マイコー雑記

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お知らせ&思い整理:「普通の人々」の内にある「良心」こそが「希望」&感じる心を麻痺させない

2017年11月15日 | 雑感

現在、新しい勤務先の学校で「プログレッシブ教育」「アクティブラーニング」の具体的な実践法を学びつつ、オンラインにて、「ポジティブなしつけ」についても学び中です。

教師が前に立ち講義し生徒が黒板を写すといった伝統的な授業のあり方とは異なる、より相互にやり取りのある授業のあり方を確立していきたいです。私は、こうした授業のあり方こそが、これからの世界に必要とされる力を育てていくのだろうと思っています。また、伝統的な授業のあり方では、じっとできなかったりすぐに白昼夢に旅立ってしまうようなまさに私自身の子供時代のような生徒にとって、より「エンゲージ」できる授業が可能だと信じています。

子どもの「エンゲージ」レベルを観る大切さ、「アクティブな学習」であるほどその子自身のものとなる

アクティブラーニングについても他所にかきましたので、更新されしだい、お知らせしますね。

 

同時に、「ポジティブなしつけ」についての講座を年内に終えインストラクターの資格を取得し、以前お知らせしましたように、

その人なりを築く土台「しつけのあり方」、17年間の探究&実践を「しつけ=関わり方」に盛り込んでの活動

これまでのリサーチと体験を盛り込み、「思慮あるしつけ」の要点について、よりまとまった形でお伝えしていきたいなと思っています。

 

ということで、ブログへの更新がなかなかままなりませんが、できる範囲で続けていきます。読んで下さりありがとうございます!

 

 

ひとまず、ここ1週間ほどの間に、

起こったこと、思ったことなど整理させてください!

 

 

結局、その家庭に最もしっくりくる形を築けるのはその家庭の親子のみ

ここ一週間ほど、「超エリート」と言われる家庭の生活を身近に垣間見る機会がありました。そうした家庭の子育てとは、何事もその道の一流に直接教わり、小さな頃から世界中を旅して世界へと開かれた体験を積み重ね、普段の家族の会話も、代々受け継がれる様々な分野の蓄積や第一線の情報が吟味された内容だったりします。

それで、子育てのアドバイスをお聞きすることもあったわけですが、とにかく「手持ちのカード(象徴資本を含む資本)」が、全く異なります。

そして、これほど極端な例でなくても、市場に出回る子育てについての言説も、その人がどんな家庭を基に話しているのかを、考慮する必要があるなあとしみじみ思いましたよ。

「経済状況、人脈、持って生まれた資質」を考慮することなく、「こうするとうまくいくわよ」を表面的に真似しても、それらを支える生活が全く違うこともあるわけです。そうして、「できない」自分を責めたり、親としての自信を失ってしまうこともあるなあと。

例えば、「このワークをするといいですよ」と言われても、お手伝いさんが掃除など家事をしてくれる状況にある場合と、全て自らこなし、外での仕事も持っていたりして、祖父母や親戚の助けが全くない場合とでは、子どもに向き合う気持ち的・時間的余裕も全く違います。また、そもそも経済的にも、「そのワーク」に手が届かない場合もありますし、親子の性質上、そのワークにアドバイスの基となる家庭の何倍もの時間がかかる場合もあります。

どんな子育て情報も、自分の家庭という「唯一ユニークな場」に合った方法やスタイルへと溶け込ませていきたいですね。「経済状況、人脈、持って生まれた資質」といった自ら「持てるカード」の中で、それらを最大限活用し、力を発揮できるよう工夫していきたいです。

そして結局それをできるのは、その場に暮らすその親子のみなんですよね。アドバイスや情報に振り回され過ぎず、いいなと思う部分、できそうな部分のみを取り入れ、自分たちなりの子育てを築いていきたいですね。

手持ちのカードが互いに異なる中、「横並びの到達点」のみで眺めることは、あまりにも理不尽で短絡的過ぎます。自分たちなりにその時点での精一杯をしてきた、そう顔を上げ胸をはっていきたいですね。

 


