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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

子供時代から「認知のゆがみ」ユガミンに気づく習慣を育む、同時に覚えておきたいこと

2016年05月29日 | 子育て全般

昨日の記事(「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介

にある「認知のゆがみ」について。'

 

大人になってから、

長い年月をかけ深く刻まれた考え方の癖や習慣を治すよりも(もちろん可能ですが)、

子供の頃から、自分で調整する習慣を身につけられたら、

将来、その子のためになるだろうなあと思っています。

 

昨日紹介した、

「認知のゆがみ」をわかり易くシンプルに表す「ユガミン」キャラクター。

自らの考え方や感情に向き合う中で、

「あ、ユガミンだ」と気づけるようにしておくといいですね。

 

「悩みは、がまんするしかないのかな?」こころの健康副読本編集委員会 3ページ目より

 

ジーブン: よくないことが起こると、全て自分のせいだと思う。

シロクロン: 白か黒かのどちらかだけと考える。現実はその「間」のグレー状態がほとんどにも関わらず。

ベッキー:「べき/べきでない」と「律」に縛って物事を眺める。

ラベラー: こうだ!こういう人だ!と物事や人にラベルをはり、はがさない。

ジャンパー: 根拠が不確かでも、ネガティブな展開や思い付きを信じる。

フィルタン: ポジティブ面をざーと流し落とし、ネガティブ面だけ残るフィルターで物事を眺める。 

パンカー: 物事を一面だけをみて、一般化する。 

マグミニ: ネガティブ面を極大化、ポジティブ面を極小化。

 

 

とはいえ、

ユガミンを忌み嫌い見下し、

「こういう風に考えちゃダメ!」と反応するのではなく、

「ああ、ユガミンが出てきたねー」、くらいがいいのだと思います。

 

嫌悪感が強い間は、ユガミンたちも、より力を持つもの。

それには、嫌悪感のわかないような、

これぐらい「可愛いキャラ」でイメージするのもいい方法ですね。

 

ユガミンに気づく習慣とは

「思考や感情は、天気のように、移り変わっていくもの」、

そう眺められる姿勢とセットで身に着けていきたいです。

 

大人が頭で「思考や感情と自分を同一化しない」などと考えるよりも、

子供は、こうした「お天気」などのメタファーで、

案外すっと、「がんじがらめにならない姿勢」を身に着けやすい、

そう感じています。

 

ヘルシーな「考え方のくせ」を育むサポートを、

していきたいですね。


「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介

2016年05月28日 | 子育て全般

昨日の記事「ひとつひとつの「爆発」が、思うようにならない物事に向き合う力&スキルを育むで、

「認知のゆがみ」について少し触れたのですが、

もう少し分かり易く説明します。

 

「認知のゆがみ(cognitive distortion)」とは、

誇大であったり論理的でなかったりといった「思考パターン」です。

そしてこれらの思考パターンとは、

うつや不安感などといった精神病理学的な状態を永びかせるとされています。

 

「認知行動療法」などでも、

この「認知のゆがみ」に自ら気づくことが、

セラピーのコアとされているようです。

 

「認知のゆがみ」について草分け的な研究をしたとされる

精神科医 Aaron T. Beck氏とDavid D. Burns氏によると、

主に以下のような「認知のゆがみ」があるといいます。

 

・フィルタリング

物事について、細かいネガティブさを拡大視し、ポジティブな面を全てそぎ落としてしまう。フィルターを通し、ポジティブ面は全てザーと流し落とされ、残るのは、ネガティブ面のみ、といったイメージですね。

 

・黒か白かといった極端思考

黒と白の「間」が抜け落ちた思考。物事や人々を、「グレーゾーン」などの現実にある「複雑さ」を考慮せず、黒か白かのどちらかに振り分ける思考。完璧でなかったら、自分は完全な失敗者だと思うなど。


・過度の一般化、レッテル貼り

ひとつの出来事や一片の証拠に基づいて、全体的な結論を決め付ける思考。一度だけ起こった思わしくないことが、これからも何度も起こってしまうだろうと思うなど、ひとつの物事を、何の打つ手もない終わりなきパターンに組み込まれたものとしてとらえる。

 

・結論に飛びつく

少しの証拠から結論を決め付ける。相手がこういう態度を取るのは、自分をこう思っているからだと「心を読んだり」(実際はそう思ってないかもしれないのに)、今こういうことが起こったから、未来もこうなるに違いないなど「未来を読む」(そんなこと分からないはず)ような思考パターン。

 

大惨劇化する

 「もし~したら・・・」などと、「惨事」の可能性を広げていく。

 

