春の日差しに、身も心もぽかぽかしながら、毎日走り回ってます。
今週末には春休みも始まります。
思いをポンポンとつづりますね。
1.夫との同意
前回の夫についての記事ですが、
重度ディスレクシア&恵まれない環境に育った夫に学ぶ3つのこと、「落ちこぼれ代表」からの挽回
ひとつ付け加えたいのが、彼は厳しい生い立ちですが、基本的に明るい、ということです。
出会った頃も、私自身も色々抱えていたんですが、とにかく周りが「???」となるぐらい2人で笑い転げてばかりでした。
結婚生活20年近く、それは色々あって、笑ってなんかいられない時期も「多々」ありました。
それでも年とともに、この底に流れる「楽観性」のようなものを、互いに以前よりはっきりととらえられるようになったと感じています。
それは、「これも、多分、何か善きことのため」といった信念、といえるかもしれません。
何かが思うようにいかない、そんなことって我が家もしょっちゅうです。
それでもそうした「問題」にぶつかるたび、何とか改善しようと行動しつつも、
今では夫との繋がりの底のところに、「これも、多分、何か善きことのため…」といった同意があるように感じています。
振り返ると、きつくてひーひー言っていた時も、必ず「今の善きこと」に繋がっている、
目を覆いたくなるような過去を持つ夫の信念であり、私自身もそう思います。
年をとることの貴さのひとつに、この「流れ」をより実感できることがあるのでしょうね。
2.人と向き合う瞬間
最近は、知り合いとの関係がより深くなったり、新しい方に出会うことも増えてきて、
少しずつ、この地に根づきつつあるなと感じています。
人の温もりに触れる喜び。
身近に日本人の方は今のところいないのですが、どんなに文化背景が違っても、心と心が通じ合えるのだと、
当たり前のことですが、改めてしみじみと感じる日々です。
他者にいかにマインドフルに向き合うか。
人と接する瞬間瞬間に、成長への機会が溢れています。
3.この子がビリなわけじゃない
陸上の練習のたび、次女13歳が「ビリ」になることが続いていました。
何人かの仲良しのお友達は、はるか先へ。本人、練習を重ねるにつれ「ため息」も多くなります。
「速く走る方法」など、ネットで眺めたりしつつ、
「周りじゃなくて、昨日の自分と比べるのよ。自分のタイムを縮めることにフォーカスすればいいのよ」と励まし。
とはいえ、周りのお友達はどんどん上達し、差も開いていくばかりです。
「私なんてサッカーもどうせ芽が出ないだろうし、運動はだめだめなんだ」と「認知のゆがみ」も顔を出し始めます。
フィルタン、パンカー、マグミニ、ジャンパー、ラベラーといったところでしょうか:
「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介
(これはこれで、「ほらほら、ユガミン出てきてるよ」と客観化できる機会となり、貴い学びの時ですね。)
そこで、陸上クラブに誘ってくれたお友達が一緒という理由で、
本人最初から迷わず「中距離走」を選んでいたのですが、
「短距離走を試してみたら?」と提案してみます。
次女はこちらの子に比べると細く(←本人気にしていて体重を増やしたくてしょうがないんですが)、
中距離を全速力で走り続けるには、筋力的にもスタミナ的にも向いてないんじゃないかな、という素人考えです。
まあ短距離でも「ビリ」続きで、本人の「やる気」も底をつくようならば、
走りの速さというのは「生まれ持った素質が大きい」というし、
6月までの今シーズンは貫徹して、次シーズンはまた違ったものを選べばいいよね、という気持ちでした。
この一連のことでしみじみ思ったんですが、何度も何度も他の子より遥か離れて「ビリ」の姿をみていると、
あたかも「その子自身がビリ」のような気持ちになることがあるんですよね。
「走る速さ」という単なる「ひとつのものさし」で最下位なのであって、
「ものさし」を変えるなら順位などいくらだって変わると思い出すことの大切さ。
「ものさし」が多様であることで、どれほど救われる子がいるか。
Tamakiさんのブログ記事にもありましたが、
「偏差値」など「限られたものさし」ではかられてばかりで、挽回できる「多様な選択肢」がなかったら、
そりゃあもう親子で息が詰まりますよ。
と、練習が始まって約1か月、今日は初めて正式にタイムをはかることになっていたんですが、
「短距離走」を試してみると決めた次女。
これでもだめだめだったときは、ああしてこうして励ましてやろうと考えつつ、練習場をのぞくと、
なんと、80m、150m、300m全てで上位3位以内に・・・。
誰よりも、本人が一番驚いてました。
私も嬉しくなって、「ママ分かってたもんねー」と、
さっきまでどう励ますかで頭がいっぱいだった自分を横に放り投げ、大げさに胸を張って2人でふざけ合い。
今日はお友達の何人かがレースにも出ていたんですが、
結果を聞いても、種目によって、驚くほど順位が変わっていました。
その子が力を発揮できるものは、本当にそれぞれ違うんですよね。
自ら力を発揮できるものを見出すよう、サポートしてやりたいですね。
4.『コスモス』おすすめです!
