マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「無条件の愛情」といったって難しいもの、心の底に感じ入るロールモデルがあるということ

2016年05月04日 | 子育て全般

昨日は一日中走りまわっていたんですが、

その中で、しみじみ考えさせられた話をシェアさせてください!

 

30代から50代のアメリカ人女性数人との話し合いの場。

その中の一人Tさんが、ティーンの娘さんについての悩みを打ち明けます。

 

全く自分と価値観が違う。

自分が大切にしてきたことと全く反対のことをする。

言葉遣いも横柄で、周りへの配慮も欠け、

服装に慎ましさは見られず、年上への礼儀もない。

 

娘に対して否定的な思いが溢れ、

娘を前にすると、咎める言葉ばかりになってしまう。

娘との関係も悪化の一途。

もう手遅れなんだろうか?

 

 

 

場にいた皆で一致したのは、

「手遅れ」なんてないということ。

そして、いくつになっても、

子供は親が受け入れてくれることを嬉しく思うもの。

 

まずは、自らの価値観を横に置き、

少しでも「いい面」や、「本人が興味関心のあること」に耳を傾けるなど

関係を築くことにフォーカスしてみるのがいい。

 

ダメ・違うと否定ばかり→ますます反発→ますますダメ・違う→ますます聞かない

といった「悪循環」から抜け出すこと。

関係を築き直してからでないと、

こちらの思うことなど、子供の心には届かない。

 

親は、子供に対し、

教えよう教えようと上からコントロールするような姿勢になってしまいがちだけれど、

同僚や、友人のようなつもりで接してみるのもいい。

会うたびに咎められ、続く関係などないのだから。

相手の話を聞き理解しようとし、いい面を口に出し認めてみて。

 

と、これらがその場の皆で一致した意見。

 

 

そしてまたこれは、子供がどんな年齢であっても、

「子育ての基本」として、思い出していきたいことですね。

 

 

 

すると、悩むTさんが言います。

「でもね、難しいのよ。

自分が大切に思う価値観を踏みにじるようなことを、

目の前で続けられると。

そういった相手が職場の同僚なら、当たり障りない距離を持つようにし、

友人なら、友人としての関係を続けようとは思わないじゃない?」

 

特に、見た目も大人に近くなり、

一人の人としての存在感を日々増していくティーンとなると、

本当に難しいもの。Tさんの気持ち、とてもよく分かります。

 

 

 

そこへ、50代の女性Sさんが言います。

「自分がどれほど過ちを侵し、愚かなことをしてきて、

それでも許されてきたか、それでも愛されてきたかを、

思い出してみて。

親との関係の中で、そういった体験が思い出せないようなら、

『神』との関係ではどう?」

Sさんと、Tさんは、同じ教会に行っているそう。

 

こちらでも、宗教について話すのは、

宗教的な集まりでない限り、難しい場面もありますから、

「もし気分を害したらごめんね」と周りに気遣いながら、

Sさんは続けます。

 

「どれほど馬鹿なことをしても、

一時も離れず見守ってくれている。

どれほど辛いときを通り奈落の底で希望を失っても、

一緒に歩いていてくれる。

その気持ちを、日々思い出してみて。

絶え間なく注がれているものを。」

 

Tさんの目に、涙がじわりと浮かび、

うつむいて、ティッシュを目に当て。

 

ティーンを持つ親として、

私ももらい泣きしてしまいながら、

なるほどなーとしみじみ思いました。

 

「無条件の愛情」というものに感じ入ることのできる、

強烈なメタファーが共有されている、と。

 

 

親も人間ですから、

なかなか「無条件の愛情」を注ぐのも、

子供として注がれていると感じるのも、難しいもの。

親から「無条件の愛情」を十分に感じて育った、

という人は本当に幸せ。

 

それでも体感として覚えがないという人でも、

ロールモデルとして目指し、真似ることのできる、

人間を超えたところに作り上げたられたイメージがある。

今完璧とはいかずとも、過程にある者として、

見上げ進むことができる存在。

 

私自身、今のところ特定の宗教には属していないのですが、

こうした「人を超えた存在」への想いが、

子育てに与える「いい影響」というのを、

ひしひしと感じた昨日でした。

 

どんな私であっても、

変わらず包み込んでくれている、

そう心の底で感じ入る感覚。

すると、目の前の子供にも、

「無条件の愛情」というものを

注ぐことが可能になっていきます。

 

 

6歳で母親と離れ離れになった夫が、

救われてきたのも、

この「人を超えた存在」に感じ入ることだったんですよね、

そう共に暮らしてきて思います。

彼も、教会などに通うといった、

特定の宗教には入っていないのですが。

 

日本でいうと、「神」という確固としたイメージよりも、

「お天道様」とか、

もう少し自然に根ざした森羅万象的なものなのでしょう。

それでも、心臓は鼓動し、髪や爪は伸び続け、

太陽の光が降り注ぎ、生かされている、といったような感覚。 

 

 

Tさんと娘さんが、

難しい今を、その先へと続く「過程」として、

共によりよき方へと歩まれていくことを願っています!


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