マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

宇宙をアーティスティックに描くことに夢中になる「問題児」達

2015年11月11日 | 放課後スクール

今「算数」と「アート&サイエンス」を教えているプログラムは、

主に学校の勉強に遅れている子や低所得家庭の子供たちにまずは招待状が行き、

その後空いているスペース分だけ、「一般の子」の参加を募ることになっている。

 

それで実際始めてみてどういうことなのかというと、

普段学校で、先生方の間でも名の通った「問題児」が勢ぞろいという状態。

 

例えば、

「今日も先生が真っ赤になって怒ってた。

今日はカウンセラーの先生が教室から連れ出してた。

今日は先生が二人がかりで違う部屋に連れて行ってた」

三女が時々そう口にするクラスの「問題児」A君のような子が、

クラスの何人かを占めていたりする。

 

 

中高学年のクラス。

知恵もかなりついてきているから、反抗的態度にも磨きがかかっている。

その無礼さ、口の悪さ、

思わず「君すごい!」と手を打ちたくなるような風刺を込めたジョーク。

 

私のようにこちらの方々に比べると、ちょっと線が細くも見え、

しかもこの辺りでは馴染みのないネイティブスピーカでないアジア人となると、

もう突っ込みどころ満載のようで、

初めの頃はもうそれは無礼極まりない発言態度の連発。

 

とはいえ、スタッフ会議での他のインストラクターの方々の話を聞くと、

授業どころじゃない、クレイジー過ぎる、聞きやしない、

ボスの子がいてクラス全体を巻き込んで反抗させようとする、

などと皆さん嘆いていらっしゃり、

どのクラスも似たような様子のよう。

 

そこで初めは、コーディネーターの方が各クラスを周り、

怒鳴りつけ、家庭に電話するなどの警告を発することで、

私も他のインストラクターの皆さんもようやく授業になるという状態だった。

 

ちなみに、他のインストラクターの方は、

リタイヤした元先生や非常勤講師など、

皆さん教師歴長いベテラン。

そんな先生方でさえもてあましている・・・

 

ああ、なんてことに足を踏み入れてしまったんだろう、

そう思った。

 

それでも、自分でも振り返って少し不思議になるのだけれど、

「何とかなるに違いない」といった気持ちを持っている自分もいた。

 

多分それは、一旦何かを創り始めると、

夢中で取り組む「問題児」達の姿を見たからだと思う。

 

天文学とアートを結びつけたクラスなのだけれど、

前に立って惑星や太陽系などの説明をしている時は、

全然じっとしてられなくてクラスを妨害しようとする子達だけれど、

一旦創りだす時分になると、目が輝いて夢中になっている。

 

それで、一緒に創り、

ここはもっとこうしたらどうかな、などと言いながら、

出来上がったものに共に感心したり感動したりとしている内に、

無礼な態度や言葉が、減っていったのだった。

 

「僕、先生より背が高いんだよ、

僕より高い子って同じ学年に一人もいないんだ。」

そう得意げに横に並んできたり。

「先生の本当の名前は何?」

と不思議そうに何度か聞いてきたり。

(まいこながおか)がどうしても名前に思えないらしい。(笑)

何だか可愛らしくさえ思える瞬間も出てきて。

 

 

 

それで改めて思うのは、ボンディング(絆)がないところで、

いくら力で押さえようと思っても、難しいということ。

特に私のように、必死でドスのきいた声を出そうとしても、

ほとんど恐く見えなかったりするようなタイプにとってはなおさら。

 

一緒に考えたり、創ったり、感心したりと「いい時」を重ねていくこと、

これほどパワフルなことはない、そう改めて思う。

 

 

 

 

とはいえ、10歳前後の子供達。

気分によって、まだまだむちゃくちゃな態度をとってくることもある。

そんな時は、

「あなたがそうあるなら、コーディネーターを呼んで連れ出してもらうしかない。

アートをしたい他の子達を、これ以上邪魔するのを許すことは出来ない」

とはっきり伝える。

(ちなみにインストラクターにはいざという時のためにトランシーバが渡される!)

すると、大体の場合、落ち着くようになった。

 

コーディネーターの方に連れ出される → 家に連絡が行く

ということなのだけれど、

どうも「お母さんに告げられる」のが最も辛いと感じる子が多いようで、

一気にしゅんとしおらしくなる。

 

この「母ちゃんに言いいつけるよ!」

が効く子はまだいいのだけれど、

「問題児」の中には、

底の底のところまでなかなか見えない子もいる。

そんな子とも算数のクラス(毎回2・3人の生徒を交代で教える)

で関わることがあるのだけれど、

「良心」というものが深い深い層に覆われているようにもみえることがある。

そんな場合は、より専門家の介入が必要なんじゃないかと思ったりもする。

 

 

 

 

そんなこんなで、

予想していたのとはちょっと違った展開で物事が進んでいるのだけれど、

自分自身に起こった変化として気がつくのは、

色々な意味で、

これまで小さな蜘蛛にキャーキャー言っていったのが、

タランチュラと格闘しているうちに、

小さな蜘蛛に影響を受けなくなっていったというような感じかもしれない。

 

授業前は、

よっしゃーと気合入れてリングに立つような気分でもある。

まさか算数やアートを教えるのに、

こういう心構えが必要になるとは思わなかった。(笑)

同時に、授業後にこみ上げる達成感のすごさ。

 

 

宇宙をアーティスティックに学び表現していくとき、

縁ありこの子達と共に過ごす時を、大切にしていきたい。