・個人的にとる

 他者が言ったりしたりすること全ては、自分に対しての直接的な個人的な反応だととらえる。誰がより賢くよい見かけかなどを決めるため、すぐに他者と比較するなども。

 

・周りが全ての手綱を握っている

自らの喜びも痛みも全て周りによるという考え方。自分は何もできない被害者という思考。

 

・「~すべき」

すべて「すべき」「すべきでない」と考え、そうしないと何らかの形で罰せられるかのようにとらえる。

 

・感情的に論理づける

こう感じるから、こうに違いないと考える。私って馬鹿だなあ→私は馬鹿。「感情は行き来するもの」にも関わらず。

 

・他者を自分の思うように変えられるという期待

圧力を与えたり甘い言葉でつり、他者を自分に合わせるために変えられると思う。他者が変われば全てうまくなると考える。結局、他者が手綱を握っているんですね。

 

・極小化、極大化

いいことは極小化、よくないことは極大化する思考。

 

・常に正しくある

「正しくあること」が、他者のフィーリングより重要だとする。どんな状況でも、正論を振りかざす。どんなに相手を傷つけようとも、私はこの議論に勝つだろう、なぜなら私は「正しい」のだからと、「個の興味」を、他者のフィーリングに優先させる。

 

・「天国」が報酬を与えてくれる

まるで誰かが常に記録していてくれるかのように、自己犠牲や自己否定の見返りがいつか与えられると期待する。何の見返りもないと、苦しくなる。

 

 

こうした思考に陥っていく自分に、

あ、そうそう、と気づいていくこと、

それだけでも、随分と変わってきます。

 

 

 

 

こちら米国では、子供向けに、

それぞれの「認知のゆがみ」を動物にたとえたものなどがあるんですが、

日本でも、こんな「キャラクター」になってたりするんですね!

 

「自分の『気分』や『考え方のクセ』に気づくことで、

もやもやした気持ちや、よくわからない感情がすっきりして、

気持ちが軽くなることにつながります。」

とのこと。

(「悩みは、がまんするしかないのかな?」こころの健康副読本編集委員会 3ページ目より)

 


「自分を苦しくする考え方のパターンに気づいていこうね」

そんな話を子供たちとすることが助けになっている、

そう実感しています。

 

年齢に合わせ、こうした言葉や図を大いに活用し、

その子の心に届く話し合いをしていきたいですね。

 

みなさん、楽しい週末をお過ごしください!

 


参考資料:

 ‘Cognitive Distortion’Wikipedia

‘15 Common Cognitive Distortions’ By John M. Grohol, Psy.D.

 


「引越し先」考、年齢が上になるにつれ「家の外との繋がりを築く」へフォーカス

2016年05月21日 | 子育て全般

引越し先の物件を決めるのも佳境。

 

資本も期間も地域も限られた中で、

何を優先するか問い続ける日々です。

 

小さな子供にとっては、

「家」というものが「人生の全て」といっても、

過言でない生活。

 

それでも、子供は大きくなるにつれ、

コミュニティー活動のメンターやスポーツのコーチなど、

親以外の方々ともより強い繋がりをもつようになり、

少しずつ、コミュニティーの一員として、

外の世界へと歩き出していきます。

 

資本面も地域面も、

「外と繋がっていく」ということにフォーカスし、

家というのは、外で動き回っては、

戻ってほっとできるだけの、

ミニマムなスペースと快適さがあるぐらいでいいのだろうね、

そんな話を夫としています。

 

 

シンプルに、大切にしたいものだけを選んで。

引越しは、何度もしてきましたが、

そのたびに、必要のないものを整理し、軽くなる気持ちです。

 

さて、今週末は、子供たちと一緒に、具体的な物件を周ります。

子供1人1人こだわりがあり、

全員一致というのはなかなか難しいのですが、

不一致のひとつひとつが、

話し合い、お互い納得できる着地点を見い出す姿勢(win-win)を、

学ぶ機会になりますね。


「人間の尊厳」には 自らも含まれると思い出させる

2016年05月19日 | 子育て全般

自らを責め、追い詰める子供に対し、

「自分に自分をそんな風に貶める権利なんてないのよ」

と言うことがあります。

 

自分に他者を踏みにじり立ち上がれなくなるまで叩きのめす権利などない、

それと同じように、

自分に自分を踏みにじり立ち上がれなくなるまで叩きのめす権利などないんです。

 

HSC(ハイリーセンシティブチャイルド)は、往々にして、

他者の尊厳を尊重することには天然的に長けているんですが、

自分の尊厳は、やすやすと踏みにじりがち。

 

