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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「完璧な学業成果」を持つアジア人が米国トップ大学不合格になる事例、多様な能力を伸ばす大切さ

2016年04月12日 | 子育て全般

昨日、米国トップ大学への入学を拒否されたアジア人が訴訟を起こすケースが出てきていると書いたのですが、

もう少し詳しく、まとめてみます!

「The model minority is losing patience(模範的なマイノリティーが我慢できなくなってきている)」というエコノミストの記事を参考に。

 


「完璧な学業成績や業績」を持つアジア人がトップ大学を不合格になった事例

例えば、この記事にあるカリフォルニア州のマイケル・ワングさんの事例。高校の成績1002人中2番、ACT36(最高点)、オバマ大統領就任式で歌い、ピアノコンテスト全米3位、全米数学競技会トップ150位内、いくつかのディベート競技会のファイナリスト、といった「輝かしい業績」にもかかわらず、アイビーリーグ大学7校の内6校を不合格になったといいます。

これでダメなら一体誰が入学できるの?といった業績ですよね。

こうして「完璧な業績」を持ちながら、大学不合格となったワングさんのようなアジア人家族が団結し、大学相手に「人種差別」として訴訟を起こしているわけです。

 


訴訟への大学側の説明

大学側がこうした訴訟問題への説明として用いるのが、「入学審査は、『ホーリスティック』な見方に基づいています」というもの。「人種」は、考慮される「様々な要素の中のひとつ」であり、スポーツなどの課外活動、コミュニティーへの貢献、貧困や困難の克服など、志願者個々人を様々な面から審査していると。

例えば、「教育省市民権オフィス(The Education Department's Office for Civil Rights)」により「入学審査に人種差別はなかった」と結論付けられたプリンストン大学の事例を見てみますと、

2010年の入学申請者の内、人種に関わらず、クラスで成績トップ(valedictorians)の学生の82パーセント、そしてSAT満点(2400)の学生の50パーセントを不合格にしたとのこと。逆に、成績やSATスコアなどが低めであっても、スポーツや課外活動での活躍、貧困環境を克服して学業に励んだなどの学習背景持つアジア人学生の入学が許可されていると。

つまり、アジア人であっても、他の人種の学生同様に、様々な面を考慮に入れ審査されているということですね。

 


大学側の言う「ホーリスティックな審査」に含まれるもの

この「様々な面を考慮に入れ審査しています」というのは、私立大学では、「親か祖父母がその大学の卒業生」だったり、「多額の寄付金を出せる」といったことも、入学枠として確保されています。つまりアカデミックがちんぷんかんだろうと、親族が新しい校舎を建てられるくらいお金があるならば、子息は入学許可されるわけです。そして、これらのほとんどが白人。

「不公平」というか、私立ですしあくまでも「大学側の主観というか都合」が優先されるわけですね。

また、一定の「アフリカンアメリカン」「ヒスパニック」枠も考慮されています(affirmative action)(アフリカンアメリカンとヒスパニックの場合、この枠があることで入学率が上がるけれど、アジア人の場合「モデル少数者」と呼ばれるように全人口に占めるハイアチーバー率が高いため、枠組みがない方がむしろ有利)。

ということで、アカデミックに秀でたアジア人の子に残されたスポットは少ない、ということになっているのですね。

アジア人の学生はSATのスコアで140ポイント以上、他の人種の学生より高い点を取らないと、周りと同じ地点に立てない、というような数値も巷に出回っています。ハイアチーバーぞろいのアジア人内で熾烈な競争が必要になってしまうんですね。

 

 

では、人種を考慮しないとどうなるか?

カリフォルニア州では、人種を入学審査に考慮することを禁じています。

するとどうなるかというと、この記事の中のグラフ、とても分かりやすいんですが、カリフォルニア州にある全米トップ大学のひとつ「カルテック」では、学生の半数近く!をアジア人が占めているんですね。

一方、アイビーリーグのグラフを見ると、全人口に占めるアジア人人口がめきめきと増えている中でも、アジア人入学許可人数は過去23年間、横ばい。

 

 

なぜアジア人は学業面に秀でている?

では、なぜアジア人は学業成績に秀でているか?というと、昨日も少し書いたのですが、周りを見ても明らかなように、アジア人の子は周りが遊んでいる間も、こつこつと勤勉に机に向かっているということのようです。

こんな調査結果もあります:ニューヨーク市大学のAmy Hsin氏と、ミシガン大学のYu Xie氏が、6000人の白人とアジア人の子供を調査したところ、アジア人の子は白人の子より生まれつき賢いわけでもないと結論付けています。では何が違うかというと、「勤勉さ(hardwork)」とのこと。白人の子とアジア人の子との間では、学校生活を送るにつれ、「努力の差」が増していくと。

そしてそれぞれの子にインタビューしてみると、アジア人の子は、数学の能力とは生まれつきのものではなく「学習されるもの」と信じていて、親も子供に白人の親よりも高い期待を寄せる、とあります。

確かに、多くのアジア人以外のアメリカン人は、より「生まれ持った才能」というような考え方をしがちですね。「ギフテッド」というコンセプトもそうですね。アジア人の方々は、ギフテッドプログラムに子供を入れるために「努力」するわけです。それでも、こちらの方々は、「能力は生まれつき」だからと手をかけないことの方が多い。

私自身は、まあ当たり前ですが、能力は生まれつきのものと環境とが絡み合って伸びていく、と思っています。

 

 

