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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

現役ドクターの医療小説

2005年10月06日 18時50分07秒 | 出版
10月6日(木)

久坂部羊(くさかべ・よう)著『廃用身』(幻冬社)を著者から謹呈していただきました。

本書が著者にとっての小説デビュー作だそうです。

著者名はペンネームですが、本人は現役のドクターなのです。

この本は、著者が神戸にあるクリニックに勤務していた時に出会った経験をもとに、小説に仕立てています。書名の『廃用身』は医学用語で機能不全となった身体部位のことです。

これから読むことにしましょう。


こんな日の雨宿りは

2005年10月05日 18時45分12秒 | 文学
10月5日(水)

昼から断続的に降りだした雨。夜になってもやむ気配はありません。

雨だけでなく、全体に靄(もや)がかかっているような(まさに"もやっ"とした感じ)。

こんな夜は、雨と靄でモノの境界があいまいになるだけでなく、この世とあの世との境界さえも、溶解してしまいそうです。

つまり、境界が溶解すると、決界が甘くなり、異界の住人が越境してくる。上田秋成作「蛇性の淫」に登場するイケメン男が、雨宿りのために立ち寄った家で白蛇の化身女〈真女子(まなご)〉に出会ったのも、今晩のような決界が溶解した日だったのでしょう。

奇妙な光景

2005年10月04日 12時27分27秒 | 神戸
10月4日(火)

昨日、FMわぃわぃ仮事務所があるJR新長田から、三宮駅に降り立った時、交通センタービル北裏に、雄鶏が路上にいるのを発見。

どこかのおじさんが持ってきたのですが、そのおじさん曰く有名な鶏だそうで、テレビにも紹介されたとか。しかし、珍しい。愛犬ならぬ愛鶏。そしてその毛並みの見事のこと。ほれぼれするような透きとおる白さです。

そして、この雄鶏に群がったのは、どこからこれだけ集まったのかと思うほどの数の中年女性。なぜか若い女性たちではなかった。その彼女たちの殆ど全員がカメラ付き携帯を持ち出して、その男前クンをバシャバシャ撮影しはじめるのです。その光景を私が一歩ひいて撮影。美麗なる雄鶏にはどこか中年女性が好む"it"があるのでしょうか。

私はこの美麗クンをみて、よし今日は、カシワを食べようと思ったのです(カシワとは関西地方で言われている鶏肉全体のこと。若い人はあまり使わない。私より上の世代の人が使う)。

沖永良部民謡愛好会

2005年10月03日 18時05分45秒 | 奄美
10月3日(月)

本日のFMわぃわぃ「南の風」奄美篇223回目の放送は、「沖永良部民謡愛好会」(西村吉雄代表)の皆さんによる沖永良部の島唄を特集しました。

この教室は毎週火曜日の昼過ぎから神戸市灘区のとある神社の境内にある会館で練習していて、その場に私が録音機材を持ち込んで収録したものです。

合計で8曲を放送しました。
(1)ウシウシ
(2)畑ぬ打豆
(3)アンチャメー小(ぐゎ)
(4)イチキャ節
(5)サイサイ節
(6)沖永良部ちゅっきゃり節
(7)子守唄
(8)サンゴー節

同会が発足したのが7年前。近年では、毎年一回「神戸沖洲会館」で発表会をしているので、収録にお伺いした時も、みなさんは落ちついたもので、のびのびと唄っていだきました。

中でも圧巻は、(4)イチキャ節です。演奏時間が15分25秒。前半は歌詞カードに添って歌い続けていたのです。それも二つの班に分けて、上の句と下の句を唄い分けます。そして後半は、自分の持ち歌を随意にウタアシビ風に導入していくのです。この時に光彩を放ったのが、97歳になる関口ウメさん(和泊町国頭出身)。次から次へと歌詞を繰り出し、参加した全員を唸らせます。

考えてみれば、ウメさんの年齢では、先の戦争が終わった年(1945年)でも37歳。当時娯楽と言えば、サンシルを伴奏に家庭で集落で盛んに行われたであろうウタアシビだったに違いなく、特に様々な歌詞があるイチキャ節なら、いくらでもその歌詞が出てくるでしょう。

このイチキャ節で、ウタアシビ的な雰囲気を演出していただいた代表の西村氏に感謝しつつ、2人から3人でサンシルを担当した男性陣にも敬意を表したいと思っています。男性陣は、サンシル弾きに特化して黙々と弾き続けるのですが、長い演奏時間でも全くブレがないのには本当に関心してしまいました。

8曲のうち、(8)サンゴー節は、島で歌われている歌詞と違えています。和泊町国頭では、サンゴーつまり三合という表現は十に対して三という比喩で、少し頭の足りない人(ここでは女性)のことを歌っているのですが、知名の川畑先民さんのCD ではこの直截的な歌詞は省かれています(知名と和泊の差異かもしれませんが)。同愛好会でも最初は、国頭風に歌っていたとのことですが、西村さんが歌詞を選択しなおしたようです。ここにも(良い悪いは別として)、しうた歌詞のヤマト的変容を見届けることが出来ます。

