事件が発覚した主な大学として京都大学を表記し、読売は対象の大学が関西の大学だけではなくて、東京の早稲田大学にも及んでいるという意味もあって両校の名前を併記したのかもしれない。

これは読売の視点が紙面作成の際につねに全国レベルで見つめているから、京都と東京の大学の名前を出したのだろう。

しかし全国レベルの視点というのは、東京を起点にした視点であると言い換えてもいい。関西の人間にとってあの入試問題事件は、京都大学と同志社大学が関わったことが大きな関心事なのである。それだけ両校の出身者は関西に多いためである。なので早稲田大学と書かかれてしまうと、関西では京都大学だけが関係したのではないぞ、とのツッコミを入れたくなるのである。

こうした細かい表記の仕方でも、読売がはたして関西の視点で紙面づくりをしているのか疑わしくなる。

かつて読売新聞大阪社会部は独自の紙面づくりをしていて、特に社会面は面白かった。名物記者もたくさんいて、朝日、毎日の追随を許さない迫力があった。

ひょっとしたら、現在の読売大阪本社の記事力や記者力あるいは地場力が摩耗しているのかもしれない。

読売の紙面が、関西における軸足が弱くなってしまうと、東京生まれの大新聞の大阪支店版でしかなくなってしまう。

読売・大阪本社の関西力・地場力の再構築に期待したい。





第62回『Melange』読書会・合評会のお知らせ

2011年04月05日 13時15分02秒 | 通信
第62回『Melange』読書会・合評会のお知らせ(5月8日〈日〉)

いつもより早くお知らせします。

第一部の読書会(午後1時~)は、寺岡良信氏が発表担当です。
語りの内容は「金子兜太--俳句の中の詩性」

第2部(午後3時~)は自作詩の合評会です。詩稿の締め切りは、5月5日(木)。

この会は参加自由です。

だいたい毎回7~8名の参加があります。

合評会が終わった後のお楽しみは、懇親会です。
参加者の終電車まで滞在可能です。
詩人たちの会合はいつも熱く、かつ創造的です。

〈ちなみに、6月の読書会発表予定者は、平岡けいこさん、7月は野口裕さんです〉

三宮逍遥

2011年04月04日 23時24分29秒 | 通信
昼近くまで寝る(ひさしぶり)。

午後1時に所用があって元町へ。

30分ほど面談していちど東灘の拙宅に戻る。

金融機関に飛び込み、ふたたびJRに乗って神戸駅へ。

とある公的機関で申請書類を出す。
待ち人でごったがえしていた。

用件を終えて、三宮駅で下車。

お好みの高架下バルで、カーニャをぐびり。

午前中に食べたばかりなので、ピンチョスをいつもより多めに頼む。

おでんがまだあるのはありがたい。

ほどよく酔って、帰宅。

夜は早く寝る。

神戸の四月はうららかな陽気が続く。



パリ帰りの詩人たち

2011年04月03日 23時44分14秒 | 通信
『Melange』読書会・合評会をする。

61回目。よく続いているものだ。

今日の読書会発表は、西本恵さんのパリ紀行について。

その発表ととともに、パリ旅行団として同行した人のひとりである高谷和幸さんが、千枚近くのデジタルカメラでパリ紀行を紹介してくれた。

パリは34年前に訪れただけだが、十人いれば十人のパリ観が成り立つという魅力的な街である。

高谷さんのルーブル博物館を訪れた時の写真を見ていると、彼の関心事が面白い。
徹底して古代美術に興味をいだき、特に文字が刻印された石の写真を多く撮影していた。

石に刻印された文字は、エクリチュールがそのまま存在であることを意味して、単なる文字を超えた実在性を具有を
表出することになる。

考えてみると、日本列島で石に刻印するという行為は、あまり見当たらず、墓石に名前や号を刻印することはあるが、歴史は古いとは思えない。卒塔婆には文字が書かれているが、墨を使っているし、素材は石ではなく、木である。石に刻印するのは磨崖仏や石仏のように図像(宗教的イコン)であろう。

高谷さんの詩人としての直感は、どうして石に文字(という記憶)を刻印してこなかったのかを考えさせるキッカケとなった。

第16回大阪城夜桜会のお知らせ

2011年04月02日 09時12分11秒 | 通信
〈第16回まろうど社 大阪城夜桜会のお知らせ〉

寒い冬でした。4月に入ってようやく桜が開花したものの、朝夕の冷え込みは厳しいものがあります。

恒例となっているまろうど社の大阪城夜桜会は今年も開催します。4月11日(月)です。

今年のアトラクションは、小劇場系の女優であるわたしの姪っ子(小野愛寿香)が仲間(一明一人さん、大塚宣明さん)とともに、寸劇を展開してくれます。

彼女たちの劇は、現在の関西小劇場系のもっともアクティブな面を見せてくれます。出し物は「ジャムコント」。花見に参加したひとからお題を書いてもらい、それをシャッフルして即席で劇をしたてていく、というものです。わたしはつねづね感心するのですが、彼女たちが展開している劇は、毒をはらみながら、2010年代に関西が生み出すドラマツルギーの最前線をよく表象していると思います。こうした即興劇は繰り返し展開しているもので、その塾度も高いものです。

