マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「発達障害ボーダーライン」を抱えながらこの社会を生き抜く訓練

2015年11月03日 | 中学・高校

こちらの大学入学審査は、高校4年間全ての成績が重視される。

様々な面で不安定になりがちな思春期には、

私自身を振り返っても本当にそうだったのだけれど、色々あるもの。

 

悩み、どん底を経験し、勉強どころじゃない日々も通り、

それでも何とか這い上がり、

大学受験の1年前ぐらいに火がついて猛勉強を始め、

無事合格なんてこともあるだろう。

 

それでももしこちらで高校卒業後すぐに大学進学したいと望むならば、

そんな高校生活は許されない。

 

4年間の成績と統一テスト(これは数度チャンスがある)、

その上に課外活動、全てに成果を出し続ける必要がある。

 

テストの点がべらぼうに良くても、4年間の成績がぱっとしなければ、

入学審査をパスする確率は格段に下がる。テストの点がそれほどでなくても、

4年間の成績が良いほうが、まだ望みがあるとも聞く。

これは、結局社会に出て必要とされるのは、テストが良くできるかということより、

日頃からこつこつと成果を出し続けられるかどうかだからだと説明されたりする。

 

またトップの大学であるほど、4年間の日頃&数度チャンスのあるテスト&課外活動、

全てが完璧な生徒がぞくぞくといる。

 

試験重視で受験地獄とも呼ばれる日本の大学受験とは、

また違った厳しさがある。

 

それで大学進学すれば万々歳かというと、

それはよりインテンシブに成果を出し続ける日々の始まりに過ぎない。

より有益なインターンを獲得し、よりよい就職先を見つけるため、

再び待ったなしで成果を出し続ける日々が始まる。

また大学名よりも、その大学で、どれほどの成果を出せたかが大きい。

 

 

 

つくづく、この国で、思春期という難しい時期の4年間を、

勉学に集中できる環境にある子が、どれほどいるのだろうと思う。

日本のように塾に通う子もほとんどいない。

高校によっては、大学進学に興味ない子が多くいる場合もある。

家庭内や友人関係のごたごたなどから、一時勉学から遠ざかっていれば、

みるみるうちに、そこそこの大学進学コースからは遠ざかってしまう。

そんな中、勉学を続けられる恵まれた環境にある子。

 

幸い、確かに大学の数も多く、レベルもピンからキリまであり、

入学審査の厳しくない、もしくはほとんどない大学も多い。

そして、そうした大学であっても、専門分野によっては、

トップの大学出と肩を並べて、それなりの生活を築いていくことができるこの国。

「わざわざそこまでして何のためにいい大学?」という雰囲気もある。

 

 

 

 

今のところ高校卒業後に進学を希望している長男に長女。

その厳しさを体感している。

 

特にテストの点はまあまあで、

希望する進路に関係する課外活動には活発だけれど、

日ごろの成績がアップダウンものすごくなりがちな長男にとっては、

ドラスティックに自らを見直し続ける必要がある。

 

高校初年度は、アラスカ大学の授業も含め、

これまでの学校生活で初めてオールAを取った。

とはいえ、日頃のアップダウンの傾向がなくなったわけではなく、

アップダウンありつつ、平均して何とかなっている状態。

先週も、テストが100点で、ノートブックチェック(日頃ノートをどれだけ取り整理しているかがチェックされる)が50%で、

それでもテストの比率が大きくて何とか全体的にAをもらえたなんてことも。

 

うっかり宿題忘れたり、インストラクションを最後まで読まなかったり、

先生のやり方がどうしても気に入らなかったり、

全然やる気にならなかったり、

まあ後で挽回するからと他ごとに没頭し続けたり、

そうした「ダウン」を減らしていくこと。

 

それは、大学進学がどうこうというより、

「発達障害ボーダーライン」を抱えながら、

今後この社会を生き抜くための訓練、そんなようにも私は捉えている。

 

鍵は、何をしたいのか、どこへいきたいのかと、

日々立ち返り立ち返り思い出していくこと。

そのために、今この目の前の課題に向き合っていると。

それがなければ、彼は今日にでも学校を飛び出し、

全く違う人生を歩き始めているのかもしれない。

 

癖のある高校生をお持ちの方々へ、エールを送りつつ。


マインドフルネスとマインドワンダーとのバランス

2015年11月03日 | マインドフルであること

マインドフルネスの位置づけとしては、

本を読んだりコンピュータのスクリーンを見たりとする際、

時々遠くを見るといい、というのと似ていると思う。

 

健やかな視力を保つには、

近くばかり長時間見ているよりも、

遠くを見るという目の機能を、

バランスよく用いていくことが有効。

 

だからといってそれは、

本を読むことや、スクリーンを眺める時を、

無くしてしまえということではない。

むしろ、遠くを見てリフレッシュすることで、

より読書も楽しむことができるということ。

 

つまり、

マインドフルである状態を心がけるというのは、

「マインドワンダー」を無くしてしまえということではない。

というか、それはヒトの性質上不可能だし、

第一「マインドワンダー」から、

これまで数々の発想や発明や創造が生まれてきたもの。

 

そうではなくて、むしろ、マインドフルな状態を取り入れることで、

よりビビッドに有意義に、

「マインドワンダー」を楽しむこともできるということ。

マインドワンダーに自らが呑み込まれることなく、

より現実的に生かしていくことが可能になるということ。

 

近くと遠くを見るといったバランスをとることで、

健やかな視力が保たれるように、

マインドワンダーとマインドフルとのバランスをとることで、

健やかなマインドが保たれる。

 

それでそのバランス加減というのは、

万人に当てはまる既成のはかりなんてものがあるわけではなく、

自ら実践を通し、身体に落とし込み、ああこんな感じが自分には調度いいかなと、自ら見出していくもの、

そういうことなのだと思う。