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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

今日の歩き方

2006年09月19日 19時50分42秒 | 神戸
起床は遅め。
新聞をまあまあと読み、正午のテレビニュースを見る。
今日の朝日朝刊では、吉本隆明の“老い”についての取材記事を注意して読む。
朝食こみの昼食を食べながらゆたゆたと過ごして、缶ビールを一本あける。
金融機関からの電話がかかわってこないことを確認して、外出の準備をする。
何カ所か拙宅周囲で用事をすませて、三宮に向かう。
CDウォークマンを持ち歩くことにする。
アイヌの沖さんも参加した“KILA&OKI”というCDを入れる。
愛する人からいただいたものだ。
どうやらしばらくの間、このCDが作り出す“音の物語”の住人になりそうである。
三宮の公的機関をはしごするつもりで足を運んだが、所定のものが不足していることに気づいて、あきらめる。なんともなさけない。
それでもこなすべき仕事をいくつかした後、喉が乾き、生ビールで“うがい”をする。三杯ほど。
少しいい気持ちになって、また行くべき場所をめぐる。今度は、プライベートな要件。
CDをいただいた人と関係する案件。訪れた事務所の営業マンはいままでの人と違って、実にこまかく提案してくれる。
最初に出て来た営業マンは、ちょびひげのおにいさん。うん?! というイメージであるが、わたしも考えてみれば、口ひげをはやしている。
次に出て来た上司にあたる人はわたしの友人に似ている。
その事務所では情報を出してくれるはずだったが、次の約束があったので、明日また来ることを約してし辞する。
その案件、業界について、少しだけの情報を持っていた程度だったが、こうしてその世界で生きている営業マンと話していると、情報の深度が高まり、興味深いことである。
三宮から離れて、阪急電車で一駅向こうの春日野道駅で下車。すたすたと早足で歩き、大日商店街を歩く。高校時代の同窓であるSくんが経営する茶舗を過ぎる。挨拶はしなかった。
商店街が果てると左折して、筒井八幡宮に向かう。境内の集会所で練習をしてている沖永良部民謡愛好会の西村吉雄氏と会い、来年1月2日の長田・琉球ワールドにおける舞台出演を依頼して、快諾を得る。ホッとした。西村氏は、今度はサンシルを一本にしぼって(前回のFMわぃわぃ「南の風」の番組ではサンシルが三本演奏されていた)、唄者も厳選して望むという。その提案をありがたく拝聴する。
西村氏と別れて、高倉の前を通ると、オーナーがいて「おう」と声をかけられる。世間話をして、あほな話を交歓して別れる。彼が醸し出す雰囲気は、とある筋の人にそっくりやと思いつつ、駅に急ぐ。今日はつねに大股で急ぎ足だった。携帯で、琉球ワールドの舞台を仕切っている「琉球サンバ」店長の兼久氏に電話をかけて、一月出演者のことを伝える。
あとは二月の出演者を決めなくてはいけない。


蝶だけが一頭?

2006年09月09日 14時32分58秒 | 神戸
時々、思い出したようにツクツクホウシが公園で鳴いています。今年はこの蝉の鳴き声をあまり聞かなかったですね。
反対に多いと思ったのが、蝶の数。
ところで、この蝶だけが昆虫類で、一匹、二匹ではなく、一頭、二頭と数えるそうですね。なぜそうなったのか、ネットで調べると、これがちゃんと説明しているサイトがあるから関心です。蝶だけでなく、トンボも頭を使うと書いていました。ところが、広辞苑や小学館版・国語大辞典には、「頭」の項目を引いても、蝶を数える数詞であるとは書いていない。にもかかわらず、昆虫の研究者や、昆虫愛好家には定着しているのです。なんだか、蝶にむけられた特権的な位相のようで、複雑な感情を抱きます。蝶に近い種族の蛾は頭とは数えないのですよね。

またひとつ神戸の記憶が消える

2006年08月31日 21時57分57秒 | 神戸
本日をもって、阪急三宮駅の高架下にあるOSシネマ三劇が閉店します。
昭和22年7月オープンというのですから、60年近く神戸の人たちにしたしまれた映画館です。私も何本ここで映画を観たか覚えていない程です。寂しいなあ。

読売新聞の報道によりますと、このあと、神戸の会社が引き継いで、現在三館あるところを二館にして、単館系の映画を上映していていきたいとのこと。まあ、マイナー系映画が好きな私にとっては、こっちの方がいいのかもしれません。
OS系映画館はどうしてもメジャー指向なので、現実は通り過ぎることが多かったのです。売れ筋系のシネコンは、売れ筋系ばかり集める傾向があり、マイナーなものを丁寧に拾い上げるという少々面倒な作業をしないので、いくら上映館が増えても、マイナー系映画は相変わらず上映機会が少ないままなのです。

保久良たより05

2006年08月06日 09時38分39秒 | 神戸
欣求--という言葉があります。

登山道の途中の桜の木。枝が陽のある南に向かって伸びています。まるで群衆が、なにかを求めて多くの手を指しのべているように見えます。

「もっと光を」との枝々の生理的な欲求なのでしょうが、わたしには「助けて」と叫んでいるようにも見えます。さらに、この叫びは、今のわたしにとって、ある人に向かう切ないまでの欣求の心模様と重なるのです。