今年も、まろうど社の花見「大阪城夜桜会」のシーズンがめぐってきました。
今回で16回目となります。3月11日に発生した東日本大震災の被害を思う時、この夜桜会が、阪神大震災で被災したわたしを励まそうと友人たちが震災が起きた年の4月に大阪城で催してくれたことが始まりであり、その友情に応えるために翌年からまろうど社主宰で続けていることを思い出しました。つまりこの夜桜会は当初から鎮魂の意味も深かったのです。

11日(月)午後6時から午後10時ぐらいまでしています。劇(ジャムコント)は、午後8時から始まります。30分を予定しています。ご期待ください。
開催場所はいつものごとく、大阪城西の丸庭園入口近くの芝生の上でします。

会は誰でも参加できます。参加は無料です。ただ、ひとつだけルールがあります。参加するひと人すべて、自己紹介をしていただくということです。その順番は、わたしがその日の情況をみて、順不同に指名させていただきます。語り/聞き、語り/聞く--という連鎖のもとに熟成される情感の共時性を楽しんでください。

なお、会場についてですが、大阪城西の丸庭園の入り口ちかくの芝生に陣取っています。大阪城公園は広く、同庭園が午後8時に閉園する(今年は自粛で夜間営業はないとの情報)と、われわれの周囲はほとんど誰もいない状態となります。ペットボトルにロウソクをともした灯明がわれわれの集団の判別方法です。意外とすぐ分かります。


今年は晴れることを切に願っています(去年は、雨にたたられすかんぽに移動。そこで情野千里さんの暗黒舞踏を展開しました)。

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■日時・4月11日(月)午後6時00分~(だいたい午後10時半ぐらいまで。何時に来てもいいですが、7時にこられる方が多いようです)。
小雨決行。大雨の時は、おそらく谷町6丁目「すかんぽ」で残念会。当日の決定については、大橋の携帯090-5069-1840 まで。

■場所・大阪市中央区の大阪城公園・西の丸庭園入口の近くの芝生です。(交通機関は、地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅下車。大阪府警・NHKの方に歩いていって、大阪城に入り、大手門をくぐり抜け、西の丸庭園を目指してください。我々の花見会場は、庭園の入口近くの芝生で行います。午後8時に西の丸庭園は閉園となりますので、後はまったく静かな環境になります。ですから、イメージするような花見会場とは全く位相の異なる会場です) 

ネットで出てきた「西の丸庭園」の位置です。 
http://map.goo.ne.jp/mapc.php?MAP=E135.31.32.721N34.41.00.261&MT=

■参加・誰でも参加自由です。もちろん、参加費は不要です。ただし、飲み物、食べ物はなにがしかのものを持ってきてください。また、夜は冷えますので、暖かい格好をしてきてください。


図書出版まろうど社 大橋愛由等より

朝日新聞の値上げ

2011年04月01日 09時19分16秒 | 通信
今日から朝日新聞が値上げした。

誰も望んでもいないのに文字を大きくした。大きくすることで情報量が減ったために、いままで同じ料金を払っていたのに情報が減ったわけだから実質の値上げである。

前回に文字を大きくしたのは、高齢者に優しい紙面づくりという取ってつけたような理由だったが、今回は二度同じ手を使えないと思えて、キャッチ的な理由づけはなかった。


これを機会に朝日新聞の購読をやめようかと家人に伝えると、一斉に「日経にしよう」と答えが帰ってきた。日経はたしかに情報量が多く、文字はおためごかしに大きくはしていないけど、同紙は、日本最大の業界紙であると認識しているので、文化関連の記事が読めないのはつらい(日経の文化欄も面白いが、経済情報を多く摂取しても私にとってあまり意味がない)。

この家人の反応でわかったことは、必ずしも購読紙は、朝日でなくてはいけないと思っていない現実であった。広告収入が落ちて経営危機も噂されている朝日なので、値上げをしたのだろう。こういうことをすれば、ますます購読者は減ってゆくことは覚悟の上だったに違いない。

わたしは全国紙はあと読売新聞をとっているが、この新聞の恣意性にもうんざりする。特にスポーツ欄。どんなに巨人が負けても、巨人の選手の写真が乗り、見出しも巨人びいき。ジャーナリズムの観点がひとかけらもない。でも読売はまだ文字を大きくしていない。複雑だ。