週末の「サイエンスオリンピアッド」の州大会で、長男のペアが5位に入賞。
1位のみが全米大会へ進むので、ここでおしまいですが、
来年のクラブの3人キャプテンの内の1人にも選ばれたようです。
入賞したテストスコアを競った分野は「天文学」だったんですが、
彼が小学生時代からほれ込んだドキュメンタリー『Cosmos: A Spacetime Odyssey(邦訳:コスモス:時空と宇宙』から随分と学んできたようです。
ニール・ドグラース・タイソン氏が司会ですが、その前バージョンのカール・セーガン氏が進行役の『コスモス』も大好きです。
娘たちとも観るたびに、「自分の小ささと、宇宙の大きさに、頭が不思議なことになる」と。
もし観ていない方は是非!
5.子どもによって「理想の生活」は違う
「サイエンスオリンピアッド」から帰宅し、
数日まともに寝てないので(学校の課題も半端ない上に競技会の準備やら他にもアクティビティー盛りだくさんゆえ)、
そのまま夕方5時から翌朝7時まで眠り、「これまでの人生で最長の睡眠時間だったよ」といいながら、救急隊員訓練へ。
夕方戻ってすぐに、我が家でロボティックスのミーティング。
新たな競技会に提出するロボットの構想案提出が迫っているとやらで、夜9時ころまで5人チームで話し合ってました。
長男曰く、こうした次から次へとチャレンジ溢れる毎日こそ「僕の理想的な生活」とのこと。
確かに、これまでの人生で一番生き生きとしているかもしれません。
6.大学は通過地点のひとつにすぎない
高校卒業間近の生徒たちの進路も続々と決まったようです。
アカデミック完璧、各種アカデミック競技会優勝、各種クラブのキャプテン等、
これ以上すごい高校生がどこにいるのというような経歴を持つ生徒も、
アイビーリーグなどのトップ大学はことごとく審査をパスしなかったようです。
「あの先輩までだめだったなんて・・・」と驚く長男。
「大学は、人種や地理など『全体的な多様性』を考慮するものね。
でももういろんな事例みても確かにいえるのは、審査を通らなかったからといって、
それは単なる大学側の都合であって、その子の能力や頑張りが何ら損なわれるものではないということ。
それだけ頑張ってきたことは、これからどんな場へいこうが、必ず生きてくる。
だいたい、質の高い教育を受けられる大学というのは、有名どころ以外にも、たくさんある。
とにかく、自らを磨き続けること。これに尽きるよね。
大学は単なる通過地点。」
そんな話をしていました。
どこの大学へ進もうが、自らの夢に向かって突き進んでほしい、そう願っています。
7.子宮の暗闇
さて、話は尽きませんが、最後に、
今日、「ユニタリアン・ユニバーサリズム教会」の牧師さんが引用していて心に刺さった言葉をシェアさせてください。
「墓場の暗闇ではない。子宮の暗闇なのだ。」
苦しい渦中にあると、お先真っ暗にも思えるわけですが、
これは、新しく生まれる前の暗闇なのだと思い出してみます。
まぶしい光の中に産み落ちる前の暗闇。
呼吸を整え、最後はいきんで。
みなさんの新しい週が素晴らしいものでありますように!