この放送の再放送はまだ間に合います。10月8日(土)午後6時からFMわぃわぃにアクセスしてもらえば、同内容を聞くことが出来ます。

上写真は、FMわぃわぃスタジオで番組進行中の私(大橋愛由等)です。

祖父が遺したもの

2005年10月02日 16時56分13秒 | 神戸
10月2日(日)

父方の祖父である大橋千代造は、剛毅な人でした。

尼崎の庄司家から、大橋家に婿養子として入り、若い頃から実業家として事業を展開。羽振りも一時よかったらしく七松町の生家近くに、公民館の建物をぽんとひとつ寄贈したりしています。

しかし、事業は浮沈を繰り返していました。父が幼い頃は堺でアルミ関係の工場を経営していたのですが、うまくいかず、当時日本の植民地だった台湾・台南市で仕切り直しをします。これも数年もたたずに破綻。この時、祖母ムラは、次女(叔母、父の妹)と共に心中を覚悟したようです。

這々(ほうほう)の体で帰国した一家はなんとか終戦まで生き延びます。戦争中は、奈良の親戚筋にあたる庄屋屋敷に一家まるごと疎開していたようです(大橋はいちおう庄屋階級だったので、奈良県広陵町とその周囲には、親戚が多い。また奈良の庄屋屋敷はともかく大きい。父はこの時満州の大学に行っていたので、残る一家4人が居候したとしてもまだまだ余裕があったことでしょう)。

戦後は神戸に落ちついて旅館業を営みます。最初、やまと旅館、そして大野屋旅館を経営します。この大野屋は、兵庫県庁に近く、部長職以上でなければ利用できない格式でした。

祖父は戦後飛び込んだ旅館業界でも頭角をあらわし、一時「生田旅館組合」の役員をつとめ、湊川神社に今でも使われている賽銭箱を寄贈した有志の一人として、名が残されています。

私にとって、祖父は近づきがたい怖い人でした。太い眉で睨まれると、気弱な少年だった私はそれだけですくんでしまったのです。それでも高価なレーシングカーセットをぽんと買ってくれたりします。怖いけれど、きっぷのいいおじいちゃんでした(その時の両親が迷惑そうな顔ったらありませんでした。当時すでに祖父の借金を父が代わって弁済していたために、祖父の政治的な意図を探っていたのでしょう)。

千代造は本を読むとか、書き物を遺すといったタイプではありませんでした。私にとってもう一人の祖父(母方)である岸本邦巳は戦前から書肆を営み、賀川豊彦に触発されて社会運動を展開し、在野の立場から地域史を研究するといった知識人・活動家タイプでした。つまり世で言う"隔世遺伝"というものがあるとすれば、私の中にはこの両極端な二人の祖父が同居していることになるのです。

よもやの出会い

2005年10月01日 17時16分01秒 | 出版
10月1日(土)

ジュンク堂書店のダイエー三宮へ。ここは、センター街店より専門性の高い品揃えが売り物です。

本日購入したのは、岩波新書の二冊です。

徐京植著『ディアスポラ紀行』は、在日という位相から、永遠の故郷離散者であるディアスポラをどのように捉えているのか気になって買ったのです。徐氏の在日を「半難民」(エグザイル)として捉えているその態度は、どこか畏友・金里博氏と重なるところがあるのです。里博氏はいままだ故郷の韓国の大地に足を留めているのでしょうか。里博氏を想いつつ、この難民(エグザイル)として、またデイアスポラになりかねない在日のありようを考えていきたいと思っているのです。

司修著『戦争と美術』は、絶版になっていたので、古書肆に行くたびに探したのですが(といってネット古書店では求めなかった)、今日棚に並んでいるのでビックリ。「アンコール復刊」と帯に書かれています。なんだ版元にその気があったのなら、早く決断してくれよとブツブツいいながらレジに持っていきました。

著者の司氏とは、4年前の奄美・名瀬市で行われた島尾敏雄フォーラムでお会いして以来、この人のファンになりました。このフォーラムは、私が司会を務め、司さんに会場から発言してもらったのです。(わざわざ奄美まで足を運んでくれたのは、フォーラムに参加した川村湊氏のひきでした)。本書は、美術が戦争中にどのような翼賛体制の中に組み込まれていったかを描写しています。


そしてもう一冊の改造社版『高浜虚子全集8巻』(昭和9年発行)は、隣りのサンパルビルに入る大型古書店MANYOで購入したものです。それは、11月に虚子について発表するために購入したものですが、装幀もしっかりしていて、70年前の刊行物であるのに古びた感じはなし。こうしてちゃんとした本を造れば、半世紀たった今でも流通していくのだといういい例ですね。ただ、出版社側にとっては、刊行後も古書肆業界で商品価値が付くことは嬉しいことなのですが、一度売れたものであるということと、現在の刊行物の売上げに直結しずらいということで、悦びも「ちゅーくらい」(一茶風に発音してください)といったところではないでしょうか。