身近に「ドラッグ」に関する出来事が起こったので、
ちょっと調べてみたんですが、
こちらの高校生の間での現状は、想像した以上のものでした。
高校生の間で最も使われているのが「マリファナ」なんですが、
米国でも州によって「マリファナ」は合法。
アラスカでも21歳以上ならば、一オンス(約28g)まで、
売っても買っても吸ってもいいんですね。
家族ぐるみのホームパーティーで、大人は別室でという場もありました。
他に合法な州は、ワシントン州、オレゴン州、コロラド州、そして「州」ではないですか、
首都DC(the District of Columbia)もです。
(米国州別マリファナに関する法マップ。次に合法になる11の州。)
ということで、DC周辺のここら辺りも、2年ほど前までは、
「マリファナ」を持っているだけでもその場で逮捕されたのですが、
今では、量によっては(10g以下)民事扱い(初めての場合は「マイナーな交通違反」と同等扱い)。
かなり法律も緩められています。
こうした風潮もあってか、全国的な調査では、60パーセントの高校生が、
「高校の敷地内でドラッグが手に入るのを知っている」
という報告もあるようです(私立でも54%)。
子供達の通う公立高校の校舎内でも、しょっちゅうドラッグをかぎ分ける犬をつれた警官が、
生徒のロッカールームなどを探索しているとのこと。
とはいえ、学校の敷地内、学校に関わるアクティビティー、通学中などに、
「ドラッグ」や「ドラッグを吸う器具(paraphernalia)」が見つかれば、
生徒は停学処分になるわけですが、学校に関わらない場や時間については、
学校側が何かをできるということでもないようです。
38パーセントの生徒が、「マリファナを試したことがある」と。
3人集まれば、ひとりくらいはしたことがあるといった現状なんですね。
2年ほど前には、すぐ隣の高校で、
何人かの生徒が集まり「マリファナ入りのブラウニー」を食べていたところ、
先生が「あら美味しそうね、ひとつちょうだい」と口に入れ、
ふらふらになってしまい看護室で寝込むことになり、
「マリファナ入り」だったことが判明、
作った生徒が逮捕される、なんていう事件も起こっています。
まだまだ日本はこれほどまでの状況ではないでしょうが、
こちらの公立高校に通う子供達を抱えつつ、大切だと痛感するのは、
「話し合える関係」を築いておくこと。
「まずい」と思ったことでも、打ち明けられる関係を築いておくこと。
子供によって、「まず心配ない」という子ももちろんいます。
それでも、我が家のように、何というか、
友人関係に幅があり、ふざけるのが好きで、
時に「好奇心」や「チャレンジ心」が「ルール」を上まってしまうこともあるような子の場合、
よーく話をして、早いうちに少しずつ実際に痛い目に合っておいた方がいいんだろうなと思っています。
長男の場合、「こちらの学校って、学校の勉強がとてもできる子と、
全然もう頓着してない子の差が極端だよね」と言っているんですが、
私から見ていると、「あなたの友達が両極端なんじゃない」と言いたくなります。
ということで、今回、「身近に」出来事を聞くことにもなったわけですが。
ここ数日、長男とも随分と話をしました。
この身近な出来事を通し、長男自身かなりショックを受け、様々考え、
何だか少し別人になったというか、一回り大きくなったようにさえ見えます。
私自身、これまで出会った息子君のドラッグの問題に悩む友人や知り合いを思い出し
(息子君たち、本当に聡明でエネルギーに溢れた魅力的な子たち)、
当時全く遠くに思えた世界を、今では、ああ、こういうことだったのか、
とすぐそこにあるものとして、とらえるようになっています。
長男に物理的には影響を与えることのない今回の出来事。
それでも、今回のことから、彼がどれほど学び、どれほど今後に生かしていけるか、
それを全力でサポートしていけたら、そう思っています。
ちなみに、「話し合える関係」というのは、振り返り、
子供の機嫌を損ねないとか、嫌な思いをさせないとかそういうことの積み重ねではないと思っています。
むしろ、異なる意見が衝突し腹を立て合い、それでもそこからお互い様々思い、
徐々にまたぽつぽつと話し始め、ふざけ合ったり楽しんだりして、
それでまた意見がぶつかり、互いに「うっとうしい!」「何なのよー」と腹を立て、
それでも一緒に美味しいもの食べたり、たわいのない時を共有しつつ、また互いに話してみようと思い・・・、
そんな繰り返し繰り返しを経て、少しずつ築かれていくものなんだなあと。
ひとつひとつの衝突によって、関係や絆がより深まっていった、しみじみそう思います。
今回の出来事を起こしてしまった子も含め、
子供達が、一つ一つの失敗から最大限を学び、
将来よりよくなるために生かしていけるよう、
周りの大人がサポートしていくことの大切さを思いつつ。