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ハイリーセンシティブチャイルドと「しつけ」、早い時期から内に「律」を育むHSC

2016年05月02日 | ハイリーセンシティブチャイルド

「しつけ」とは、

集団生活が成り立つための「善悪の律」を伝えたり、

文化的社会的な慣習を伝承するための訓練。

 

ヒトはひとりでは生きてはいけない動物ですから、

「しつけ」というのは、ヒトの子にとって必要不可欠なこと。

 

とはいえ、「しつけ」を通して、

子育てに関わる大人が最終的に目指すこととは、

子供達が、それぞれの内に「律」を育んでくれること(internalize)

「怒られるからしない」ではなく、

「して良いこと良くないこと」を自分で判断できるようにすること、ですよね。

 

こうした「律」への意識は、

世話してくれる人との「親密な関係の中」で、

自然に芽生え始めると報告されています。

 

小さな時分から「しつけなければ!」と目くじら立て意気込まずとも、

子供達は、大好きなこの人を困らせたくないな、

大好きなこの人が喜ぶ姿をみたいな、

そういった気持ちと共に、

内に「律」を育み始めるというんですね。

 

とはいえ、自我の芽生える2歳前後には、

自分のしたいことと、

その大好きな人が望むことが、

ぶつかり始めます。

 

自分はこうしたい!と、

でも大好きなこの人はこうしてほしいという葛藤の中で、

気持ちが高まり、嘆き、癇癪を起し。

 

それでもこうした感情の発露を受け止めてやりつつ、

やり取りを繰り返すうちに、

3歳ころには、周りの大人の見方を、受け入れ始めるといいます。

 

これは、

「大好きなこの人」との愛しい関係を保ちたいという思いと同時に、

「論理的な理由」も理解できるようになっていくためといわれます。

 

簡単に壊れちゃうからこれは触っちゃダメなんだな、

高いところから落ちたら怪我をするから登っちゃダメなんだな、

玩具を取りあげたら相手が悲しい気持ちになるからダメなんだな、

など、より論理的に理解し、思い出せるようになっていくんですね。

 

こうして、徐々に、「律」というものが、

子供自身の内に育まれていくといいます。

 

 

では、どんな時に、子供の内に最も「律」が育まれるのか?

と研究者が調べたところ、

それには子供の「感情の状態」が大きく関わっている、

と分かっているようです。

 

関心が向いておらず感情が動いていない場合や、

感情が高まり過ぎ取り乱している場合は、

なかなか、「律」がその子の内に育まれるのが難しいとのこと

 

確かにそうですよね、

何度言い聞かせても、右から左へと素通りで全く関心が向いていないなら、

同じことを何度だってやるでしょう。

逆に、癇癪爆発し感情の嵐が荒れ狂っていても、

なぜ注意されたのかさえ覚えていないかもしれません。

 

関心が向いておらず感情が動いていない場合は、

遠くから言い放っておしまいでなく、

両手を握るなどし、目を見て、はっきりと話しかけてみること。

「なぜだめなんだと思う?」と好奇心に訴え、

注意関心を惹き、自分の頭で考えさせてみるのもいいですね。

自分の頭・身体を通ったことは、身に付きやすいです。

 

感情が高まり取り乱している場合は、

まずは感情を落ち着けること。

 

 


と、ここから、ハイリーセンシティブチャイルドについてです。

アイオア大学の心理学者Graznya Kochanska氏は、

子供の性質によって、

「律」を学ぶやり方が異なると報告しています。

 

そして様々異なる性質を持つ子供を比較したところ、

HSCの場合は、かなり早い時期から、

より自然に内に「律」が育まれやすいとのこと。

 

これは、批判や罰に敏感であるということもあるでしょうが、

周りに何が起こっているかに気づく敏感さが、

行動に反映され抑制するためとされています。


そしてハイリーセンシティブチャイルドについて、

様々な本や記事などで繰り返し目にするのが、

「穏やかなしつけを心がけましょう」という言葉です。

 

激しく叱責したりというのは逆効果なわけです。

少しの注意でも、気持ちを高ぶらせ感情を爆発させたりしますから、

そうなると、先ほどあげた研究にもあったように、

何で注意されているのかさえ思い出せなくなってしまうわけです。

厳しい罰など受けるなら、ただただ恐怖感だけが残ってしまうんですね。

 

 

 

これは私自身もとてもよく覚えています。

私が小学生時代(ちなみに私は1973年生まれ)には、

忘れ物をした子を前に立たせ、先生が順番に平手打ちする、なんてことも日常茶飯事。

もう、どれほど忘れ物をすることが恐怖だったか。

何度点検して学校に通っていたか分かりません。

登校の途中で気づき、学校に行けなくなって帰宅したことさえありました。

 

我が家の子供達も、小さな頃程、こういった様子がありました。

今朝も、「先週風邪をひいて学校を休んで宿題ができませんでした」と、

次男6歳の「宿題ノート」に記すと、

「ここにそんなことを書いてもいいことになってるの?」

と何度か心配そうに聞いてました。

宿題ノートには先生も生徒も宿題以外のことは書いたことないですからね。

その場にある「律」的なことに敏感なんですね。

 

私自身が通っていた当時の学校にもしタイムトリップなどしたら、

この子はどうなるんだろうと思うことがあります。

まあ見方によっては、現代の子供が弱くなっているともいえるのかもしれませんが、

ある意味、社会全体が、

「敏感さ」をより培ってきたともいえるのかもしれませんね。

 

小さな頃ほど、上の子達にもこうした様子がみられましたが、

今では皆、こちらの公立学校に揉まれ、

HSCな面もあるけどHSCとは言えないかなあ、というような子もいます。

 

次男も、3歳時にプレスクールをドロップアウトした頃が嘘のように、

今では、家の外の世界でも、

以前よりはのびのびと立ち振る舞うようになっています。

 

ハイリーセンシティブな子が、

敏感さを大切にしつつ、

たくましく育っていきますように!

 

ハイリーセンシティブチャイルドと「しつけ」

(しつけ=「内に律を築くサポート」とした方がしっくりくるかもしれません)

について、後ほどもう少し続けていきたいと思います!

 

参考資料:

『The Highly Sensitive Child 』by Elaine N. Aron


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