保久良たより03

2006年08月04日 08時31分39秒 | 神戸
宮城を遥拝するは空蝉か-----愛由等

保久良神社境内に皇居の方角(東)に向けた「遥拝所」が残っています。小振りな鳥居と祠(ほこら)が設えてあるのです。

戦前までは、この場所が、聖的な位置をしめていたと思われます。

もう二度とこの場所に、人々が揃って頭(こうべ)を垂れる時代がやってこないことを望んでいます。





保久良たより02

2006年08月03日 12時58分11秒 | 神戸
昨晩、突然やってきた南日本記者のF氏と三宮「さんや」で飲み、二日酔いが続く中、今日も保久良山へ。

写真は墓標ではありません。阪神大震災の時に折れてしまった保久良神社の鳥居の基礎部分なのです。

ただ、復興に募金した人たちの名前が刻された顕彰碑が建ったので、正面から見据えることが難しくなったのです。

こうして時は移りゆき、刻された名前の人たちの楽しさ、苦しみ、悩み、涙など人生の細やかなことどもも、忘れ去られていくのです。

保久良たより01

2006年08月02日 08時52分15秒 | 神戸
毎年恒例の朝登山の一日目です。

いつもより時間をかけて到着した保久良神社には、「神道」という制度が入る以前の巨石(磐座)信仰の遺物があります。まさに神々たちの舞いの庭というべきでしょう。

境内に注連縄の張った岩と、境内を出た西側に、巨石群があり、線刻もされているのです。
さて、こうした神々の舞いはいつまでしていたのでしょう。

樹齢何百年の樹木間に風が吹き渡る時、古代の神々の舞の音曲が、聞こえてきそうです。


"元"と" 前"の人たち

2006年07月21日 22時04分17秒 | 神戸
何十年かわらないメンバーです。

とある会合で、その中心をなしているのは、元職のファミリーたち。子飼い、といっては失礼だけど、心身ともにその元職につくした元部下たち。ボスである元職は物故して、その元部下たちも退職し髪の毛が白くなりはてているのですが、今も連帯意識が強い。

かたや"前職"は、自ら能吏であり、部下も能吏であることを求めたためか、元部下同士の熱い連帯は、少な目。でも最近の"前職"の表情は柔和になっている。

さて現職はどのようなファミリーを育てているのだろう。

カトリックという環境

2006年07月13日 23時34分05秒 | 神戸
少年時代の私の写真を見ていたら、少しずつ昔を思い出します。
わたしが通っていた小学校は私立で、フランチェスコ修道会に属しています。イタリアのアッシジが発祥の地です。ここはカトリックの中でも厳密な戒律を守っていることで知られ、学校内には、神父やシスターたちが住み、まさに修道所そのものでした。月曜日の朝一番目はかならず敷地内にあった教会に出向き、ミサをささげます。冬は寒く、夏は熱い木造の教会で、賛美歌を歌ったり聖書を朗読したりで、固い木製の椅子に、膝まづいたり座ったりして、早くこの時間がすぎないかとばかり思ったいたのです。
いまから振り返ると、カトリックにおける神父の先導性(優位性)が、プロテスタント系牧師より際立っていると気づきます。
わたしの中には、「聖書物語」が知らずのうちにリゾーム化しているのかもしれません。

少年時代

2006年07月12日 19時07分21秒 | 神戸
実家に寄った時、姉が見せてくれた小学校の卒業記念アルバムに掲載されていたわたしの少年時代の写真です。
おそらく小学6年生の時でしょう。自分でもすっかり掲載されていること自体忘れていました。今から見てみると、亡くなった母に少し似ているような気がします。わたしって、こんな顔をしていたのですね。

生き残っていた"つぼ焼き"

2006年06月21日 01時23分43秒 | 神戸
昨夜、三宮をひとりでとぼとぼ歩いていました。

繁華街なのですが、最近様子が少し違う。
兵庫県の条例が5月からかわって、風俗店の店員が客引きのために店の前に立つこと自体、違法となり、うるさいばかりに立って道をふさいでいた客引きたちが一斉に消えてなくなり、男性でさえ歩きやすくなったのです。

路地があるきやすくなったので、回り道をしてみると、「(サザエの)つぼ焼き」の店を発見。たしか、阪神大震災までは、三宮駅北側に屋台が何軒がでて、神戸の夜を彩る光景のひとつでした。わたしは、この食べ物がどうしても好きになれず、こうした震災前を感じさせてくれる店であっても、飛び込もうという気持ちになれないのですが、店のつくりが、屋台に似ているのが、どこか哀愁を感じさせます。ほんでも、ほんまに、おいしいんやろか。

パトスの果て

2006年06月11日 11時06分54秒 | 神戸
わたしがかかわるフラメンコライブが、昨日行われました。

二年前から毎月第二土曜日に開催され、今回で22回目。

毎月の舞台が、バイレたちを育てます。芸事というのは、舞台の場数ほどに、演者を鍛えるようです。

それに、満員のお客さんが演者を育てるとも言えましょう。