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精神科医清水將之氏へのインタビュー記事、「不登校」とは今の学校が「おかしいと疑問を持つ子が割りを喰っている」状態という指摘に納得

2017年05月03日 | 子育て全般

「不登校」という言葉を初めて用いたとされる

精神科医の清水將之氏への4月29日付けのインタビュー記事です。

日本の学校の歴史など、「不登校」を取り巻く状況がまとめられています。

 

私自身、「不登校」は、多くの場合、清水氏がいうように、

今の学校はおかしいと「疑問を感じる子が割を喰っている」状態と思っています。

そして敏感な子ほど、その「おかしさ」を察知し、

意識的にも無意識的にも納得できず、「不登校」として表れていると。

 

清水氏の視点や指摘に、なるほどなあと納得です。

ざっとですが、まとめてみますね。

 


「不登校」という言葉が表すもの

清水氏は、1968年の論文の中で、

「学校恐怖症」や「登校拒否」という言葉ではなく、

「不登校」という言葉を初めて用いたとされています。

 

清水氏曰く、

"恐怖症(phobia)は、いわば、びびっているわけでしょう。それに対して拒否(refusal)は意志表示じゃないですか。”

"学校に行かない子のなかには、いろんな子がいたから、最初にラベリングをして仕分けてしまうと、

ラベルに合致するように観てしまうと思って、思春期外来を始めるときに、「不登校」という言葉をつくったんです。”

とのこと。

 

「学校へいかない」という状況というのは、

恐くていけない、自分は行かないと決めていかない、また「怠学(truancy)」など様々なケースがあるんですね。

そんな中、確かに、「不登校」という言葉は、「登校しない」という事実のみを表していて、

狭義に分類し決めつけてしまうことなく、どんなケースでもひっくるめてしまえますね。

 

 

 

日本には古くから身分に関係なくオープンな「下から」築く学校があった?

まずは、892年に空海が綜藝種智院を開きます。

これは、身分貧富にかかわりなく、勉強したい人は誰でも来ていいという学校だったそうです。

 

それまでは、平安時代の京都の勧学院や、それ以前の国学など、

支配層や貴族の子孫のための学校のみだったそうです。

 

そして室町時代には、寺子屋ができ、江戸時代に入りますます広がります。

"その数、日本全国で1万とも3万とも言われますが、いずれにしても、万単位であったことはたしかのようです。ちょっとした町には寺子屋があって、一般庶民の子が通っていた"

んだそうです。寺子屋を通して、庶民への教育の機会が広がっていったんですね。

 

"寺子屋には授業料がなかったようです。盆や暮れに、親の出せる範囲で付け届けをするぐらい。寺子屋は来るのも帰るのも三々五々。そのようすが描かれたものが浮世絵に残っています。こちらで遊んでいて、あちらで勉強して、バラバラで自由自在だったようです。不登校など生じ得ない状況だったと言えるでしょう。"

自分のペースでの取り組みができる場ならば、

確かに「不登校」など生まれませんよね。

 

"山下:日本には、近代以前にも、身分を問わずに学べる場所があったわけですね。

清水:それは日本のユニークな歴史だと思います。教育の場が、支配層や金持ちや宗教家だけではなく、庶民にも開かれていた。”

 

「寺子屋」というのは、日本独特の歴史なんですね。

海外でこうした試み例がなかったのか、調べてみたくなりましたよ。

いずれにしても、 寺子屋とは、日本が誇ることのできる教育史ですね。

 

上から「マス」に向けての一辺倒ではない、

寺子屋を可能にした日本の土壌を思い出していきたいです。




「ほんとうの精神科医」の姿

本来、児童精神科の臨床というのは、医療、保健、福祉、教育の4つの領域が積み重なった上に成り立つものです。それは、医者にできるところは限られているということでもあります。そこをしっかり理解していない医者は、ほんとうの児童精神科医とは言えません。そういう意味では、日本にどれほど児童精神科医と言える医者がいるか、疑問ですね……。

田中 投薬だけの治療も多くなっているようですね。

清水 それは、おおいに問題ですね。そういう医者には、児童精神科医と騙らないでくれと言いたいです。”

 

確かに、例えば「教育システムにおかしさ」を感じて不登校の子の、

個々の精神面をみたところで、何の解決にもなりませんよね。

教育環境など、その子を取り巻く状況をみていく必要があるのですね。

 

精神科医ではなくとも、子どもに関わる大人として、

こうした様々な角度からその子の健やかさを見ていく姿勢を大切にしたいです。

 

清水氏は、今80代で「多動爺」と呼ばれながら、

情緒障害児短期治療施設を訪ねるケーススタディーを続けているそうです。

不登校の子を受け入れている『生野学園』にも関わっているとのこと。

清水氏のようなより全体的な視野をもった精神科医が続いてほしいですね。 

 

 


