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神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

後南朝を生きる/1

2005年11月07日 12時03分17秒 | 紀行文
現在の神戸の地に、客死した中世の人といえば、一遍と楠木正成を思い浮かべます。

一遍は、伊予の人。文字どおり遊行の捨聖を貫きとおし、倒れた場所がたまたま神戸であったということです。当時、観音堂と言われた場所にて入滅し、その場所に建つ真光寺では、9月16日の命日に念仏踊りが奉納されています(ただ現在の踊りは継続されたものでなく、時宗の本山である遊行寺〈神奈川県藤沢市〉から移植されたもの)。

そして正成。湊川の合戦で戦死したと伝えられている場所に、明治になって湊川神社が建立され、国家神道の"軍神"的存在にまつりあげられたのです。

この地には徳川光圀が顕彰碑を建て、水戸学の天皇史観を持つ者にとっては、聖地だったものの、とりたてて、民間の信仰を集めていたとか、立派な社殿が建てられていたといった記録は残っていなく、何百年の間、顧みられることのなかった忘却の地だったのです。


庭園というカオス/6

2005年10月11日 21時29分51秒 | 紀行文
この方丈院の庭は昭和13年に 重森三玲という人が作庭したもので新しいものです。しかし多くの人たちから支持されて、今ではすっかり禅庭として認知されているのです。伝統とは新しく創られるものなんですね。

庭というのは、仏教寺院の中にあるというだけで、深遠な宗教性を感得してしまうから不思議です。非仏教施設にもすばらしい庭園は多いのですが、宗教という付加価値がつくとつかないとでは、どうしても庭に対する意味付与の度合いが違ってきます。

また枯山水というコンセプトも、禅庭ならではのものなんですね。浄土系は、疑似自然あるいは自然を凝縮したコンセプトで作庭されている。

そして、借景こみに作庭されたものを含めて、庭というのはどうも、ある完結したコスモスを一望のもとに視覚の中に収めるという視る者の快楽のための作為であるようです。そしてそこに表象されているのは、〈コスモス/世界〉そのものではなく、常に日本の風土の中にさらされ転位していく(=毀れる、苔がむす、土壁が劣化する…)という〈カオス/剥落〉という"あやうさ"と同居していることの表現形態なのではないでしょうか。



庭園というカオス/5

2005年10月11日 16時22分11秒 | 紀行文
禅堂はいまだ宗教修行の場として機能し続けています。

東福寺が13世紀(1243年)に建立された当初は、一宗派に偏した施設ではなく、天台、真言、禅が同居する仏教センターのような修と学の機能を持っていたのです。今でも古刹である奈良の当麻寺にはいくつかの宗派が同居しています。12~13世紀までの寺院は、宗派というセクショナリズムに偏する必要はなかったのでしょう。

それが、寺というのは、ひとつの宗派に属しているのだという"常識"が形成されるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。

浄土宗系や法華宗系は、室町時代という動乱の中世には、ひとつの寺院は一宗派に属する施設であることにおわらず、ひとつの町が一宗派の色で染まる(=統治される)といった寺内町を形成するまでに至っています。さらに自衛のためだとはいえ、軍事・政治的能力も追加してピーブルズパワーの顕現に大きな動機を与えたのです。

これらと比較すると、禅宗系には、こうした宗教を越えた動きはどれだけあったのか知りたいところです。それとも、この禅には他者との交通という意味で、社会変革というコードがもともとインプットされていないのでしょうか。戒を守る宗派としての禅にもうすこしまなざしを向けてみたいものです。

庭園というカオス/4

2005年10月11日 15時33分12秒 | 紀行文
陽が照ってきました。

今は南庭にいます。ここからの眺めは、京都市内にあってもビルなど思惟を遮蔽する他者がいっさい存在せず、同じ東福寺の伽藍が見えるばかりの、時代を超克した光景を形成しています。

南庭にのぞむ軒下には、しばらくたたずむことが出来るように、筵(むしろ)が敷かれています。そこでしばらく黙と睡の世界にただよっていました。私の隣りには青年がひとり。何を考えているのでしょう。同じくこのカオスなる庭園を呼吸しています。30年前の私が、すぐ隣りにいるような錯覚に襲われます。 

遠くに幼児の鳴き声。そろそろ、たゆたいの時間を終えます。

庭園というカオス/3

2005年10月11日 14時38分33秒 | 紀行文
国や宗教に関係なく寺と名のつく場へ足を運ぶのは好きなのですが、禅宗は、寺院施設そのものが、宗教的教義の身体延長のように作られています(この意味で日本の仏教宗派の中で一番宗教的、哲学的なひとつなのかもしれません)。極力彩色を抑え、イコンさえも殆どないその美の構想力は、同じ仏教の密教寺院のバロック的包含性の対極に位置します。

特に禅宗の修行僧がいるような寺院は、造作(建築物)や庭などの、どのパーツをみてても、部分(一)に全体(禅の教義)が宿り、どんな小さなものにでも〈意味〉が付帯していることが理解できます。つまりパーツ=極微に宇宙が宿るといった哲学性を内包している様が感得できるのです(ただ、日本の文化は、華厳の「一即十 十即一」の中の「一即十」は獲得しているものの、全体の中に部分を見るといった感性・思惟装置は「一即十」ほどに鋭敏に機能しているのでしょうか)。


庭園というカオス/2

2005年10月11日 14時13分23秒 | 紀行文
また雨が降ってきました。

方丈院の北端にある少し張り出した東屋にいます。ここからの紅葉は絶景でしょう。真下は深い渓谷。まあなんとも贅沢な造作の庭です。

私の周辺には誰もいません。ただ雨音と鴉の鳴き声。そんな中、庭と木々と鳥たちと向かいあい弁当を広げます。そしてひそかに持ち込んだ赤ワインを呑んでいます。禅庭とスペイン産赤ワインのキッチュな組み合わせを楽しんでいます。

庭園というカオス/1

2005年10月11日 13時51分08秒 | 紀行文
朝からしどけなく降る日だからこそ、禅庭を見たいと思いなし、いま京都・東山の東福寺にひとり来ています。

方丈院にいる私の耳を疑っても聞こえてくるのはツクツクボウシの鳴き声。"法師"という名がつくゆえに、十月のこの今となっても、生きながらえていることを許されているのでしょうか。