goo blog サービス終了のお知らせ 

神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

今晩みたストリートミュージシャン

2009年02月17日 23時47分10秒 | 神戸
珍しいですね。

インスツルメンタルの演奏です。フォークギターでしたが、ジャズのセミ箱型のギブソンでも演奏しても十分通用するレベルでした。

歌はなし。それでも多くのギャラリーが聴いていました。

神戸で少し毛色が変ったミュージシャンと出会うには、三宮の阪急電車の高架下か、東口周辺が好適地ですね。私もミュージシャンだったらこの地でストリートをしていると思います。

ぬおと出現した大仏

2009年02月12日 17時37分08秒 | 神戸
神戸を歩いていると、突如、史跡にでくわすことがあります。

今朝、兵庫区を早足で急いでいると出会ったのがこの「兵庫大仏」です。

大仏というのは、ほとんどがビルシャナ仏(あるいは大日如来)なのでしょうか。でも最近は巨大観音像も築造されています。日本における観音信仰の根強さを感じます。

「兵庫大仏」は1891年(明治23)に創建されてからは、奈良と鎌倉とを合わせて「日本三大仏」と呼ばれたそうです。
私の好みからいうと、「岐阜大仏」(釈迦如来)もなかなかに趣きがあって、印象に残っています。巨躯を狭い御堂の中でもうしわけなさそうに座っているさまが、愛らしいのです。

この「兵庫大仏」が先の戦争で、銅供出のために、姿を消し、戦後になって再建されたことから、この大仏か「岐阜大仏」が「日本三大仏」の三番目の位置を争っているというネット情報を読んで笑ってしまいました。大仏さんもランキングの対象になって、落ち着いて座っていられないようです。

さまざまな震災イベント

2009年01月17日 17時51分57秒 | 神戸
午前4時に起きだして、タクシーで、長田経由で、鷹取教会へ。
そこで、キリスト教・仏教の合同ミサ・法要に参加。
三宮に帰って、朝餉をすませ、たゆたう。
昼からは神戸市役所前で行われている「震災コンサート」を少しのぞく。
そのあと、そごうデパートに行って、奄美の人たち用の神戸土産を買う。
この街は、都市イメージが豊潤なために、土産ものには困らない。
夕方になっても、三宮上空は、マスコミ各社のヘリコプター数機が乱舞している。

ああ、こうして今年も1.17を迎え、終わってゆく。
明日から、私の蘇生作業が始まる。

明日、14年目の1.17

2009年01月16日 18時26分37秒 | 神戸
重い日が明日、巡ってきます。
阪神大震災が起きた1月17日から14年。

このこわばりはどうしようもありません。
今年もFMわぃわぃは、新長田の駅前で、特設スタジオを設けて、特別放送体制を敷きます。
そして神戸市役所前では、仲間たちが参加する舞台でさまざまな音楽と主張が展開されるでしょう。

ああ、どうしようもありません。
1.17を過ぎないと、私に一年は始まらないのです。

月曜日の街を歩く

2008年11月10日 18時53分51秒 | 神戸
一カ月に二度ほど、長田のFMわぃわぃに、島唄紹介番組を担当するためにでむく。

一回55分間の放送で、番組名は「南の風」。もう13年間担当している。

いつもは奄美篇を担当するのだが、今回は、普天間かおりさんが16日に神戸でコンサートをするので、その前宣伝ということで、私がその紹介役となったのです。

番組の最中、神戸市内の公立中学校の女生徒が、トライアルウィークのために、FMわぃわぃに滞在します。チーフプロデューサーの金千秋さんは「番組づくりにはコンテンツ、つまり内容が大切なのよ」と。わたしが追随して「今日、みんなが感じたこと、今日みんなが受けた風のこと、今日みつけたひとこと、今日むかついたこと、などまず感じることが大切なんだよ」と。