こんな緩い運動会ならこちら米国でも楽しめそうです

週末は、勤務する学校で、運動会がありました。ラジオ体操何年ぶりでしょう。年長さんから高校3年生までが赤と白に分かれ、玉ころがし、障害物競走、借り物競争、玉入れ、綱引き、リレーなどに盛り上がりました。こちら米国の小中高にはない、日本独特の行事。

行進や組み立て体操など前もって練習することもなく(手押し車ができるかの確認程度)、それでもそれなりにまとまって楽しめましたし、こういう形なら、こちら米国の学校でも大いに楽しめるんじゃないかなと思いましたよ。

 

 

相手がとらえる自分は自分ではないと思う時

「この人は私のことをこうとらえているんだな。そうじゃないんだけどな」と感じることは、あまりにも昔からよくあることで慣れっこなんですが、「相手がどうとらえているか」に振り回されず、より自分であることにフォーカスしているうちに、自ずと、そんな「相手が決めつけた枠」にははまりやしないことが明らかになっていきます。

でも、「あなたはこう」と決めつけた相手には、どんなに自分がその枠からはみ出たとしても、往々にして「観えない」こともあるもの。私自身も含め、結局、人は観たいものを観がち、ということに気づいていきたいです。

大前提は、どんな人でも、「ひとつの枠組み」になんてはまらないということ。思い出していきたいです。

 


指導者が日々気づきたいこと

子どもたちに接しながら、指導者が自らその子をどうとらえているかに気づく大切さを改めて痛感しています。「この子はこういう子」と把握することは、指導する際、時に必要ですが、一旦把握したことに留まり続けることは、その子にとって害でしかありません。

 

子供は変化し続けています。「可能性は無限」という気持ちを常に持ち、自らその子に貼るラベルに気づき、常にアップデートしていく姿勢が必要ですね。それは、自分の子であっても。

 

 


自分は相手から届くものを選択する力を持っていると思い出す

ヒトは複雑なもの。どんなに「ひどい」と感じる部分を持っていても、温もり溢れた愛おしい部分も持ち合わせていたりします。その温もりに触れ、再び期待し、傷つき。

それが母親だったら、やっぱり「期待」してしまうもの。傍で、傷つく夫の姿を観てきたからこそ、今回も傷つく夫と、「わきあがる期待にその都度気づいていこう」と話していました。

 

人間関係できつくなるとき、私の中に浮かぶのは、相手が、それぞれの閉じた袋の中で、あちらこちら出たりへっこんだりを繰り返すイメージです。

袋に包まれた存在を観察し、形成を考察し、「ああ、だからここが引っ込みここが突き出ているのだな」と分析します。

そしてその袋を突き抜け自分に届くことを許せるのは、自分自身のみ。自分が、自分に届く相手の部分を選択できると思い出していきます。

『It Mama』寄稿:「バ~カ!」と言われたわが子へ、小学校教師から学んだ神対応2つ&大切なことへ取り組むためにも

 

*夫は、6歳で義母が去り、18歳からその義母と数年共に暮らしました。こじれた親子関係では、何気ない言葉でさえ、互いを深く傷つける力を持ちえると痛感しています。

 



「一般人」の「良心」に触れる体験が多くの人々の心を揺り動かす

義母を送り、昨日は、半日ほど、気が抜けて動けない状態になってました。

それで、何をしていたかというと、『What would you do?(あなたならどうしますか?)』という一つ8分ほどのTVショーのクリップを、ユーチューブで立て続けに見て、ボロボロ泣いていました。

俳優が繰り広げる難しい場面、例えば、子供や老人や宗教的・人種的マイノリティーへの「ひどい扱い」などに、周りの人々が、どのように反応するかを隠しカメラで撮るという米国の長寿番組。←私は昨日初めて観ましたよ。

・メキシコ人ウエイターに「アメリカ人のウエイターに変わって。あなたたちは米国の富を奪ってる」という白人カップル。

・イスラム教徒のカップルに、「他の客が不快に感じる」からと、レストランの隅の席があくまで待つようにいうレストランの従業員。

・罰として、子どもの口に激辛ソースを入れる親。水入りの霧吹きを吹きかける親。氷点下の屋外に長時間タイムアウトさせる親。

・トゥーレット症候群の少女を馬鹿にする子どもたち。ホームレスを馬鹿にしてこづくティーン。「イスラム教徒だからおまえとはもう友達ではいたくない」といじめをするティーン。