誰も彼もが18歳で大学進学を目指すという教育構造の弊害

清水氏は、「大学の粗製濫造は、日本の教育を大きく乱した」と言います。

大人数授業で内容の乏しい大学が乱立し、

とにもかくにも、一斉に「大学」を目指す状況を生み出したと。

 

山下:大学や学部は増えても、かたちばかりで、多くの子ども・若者にとって、進学の意味も空虚にならざるを得なかったと言えるでしょうね。

清水 そうです。高学歴化は、大学に行く行かないにかかわりなく、若い世代に悲劇を与えていると思います。勉強が大好きで、研究者を目指して進学する人は別にして、多くの子ども・若者にとっては、高等教育の意味がわからない。
 政府は、いまごろになって給付型の奨学金を創設すると言っていますが、そんなことでは追いつかない、基礎構造の問題がある。偏差値という数字や学歴で人間が査定されてしまっているのですからね。教員にも結果が求められるし、小学生にまで選別のまなざしが入ってしまっている。これは大きな問題でしょう。

山下 何のためか、よくわからないことのために、がんばらないといけなくなっている。

清水 子どもだけではなく、保護者も教員も見えていない。それなのに競争させられて、そこで一服したい子が生きづらくなっている。遅咲きの子もつぶされている。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という言葉が、いちばん伝わらないのが教育界です。”

 とのこと。

 

これは、米国でも見られる風潮です。

最大の視聴者数をはじきだしたとされる教育学者のケン・ロビンソン氏のテッドトークにもありました。

「今の学校とは、大学教授を最終目標とした教育システム」と。

なぜか皆が皆大学教授になるための訓練を受け、できるできないと振り分けられてしまっている。

「勉強が大好きで、研究者を目指して進学する人は別にして、多くの子ども・若者にとっては、高等教育の意味がわからない。」

わけです。

 

例えば、ロビンソン氏のテッドトークでも紹介された

ダンサーとして花開いたジリアン・リン氏が、学校システムからはじきだされかけたように、

頭ばかりで、他のギフトを培うことがおろそかになっている。

「学習障害」とされた子にダンスの能力を見出した医師、「ものさし」を多様化するということ

 

 

 

長らく教育界に身をおき、教育学をおさめた姑とも 

滞在中に、こうした話をしました。

互いに強く同意したのが、

小さな頃ほど、子どもが自主的に探索できる時や場を持つこと、

そして結果への評価をはさみこまないことの大切さです。

 

清水氏が指摘する「偏差値という数字や学歴で人間が査定されてしまっているのですからね。教員にも結果が求められるし、小学生にまで選別のまなざしが入ってしまっている。」

といった状況がいかに、多くの子ども達の力を埋もれさせているか。

 

 

また、清水氏の指摘の「遅咲きの子もつぶされている。」について、

夫方や私の側の親族にも、学習障害やメンタル系にも様々な特性のある人々がいるのですが、

気がつくのは、そうした人々は「遅咲き」の場合が多いということです。

 

また「敏感な子」の中には、競走が大嫌いだったり、

競走のある場ではことごとく力を発揮できない場合もあります。

 

インターンやボランティアやアルバイトを通して、

実際に働いてみたり作業してみたり、実践と机上の間を行き来しながら、

より時間をかけ、花咲いていく子ども達もいます。

 

18歳で我先にと人生が決まってしまうようなシステムではなく、

多様なギフトが生かされる社会となるよう願っています。

 

 

私自身も、小学校時代、原因不明の病気になって一ヶ月ほど学校へいけなかったり、

中高校も、留年にならないぎりぎりの日数のみ出席するようにしていました。

中高校と年をへるごとに、授業中というのは、

常にぼーと白昼夢で、振り返っても「学んだことってあったかな?」と思います。

「まき戻し」も「はや送り」もできない一斉に向けての授業が、

頭に全くはいってきませんでした。

自分のペースややり方で、探索し・考え・気づくとできない環境は、

学習環境として無理があり過ぎる子もいる、そう痛感している1人です。

 

 

以前も書きましたが(関連記事)、

通常の学校の他に受け皿や選択肢があるのなら、「行けない」と悩み立ち止まる時間や力を、

「自分はこっちの方が合ってる」と場を移し、持てる力を伸ばす方向へと前向きに進むことに用いていけます。

 

通常の学校以外の選択肢が、増えていきますように。

 

関連記事:

ちきりん氏の記事に思うこと、「学校で無駄に過ごす」から「多様な選択肢のある」システムへ

「ちきりん『学校は不利な人をより不利にする場所』 イケハヤ『まだ不登校で消耗してるの?」について思う

『ひといちばい敏感な子』を訳した明橋氏が訳書の冒頭に書かれている言葉に思うこと

朝日デジタルの記事に思う、多様な学習スタイルを選べる教育システムでは「不登校」なんて存在しない

 

 

日本の「寺子屋」を思いつつ、「子育てスタジオ」をこつこつと築いていきます。

それでは、みなさん、今日もよい日を! 

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