「自分の尊厳を尊ぶ」という姿勢を思い出させてやりたいです。

 

これは、

髪がうまくセットできないことに、

打ちひしがれ癇癪を起こす娘に、

「あなたは、髪の毛よりもずっと尊いのよ。」

 

絵を描きながら、間違えたと癇癪を起こす子に、

「あなたは、絵を描くことよりも、ずっと尊いのよ」

 

そう声をかけることにも、つながっています。

 

結構、子供の心に届き、

落ち着いたりするんですよ。

 

「人間の尊厳」には、

自らも含まれる、

そう思い出させてやりたいですね。


一次体験を堪能しておくと二次・三次情報に触れても 好奇心の勢いや理解の深さが違う

2016年05月16日 | 子育て全般

昨日の昼過ぎ、

「うわー、ママー、お姉ちゃーん、みてみてー!」と叫ぶ下2人。

 

玄関ドアに、お客さま。

のびたり、

ちょっとポーズとってみたり。

 

うひゃー、ほほー、とはしゃぐ子供たち。

 

アラスカ育ちの子供たちにとって、

身近にこうして多様な生物のいる環境は、

驚きの毎日。

 

 

これまでも、こんな興奮体験いろいろあったわけですが、

しみじみ気をつけたいなと思うことに、

一次体験を堪能している最中に、

「なんて名前か調べてみよー」「どんな生息環境に育つんだろうねー」などと、

すぐに「これを機会に学ぼう!モード」にもっていかないというのがあります。

 

本人たちは、目の前の体験に感動している真っ只中。

それを、すぐさまネットや図鑑の文字や画像情報に狭めてしまっては、

なんとももったいないんですよね。

そんな親の行動も、「純粋に知りたい!」という気持ちからきているのならまだしも、

「学ばせないと!」というような意図まる出しで、

「ほら、調べよ調べよー」とせかそうものなら、

子供たち、すぐにシラーとなってしまいます。

 

 

まずは、じっくりと、

目の前のそのモノの雰囲気を堪能し。

出合いとの興奮にたっぷりと浸ってみます。

 

それで、しばらくして落ち着いてから、

「で、あれって、どんな種類なんだろうねー」などと、

図鑑やスクリーンに向かってみる。

 

一次体験をしっかり堪能しておくと、

文字や画像の二次・三次情報に触れても、

好奇心の勢いや理解の深さが違いますね。

何食べるんだろう? どんな環境に暮らしてるんだろう? 

寿命は? 両生類と爬虫類の違いは? 冷血種と温血種の違いは?

などなど、文字や画像を活用し、興味を広げていくことができます。

 

 

 

ところで、このカエルさん、

American Green Tree Frog(アメリカアマガエル)」というのだそうですが、

昨日の昼ごろから、今日も午後過ぎまで、

ずっと玄関にはりついてるんですよね。

何度も出たり入ったりしてるんですけど、

寝てます・・・。

弱ってるんですかね。

「ここで、死んじゃうのかな・・・」と子供たち。

様子を見守っていきます。


「無条件の愛情」といったって難しいもの、心の底に感じ入るロールモデルがあるということ

2016年05月04日 | 子育て全般

昨日は一日中走りまわっていたんですが、

その中で、しみじみ考えさせられた話をシェアさせてください!

 

30代から50代のアメリカ人女性数人との話し合いの場。

その中の一人Tさんが、ティーンの娘さんについての悩みを打ち明けます。

 

全く自分と価値観が違う。

自分が大切にしてきたことと全く反対のことをする。

言葉遣いも横柄で、周りへの配慮も欠け、

服装に慎ましさは見られず、年上への礼儀もない。

 

娘に対して否定的な思いが溢れ、

娘を前にすると、咎める言葉ばかりになってしまう。

娘との関係も悪化の一途。

もう手遅れなんだろうか?

 

 

 

場にいた皆で一致したのは、

「手遅れ」なんてないということ。

そして、いくつになっても、

子供は親が受け入れてくれることを嬉しく思うもの。

 

まずは、自らの価値観を横に置き、

少しでも「いい面」や、「本人が興味関心のあること」に耳を傾けるなど

関係を築くことにフォーカスしてみるのがいい。

 

ダメ・違うと否定ばかり→ますます反発→ますますダメ・違う→ますます聞かない

といった「悪循環」から抜け出すこと。

関係を築き直してからでないと、

こちらの思うことなど、子供の心には届かない。

 