・人種の違う子どもを養子にしたと責める友人。フォスターチャイルドをあからさまに差別する親。

・黒人、アジア人、イスラム教徒のフィアンセをつれてきた白人の娘に、「失望した」と責める両親。

などなど、それぞれ、役者さんたちが周りの人々が聞かずにはいられないほど大きな声で、やりとりをします。

 

そうして、様々な人々の反応をみながら、日常生活でこうした場面に出合った場合、「あなたならどうする?」と問いかけていきます。

私なら、ここまでできないなあ、ああ、通り過ぎてたかも、他にやめさせる方法ないかな、と様々考えさせられながら、「見ないふり」をすることの「残酷さ」をまざまざと見せつけられました。

見ないふりをする人々同様、私自身も、「自らの幸せ」を築き守ることに忙しかったり、「それぞれの事情があるだろうし」と自らに言い聞かせ通り過ぎたりするわけですが、ここぞという場面では、できる範囲で少しでも踏み出していこう、この番組は、そう決意するきっかけを与えてくれました。

 

それで、ちょっと普段の精神状態ではなかったとはいえ、なぜこれほど泣けるんだろうと自分でも不思議だったんですが、心の底から湧き出る衝動に、いてもたってもいられず立ち上がり、行動を起こす人々の「良心」に触れた感動なんですね。

「あなたには関係ないでしょ!」と言い返されても、「コミュニティーの一員として、市民として、関係ないわけがない!」と分け入っていく人々。

例えば、目の前でメキシコ人が不当に扱われる様子にたまらず分け入った白人男性が、カメラの前で「自分は典型的な保守」と腰の銃を見せながら「でも、誰であってもこんな扱いを受けるべきじゃない」と話し、中東での戦いに従事する軍人が米国のスーパーでイスラム教徒の男性が不当に扱われることを許せず立ち向かいます。

人々の内にあるこうした「良心」こそが、これからの世界への「希望」ではないでしょうか。

 

「隠しカメラ」で芸能人ではない「一般人」を撮るということに、議論はあるでしょうが、だからこそ、人々の自発的な反応が、とても強烈なインパクトを持って迫ります。

日本でも、こんなプログラムがあったら、様々な問題に対して、議論を醸し、考えていく機会になるのじゃないかな、そんなことを思っていました。

例えば、やんちゃな子に疲れ果てた母が手をあげるという設定。通り過ぎる人、頭ごなしに批判する人、それでも中には、必ず、疲れた母親を思いやり、手伝おうとする人もいます。たとえ、2日間撮り続けて1人であっても。←一つのクリップでは、疲れた母の話を聴き、「私が少し子どもと過ごしてあげるからゆっくり食事をしなさい」という初老の女性が現れました。

こうして「一般人の良心」に触れることが、どれほどの希望を生み出すか。そうして多くの人々の心が揺さぶられるからこその、長寿人気番組なんでしょうね。

 

 

 

たくさん泣いて笑った一週間でした。

「ネガティブな感情に蓋をし麻痺させてしまうことは、

喜びや幸せを感じる柔らかな気持ちをも麻痺させてしまう」

この言葉を、確かに、とかみしめていました。

 

辛いことが続くと、麻痺させたくなるものです。

それでも、顔を上げ、目を開き、目の前に常にある「喜び」に気づき、

「多様な感情」のひとつひとつを味わっていきたいですね。

 

 

さて、すっかり心身ともに元気になりました。残りの週も走り回りますよー。

次に、『It Mama』への最新記事について更新しますね。

 

ランチを食べ空港へ義母を送る前に30分ほど時間があったので、

近くにあった「野生鳥専門店」をのぞきましたよ。

 

野生鳥についての知識や、バードウォッチングに必要なグッズや、野生の鳥を集わせる場づくりグッズが並ぶ癒し空間。

 

みなさん、よい日を!


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