「安重根 決起百年の日に集う」についての詳細です。
》》》》》》安重根決起百年の日に集う《《《《《
☆日時/10月26日(月)午後6時~8時
☆場所/枚方市・サンプラザ生涯学習市民センター
〒573-0032 大阪府枚方市岡東町12-3-508
京阪電車枚方市駅東口サンプラザ3号館5階
(京阪電車「枚方市駅」の駅ビルの中にある枚方市の施設です)
☆会費/資料代程度(未定
◇当日の内容は以下のように考えています。
☆01--PM6:00 司会(大橋)あいさつ--この会を開催しようと思った経緯説明。
☆02--PM6:15 第1部/寺岡良信氏(大阪・金蘭千里高校歴史教諭、詩人)の話・「韓国併合」前後の東アジア情勢。司会と会場から質疑応答時間設定
☆03--PM6:45 第2部/金里博氏 「安重根を語る」時間はPM7:30まで。その後、質疑応答の時間設定。
☆04--PM7:40 第3部/詩の朗読 里博氏の安重根の詩、都さんの翻訳詩ほか、詩人たちの自作詩
☆05--PM8:00 司会挨拶で終了
◆「月刊めらんじゅ46号」に掲載した「安重根決起百年の日に集う」についての呼びかけ文です
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決起からちょうど百年
安重根が撃ったものは
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それは夏の読書遍歴から派生した驚きと確認であった。
ひと夏かけて、ちくま文庫の「ギリシア悲劇」4冊を読破しようと野望を抱いたのだが、エウリピデスの二、三篇を読んだ時点で、残る全体の圧倒的な分量に、早々に白旗を挙げてしまい、新書本読みに特化しようと変節し、『ヨブ記』(岩波新書、浅野順一著)を読了した。旧約聖書に描かれたヨブはずっと気になっていた存在だった。第一句集『群赤の街』にも「立ち尽くす六甲颪にヨブの群れ」という阪神大震災が起きた直後に作った句を収録している。ヨブはたび重なる不幸に見まわれても、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほほむべきかな」「われわれは神から幸をうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と、決して神を恨まず、自分が神に対して思いなしている義よりも、神の義を優先した信仰の厳しさを訴え続けてる。
この『ヨブ記』と同時代(紀元前5世紀)に書かれ、同じく巨きなものから与えられた辛苦に対して立ち向かうテーマが描かれているのが、なんとギリシア悲劇の「縛られたプロメテウス」(アイスキュロス作)であった。そのことを知って一度挫折した「ギリシア悲劇」読みを復活させたのは言うまでもなかった。
もうひとつの驚きは、こうした読書遍歴と関係なく購入した月刊誌「世界」10月号に掲載されていた安重根(1879-1910)の「東洋平和論」も、私の中で夏に熟成していたテーマと強い連関を持つようになるのである。キリスト教と深い関係があった安は、韓国統監府初代統監であった伊藤博文を、中国・ハルピン駅頭で暗殺するその動機について、個人を超えたなにか大きな存在と義の契約を交わしていたからこそ、“義挙”に打って出たのではないかと思っている。安にとってその決起は<義(ただ)しき>行いであったのだろあう。来月が、その“義士”の決起(1909年10月26日)からちょうど百年にあたることを知った。そこで安の義を想い、ささやかな集いを持つことを企画したのである。
》》》》》》安重根決起百年の日に集う《《《《《
☆日時/10月26日(月)午後6時~8時
☆場所/枚方市・サンプラザ生涯学習市民センター
〒573-0032 大阪府枚方市岡東町12-3-508
京阪電車枚方市駅東口サンプラザ3号館5階
(京阪電車「枚方市駅」の駅ビルの中にある枚方市の施設です)
☆会費/資料代程度(未定
◇当日の内容は以下のように考えています。
☆01--PM6:00 司会(大橋)あいさつ--この会を開催しようと思った経緯説明。
☆02--PM6:15 第1部/寺岡良信氏(大阪・金蘭千里高校歴史教諭、詩人)の話・「韓国併合」前後の東アジア情勢。司会と会場から質疑応答時間設定
☆03--PM6:45 第2部/金里博氏 「安重根を語る」時間はPM7:30まで。その後、質疑応答の時間設定。
☆04--PM7:40 第3部/詩の朗読 里博氏の安重根の詩、都さんの翻訳詩ほか、詩人たちの自作詩
☆05--PM8:00 司会挨拶で終了
◆「月刊めらんじゅ46号」に掲載した「安重根決起百年の日に集う」についての呼びかけ文です
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決起からちょうど百年
安重根が撃ったものは
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それは夏の読書遍歴から派生した驚きと確認であった。
ひと夏かけて、ちくま文庫の「ギリシア悲劇」4冊を読破しようと野望を抱いたのだが、エウリピデスの二、三篇を読んだ時点で、残る全体の圧倒的な分量に、早々に白旗を挙げてしまい、新書本読みに特化しようと変節し、『ヨブ記』(岩波新書、浅野順一著)を読了した。旧約聖書に描かれたヨブはずっと気になっていた存在だった。第一句集『群赤の街』にも「立ち尽くす六甲颪にヨブの群れ」という阪神大震災が起きた直後に作った句を収録している。ヨブはたび重なる不幸に見まわれても、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほほむべきかな」「われわれは神から幸をうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と、決して神を恨まず、自分が神に対して思いなしている義よりも、神の義を優先した信仰の厳しさを訴え続けてる。
この『ヨブ記』と同時代(紀元前5世紀)に書かれ、同じく巨きなものから与えられた辛苦に対して立ち向かうテーマが描かれているのが、なんとギリシア悲劇の「縛られたプロメテウス」(アイスキュロス作)であった。そのことを知って一度挫折した「ギリシア悲劇」読みを復活させたのは言うまでもなかった。
もうひとつの驚きは、こうした読書遍歴と関係なく購入した月刊誌「世界」10月号に掲載されていた安重根(1879-1910)の「東洋平和論」も、私の中で夏に熟成していたテーマと強い連関を持つようになるのである。キリスト教と深い関係があった安は、韓国統監府初代統監であった伊藤博文を、中国・ハルピン駅頭で暗殺するその動機について、個人を超えたなにか大きな存在と義の契約を交わしていたからこそ、“義挙”に打って出たのではないかと思っている。安にとってその決起は<義(ただ)しき>行いであったのだろあう。来月が、その“義士”の決起(1909年10月26日)からちょうど百年にあたることを知った。そこで安の義を想い、ささやかな集いを持つことを企画したのである。
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