親は、子供に対し、

教えよう教えようと上からコントロールするような姿勢になってしまいがちだけれど、

同僚や、友人のようなつもりで接してみるのもいい。

会うたびに咎められ、続く関係などないのだから。

相手の話を聞き理解しようとし、いい面を口に出し認めてみて。

 

と、これらがその場の皆で一致した意見。

 

 

そしてまたこれは、子供がどんな年齢であっても、

「子育ての基本」として、思い出していきたいことですね。

 

 

 

すると、悩むTさんが言います。

「でもね、難しいのよ。

自分が大切に思う価値観を踏みにじるようなことを、

目の前で続けられると。

そういった相手が職場の同僚なら、当たり障りない距離を持つようにし、

友人なら、友人としての関係を続けようとは思わないじゃない?」

 

特に、見た目も大人に近くなり、

一人の人としての存在感を日々増していくティーンとなると、

本当に難しいもの。Tさんの気持ち、とてもよく分かります。

 

 

 

そこへ、50代の女性Sさんが言います。

「自分がどれほど過ちを侵し、愚かなことをしてきて、

それでも許されてきたか、それでも愛されてきたかを、

思い出してみて。

親との関係の中で、そういった体験が思い出せないようなら、

『神』との関係ではどう?」

Sさんと、Tさんは、同じ教会に行っているそう。

 

こちらでも、宗教について話すのは、

宗教的な集まりでない限り、難しい場面もありますから、

「もし気分を害したらごめんね」と周りに気遣いながら、

Sさんは続けます。

 

「どれほど馬鹿なことをしても、

一時も離れず見守ってくれている。

どれほど辛いときを通り奈落の底で希望を失っても、

一緒に歩いていてくれる。

その気持ちを、日々思い出してみて。

絶え間なく注がれているものを。」

 

Tさんの目に、涙がじわりと浮かび、

うつむいて、ティッシュを目に当て。

 

ティーンを持つ親として、

私ももらい泣きしてしまいながら、

なるほどなーとしみじみ思いました。

 

「無条件の愛情」というものに感じ入ることのできる、

強烈なメタファーが共有されている、と。

 

 

親も人間ですから、

なかなか「無条件の愛情」を注ぐのも、

子供として注がれていると感じるのも、難しいもの。

親から「無条件の愛情」を十分に感じて育った、

という人は本当に幸せ。

 

それでも体感として覚えがないという人でも、

ロールモデルとして目指し、真似ることのできる、

人間を超えたところに作り上げたられたイメージがある。

今完璧とはいかずとも、過程にある者として、

見上げ進むことができる存在。

 

私自身、今のところ特定の宗教には属していないのですが、

こうした「人を超えた存在」への想いが、

子育てに与える「いい影響」というのを、

ひしひしと感じた昨日でした。

 

どんな私であっても、

変わらず包み込んでくれている、

そう心の底で感じ入る感覚。

すると、目の前の子供にも、

「無条件の愛情」というものを

注ぐことが可能になっていきます。

 

 

6歳で母親と離れ離れになった夫が、

救われてきたのも、

この「人を超えた存在」に感じ入ることだったんですよね、

そう共に暮らしてきて思います。

彼も、教会などに通うといった、

特定の宗教には入っていないのですが。

 

日本でいうと、「神」という確固としたイメージよりも、

「お天道様」とか、

もう少し自然に根ざした森羅万象的なものなのでしょう。

それでも、心臓は鼓動し、髪や爪は伸び続け、

太陽の光が降り注ぎ、生かされている、といったような感覚。 

 

 

Tさんと娘さんが、

難しい今を、その先へと続く「過程」として、

共によりよき方へと歩まれていくことを願っています!


子供時代にたくさん体験させたい「差し出す喜び」

2016年05月02日 | 子育て全般

これまで何度か誕生日会にお呼ばれしてきました。

(5人いますから、毎週末なんてことも!)

 

様々なアクティビティーがあって、

ケーキや甘いものが食べられる!

とそのたびに、子供達大喜び。

 

そんな溢れる喜びの中で、

フォーカスしたいと心がけているのが、

「差し出す喜び」を体験することです。

 

これまで、様々な子供に接して感じてきていることに、

小さな子ほど、「あげる」ことがピュアに大好きなんだなあ、

というのがあります。

 

誕生日会は、この「あげる喜び」を満喫する絶好の機会。

 

・まずはお友達に何が欲しいか聞きます。

 ・プレゼントをどこで購入するか、いつ買いに行くか計画を立て

 ・お店でプレゼントを選び

 ・包み紙でラップし

 ・カードを作り

 ・本人に渡す

 

これら一連の行為を見守りつつ、

 