番組が終わって、食欲がないままに、ビーガン・ランチ。といっても、持ち寄っての食事会。ビーガン料理は売っているものを買うのではなくて、自ら作らなくてはならない。この日、めずらしく、アルコールはなし。飲む気がしなかった。


戦後もこうだったのでしょうか

2008年09月08日 20時34分19秒 | 神戸
私の住む東灘、FMわぃわぃの放送のために訪れる長田。

いずれも阪神大震災の災禍によって家屋が倒壊したことにより、更地になっているところが、今でもところどころに散見されます。

私にとっては、ごく普通にみかける光景ですが、震災前なら、都心で更地という存在すら珍しかったのだと思います。

ひょっとして、1945年の神戸空襲のあとは、こういう街の光景が展開していたのかもしれません。

私が生まれた昭和30年を今に置き換えると、震災後の10年たったのが2005年で、もう過ぎさったのですね。

コンクリートの礎石だけ残っている光景をあちこちに見続けて13年。こんな光景は昭和33年(同じく災禍から13年)にあったのでしょうか。

神戸の街の回復力というより、日本という国の回復力が、先の戦争からくらべて鈍化しているのでしょうか。

そんなことを思いながら、東灘と長田を歩いています。


「ぶたたま」か「ぶたやき」か

2008年06月09日 23時11分44秒 | 神戸
FMわぃわぃの放送を担当するために長田へ。
もうすっかり私の月曜日の光景として定着しています。
今回はゲストを呼んだために早めに出かけます。
ゲストはHizukiさん。素敵な女性です。

希望を言うのなら、ルーツの与論の唄にもっと目覚めてほしいものです。
与論はこの島独自のうたがたくさんあるからです。

番組終了後、多忙をきわめる局をあとに、ひとりいきつけのお好み焼き屋へ。

そこで瓶ビール二本と、「ぶたたま」を注文。ただこの店では、「ぶた焼き」とメニューに書いていました。
その時ふっと思ったのは「ぶた玉」という名前はどこでも通じると思っていたのですが、違うようです。
地域によってお好み焼きの名称は違うのかもしれません。お好み焼きが街のいたるところで展開している長田での呼称が気になってきました。

そこでひとり待っていたのですが、連絡がないので、ぽつと新長田に向かって歩き出すと、いつも耳慣れた着信音。引き返し、2回目のランチをたしなみます。その人、ずいぶん遅めのランチです。

それから三宮に行ってひとしごと。高架下バルに行ったのですが、今週もしまっていました。
仕方なく電車に乗って東に向かったのです。

神戸の街なかの足湯

2008年05月31日 13時52分32秒 | 神戸
梅雨の走りのよう。
昼、つたと三宮の街を歩く。
ミトさんに携帯をかける。
ピーナッツバターの話に。
ぼくは少年の頃、毎朝ピーナッツバターをパンに塗って食べていた。
その塗り方が尋常ではない。こんもりと盛るのである。
少年心に「世の中にこんなおいしいものがあるのか」と感動していた。
ところが思わぬ結果を招く。
鼻血がとまらない。
姉はそれをみて笑う。「あゆと、ピーナッツバター、食べすぎやわ」。
姉は弟の不幸をじっくり確認してまたケラケラ笑う。
どうもこの少年はいちどそのものにかかわるととことん突き詰めないと気が済まない性分らしい。
この思い出話をミトさんに語る。
語っている最中、歩いている最中に、神戸サウナの無料足湯をみつけて、靴下を脱ぎだした。
「ごっつ、気持ちええですわ」と普段使い慣れない神戸弁を駆使してミトさんにその感動を伝える。
少々ズボンを濡らしてしまった。
通りがかりの男Aと女Bがぼくを見てくすくす笑い通り過ぎて行く。
さらにおっさんCがなにやらひとりごちながら足湯に侵入してくる。
ひとりごちの言葉が聞き取れない。
「はじめにロゴス(ことば)ありき」は福音書の話。
至近距離で向き合う足湯の世界の話ではない。
「あ、ミトさん、雨が降って来た」などといいながら、靴下をはきだした。
おっさんCの圏外に出る。
ふたたび歩き始めた元少年は、ミトさんに再びピーナッツバターの話をする。
もういちど鼻血がでるまで食べてみようかしら、と。