○○ちゃん、これもらったら嬉しいだろうねー、

この包み紙開けた時、○○ちゃんどんな顔するだろう。

このカードに書いてあること読んだら○○ちゃん喜ぶだろうなあ、

 

などなど言葉をかけながら、

子供の内にじわじわと湧き上がる「あげる喜び」を盛り上げていきます。

 

 

週末も、次男のクラスメートの誕生日会だったんですが、

次男が事前に「プレゼントは何がいい?」と聞いたところ

「服がいいな」と○○ちゃん。

 

次男と三女で、

サイズを確認しながら、

ピンクのシャツと花柄のショーツを選び、

包み紙にリボンをつけ、カードを作り。

 

うきうきと笑みがこぼれ、

誕生日会が始まる時刻が待ち遠しい次男。

○○ちゃんの家の庭で、

ちょっとはにかんだ様子で包み紙を差し出し。

包みを開けて、ぱっと輝く○○ちゃんの表情!

 

 

誕生日会だけでなく、

近所の方や学校のスタッフの方に、

カードやクッキーを作って渡したり、

おじいちゃんおばあちゃんに絵を描いて送ったり、

「あげる」喜びを体験する機会を、

ちょこちょこと散りばめていけたらいいですよね。

 

子供たちの持つ、

「差し出す喜び」を大切にしてやりたいですね!


ひとつひとつの不快感を「自分で自分を快適にする姿勢」を学ばせる機会に

2016年04月29日 | 子育て全般

三寒四温の春、とはいえ、こちら毎日驚くほどの気温差です。

30度を越え真夏の太陽!と思えば、

翌朝8度まで下がり雨しとしと。

厚手のジャケットが必要になったり。

 

この気温差にやられたのか、

昨夜から次男6歳が、咳、鼻水、悪寒、熱。

夜中も15分ごとぐらいに、鼻づまりや咳で起きてました。

学校は休んだものの、

おかげさまで、機嫌もよく元気もあるようで、

鼻歌を歌いながら遊んでます。

 

 

遊びながら「寒い寒い」というので、

「じゃあ、どうしたらいい?」と言葉をかけると、

タートルネックの上に着ぐるみを着込み、

サルになってました。

一番あったかい「洋服」ですね。

 (右のドア下には、「寒いから」と毛虫のジョニーとソフィアが屋内に・・・)

 

この

「じゃあ、どうしたらいい?」

という言葉、家庭でよく使うんですが、

ある程度関係を築いた生徒との間でも、

有効です。

 

不快なことや、何かうまくいかないことに対し、

「あれしなさいこれしなさい」と指示したり、

さっと、動いてしてやったりする前に、

「じゃあ、どうしたらいい?」とだけ言葉をかけてみる。

 

 

ミルクこぼれちゃった! 服に絵の具がついたら嫌! 紙が折れ曲がった!

と困った様子の子供たち。


「じゃあ、どうしたらいい?」

 

すると、

布巾をとりにいってふきとる。

教室に常備してあるスモッグを着る。

「新しい紙を下さい」と言う。

などと、自ら動いていきます。

 

その後は、

きれいになったね!

これで大好きな洋服が汚れなくてすむじゃない!

もちろん! きちんと話してくれてありがとう。

などと、「結果を一緒に喜んで」やります。

 

こうしてひとつひとつの不快感が、

自分で考え動いて工夫しと、

「自分を自分で心地よくする姿勢」を学ぶ機会になりますね。

 

 

子供によって、

自ら工夫しきった後に、

ようやく外に向けて声を発する子もいますから、

(HSCも見知らぬ場ではよくあります)、

そんな場合は、一緒にいろいろ試してやるなど、

その子の様子を見ながら、

言葉をかけていきたいです。

 

 

さて、今日はこれから、修学旅行を終えた次女を迎えに行ってきます。

「お腹すいたー、何か食べ物持ってきてー」、

と今さっきテキストが入ってましたから、

ひょっとして、修学旅行中あまり食べなかったのかもしれません・・・。

 

みなさん三寒四温の春、どうぞ温かくお過ごしください!


親から子供への期待パターンに気づきその子に向き合う

2016年04月22日 | 子育て全般

親から子供への期待とは、

 

自分がそうだから、その子にもそうなってほしい。

自分がそうだから、その子にはそうなってほしくない。

自分がそうでないから、その子にはそうなってほしい。

自分がそうでないから、その子にもそうなってほしくない。

 

とあると思いますが、

その先にある、

 

その子がどうあったら、

その子にとって最善なのか、

 

そう自らに問いかけ、模索していきたいですね。