祭り囃子より烏合の朝

2008年05月05日 12時31分06秒 | 神戸
拙宅近くはこの季節、地車(だんじり)が練り歩くのです。
昨日は朝早くから祭り囃子が聴こえてきましたが、今朝は聴こえず静かでした。
二日目は少し遅めのスタートなのでしょうか。
その代わり、朝早くからここ数日拙宅の上空あたりに、鴉たちの鳴き声がけたたましく響きます。
その数も並ではなく、黒々とした姿は美的に優れているのですが同時に威嚇的でもあります。まるで一年に一度の会合(まさに“烏合”)をしているかのようです。
鴉たちは人間を怖れないのか、低空を飛び、制空権を人間に対して誇示しています。戦争末期の日本上空における米軍機もこんなんだったのでしょうね。
でも彼ら、「アッアッアッ」という警告音のような音を出していたなあ。この鴉語を翻訳するとどうなるのでしょう。

ムッシュTの半年ぶりの豚肉

2008年05月01日 18時41分44秒 | 神戸
知人のムッシュTがひさしぶりに日本に帰国。
「ティオペペを飲みたい」とシェリー酒をまず飲みます。
次に「豚肉が食べたい」。
ムッシュTは、現在アルジェリアで働いています。日本語とアラビア語の通訳をするためです。イスラム教徒は豚肉を食べないので、日本に帰ってきて半年ぶりに口にする豚肉だそうです。
ムッシュTは、在仏20年間の間に、フランス語、スペイン語、アラビア語を使いこなすようになり、パリから久しぶりに日本に帰ってきて住んだ街が神戸でした。
そして再び外国暮らし。
アルジェリアに行って気付いたことは、この国の官僚たちの汚職がひどく優秀な人間は殆ど海外に出ているとのことです。
現地で高速度道路建設のために働いている日本の大手建設会社の日本人の多くは早く帰国することを願っているようですが、ムッシュTはもともとアラビア文化になれ親しんできたせいか、アルジェリア生活が快適だそうです。面白い人ですね。



山端の物語

2008年04月30日 23時08分48秒 | 神戸
午後4時すぎ、教会の鐘の音。
窓をあけると、山がすぐ近くに迫り、マンションが所狭しと建っています。
迫る夕刻。
坂を下って行けば都心の街並み。
今日は三度坂を登り坂を下り。
日がとっぷりと暮れた後は、ある人のために、あることを集中します。
缶ビールを飲みながら、だんどりを考えて、ことを進めて行きます。
四月つごもりは聖なる日。
心地よい緊張。
出来上がったものへの感謝。
二人のための聖餐式です。

安堵の春

2008年04月15日 20時40分56秒 | 神戸
阪神大震災に生き残った証拠として、1996年から続けている「大阪城夜桜会」も、13回目です。
年によって雨にたたられた時もありましたが、なんとか続けてきました。
これからも続けることが出来るかなあ。
参加者の中には、ちょうど団塊の世代の人たちも多く、いよいよ退職を迎えた、あるいはもうそろそろという人もいます。
昨日集まったのは、定年がない牧師(元正章氏)、60歳を越えても高校の講師を続けることができそうなひと(50歳代で講師をしているため)などの職業の人たちもいました。
この夜桜会が過ぎると、私にとっても、安堵の春を迎えることになります。

蝦夷鹿の料理

2008年04月13日 23時16分54秒 | 神戸
本夕、蝦夷鹿を食べる会がありました。

が、私は主催者の一人でありながら、とある事情で食べなかったのです。
ある人への約束です。
貫くのはシンドイことでしたが、なんとか口にせずに過ごしたのです。

北海道の鹿肉は、とりわけ美味と言われています。