ネットワークのトップに食い込めていないアジア人

こうして学業的に明らかに優れた成果をあげているアジア人、それでもビジネス界や政界や法曹界のトップに占める人口は少ないとされています。国を中枢から動かすネットワークに、アジア人は、食い込めていない状況というんですね。

「bamboo ceiling(竹の天井)」と呼ばれる現象だそうです。専門家(27%)、マネージャー(19%)、社長(14%)と地位が上になるにつれ、アジア人人口が減っていく。

法曹界でのトップファームのリクルーターも、まずはトップ大学でのスポーツなどの課外活動をを見るといいます。そうなると、アジア人はなかなか目に留まらないとのこと。

アカデミック界でも、アジア人の教授はたくさんいるわけですが、米国の3000の大学を見ると、学長になっているのは10人以下。

議会(113th congress)でも、アジア人が占めるのは2.4%だそうです。

 

 

ネットワークに食い込めないのはアジア人としての性質や文化背景も大きい?

「何かがアジア人をシャイにしている」

「エンジニアはnerd(オタク)が多いわけだけれど、そう自覚するグループの中でも、アジア人はもっとnerd」

「謙虚であるよう育てられてきたんです。静かに、波を立てず、チームの一員であるよう教えられてきました。それでも、ビジネス界では、警笛を鳴らし音を立てることを学ばなければならない。」

「議論するな。権威に矛盾してはならない。そういった儒教的な自然の秩序を学んできた」

などなど、前線で活躍する著名なアジア人の声。

とてもよく分かります。こちら、「大きな声出したもの勝ち」的な風潮がありますから。

 


各界のリーダー層を占めるトップ大学卒業者

こうした文化的な背景と共に、各界のリーダー層を占めるのがトップ大学卒業者であるため、トップ大学への入学が拒否されるようならば、ますます、アジア人がネットワークに食い込むのが難しくなってしまうと危惧する声も。

過去、ユダヤ人とアイビーリーグ大学について調べたJerome Karabel’s氏によると、「アイビーリーグがユダヤ人への差別を止めたときに、ユダヤ人は政治的な力を得るようになった」とのこと。

記事の最後には、有望なアジア人学生が大学を不合格になるといった事象により、アジア人に火がつき、政治的によりはっきりと主張するようになるかもしれない、とあります。

 

 

思うに

こう書いてきてもホント、「アジア人」と一言でいっても、内側にいる私たちとしては、いかに「多様」かを思いますね。アジア人の中にも、「ステレオタイプ」からはずれた能力って、たくさんありますから。

一般的なアジア人の特徴とされる「勤勉さ」を生かしつつ、オタクを極め、細やかでありつつ、それらの良さを架け橋として繋げられる人材、創造性や大胆さ、外交術や政治力に秀でた人材も養成していく。そうして互いの得手不得手を理解しつつ、多様な才能を合わせられたら。

これから世界という舞台で日本が立ち回っていくためにも、皆が皆、机に向かっていい点をとることを目指すというシステムから、今後、ひとりひとりの特性をより伸ばしていくような「多様な学習」のあり方を実現する必要がますます高まる、そうひしひしと感じています。多様な力を伸ばすシステムが、充実していくことを願っています!

改めて、まとめていきたいです!

 

 

 

*アイビーリーグなどの私立大学は何千万もの学費が必要になるのだから、経済的に可能な一部の学生しか行けないのでは?という質問がありました。

こうしたトップの私立大学はほとんどの場合、親の収入により学費が免除されます。確か、親の年収が一千万円以下ならば、学費が無料になるはずです。個々の大学によって違いもあるでしょうし、どうぞ詳細を調べてみてください!


アイビーリーグ大学教授の義弟に聞いた「米国トップ大学そして世界が求める人材」

2016年04月11日 | 子育て全般

結婚式&翌日のビーチでは、

夫の異父弟と話す機会もありました。

経済学博士として中南米の貧困層の教育改革などに取り組み、

全米トップのひとつとされる大学の教授でもある義弟。

大学では、入学審査にも関わっているとのこと。

 

私:今のアメリカのトップ大学への入学は、まるで「宝くじ」のようじゃない?

完璧な成績やスコア、数々のコンテストへの入賞、なおかつスポーツチームのキャプテンというような生徒も、入学審査をパスできなかったという例をいくつか聞いている。

 

義弟:アカデミックな成績やスコアは、確かに考慮される重要な要素なのだけれど、大学が求めているのは、「勉強ができる子」だけじゃないから。教えているクラスにもね、勉強ができるというわけじゃないのに、どうして?というような子がいたりするんだけど、そういう学生は、とても面白い発想を持っていることがある。

例えば、話を聞いてみると、音楽とコンピューターが大好きで、高校時代にコンピュータで音楽を奏でる「コード」を自ら発明したとかね。

勉強がよくできる子を選ぶと同時に、それとは別に、独特な才能や創造性やリーダーシップなど他の側面に秀でた子や可能性のある子も見ていくんだよ。

あと、アカデミックなスコアだけ見るのなら、アジア人で占められてしまうからね。かつてユダヤ人が同じような状況にあったようにね。「人種的な多様性」も見ていく必要がある。

 *ちなみに、昨今米国では、「完璧な学業経歴」を持つアジア人の高校生が、全米トップの大学を次々と不合格となり、「人種差別」として訴訟を起こすケースなども出てきています。学業成績やスコアだけみるのなら、アジア人がダントツ上になるんですね。これは、もう周りを見ていてもとてもよく分かることなんですが、アジアの子達の多くは(もちろん全てというわけではないですが相対的な傾向として)、こつこつと勤勉従順に勉学に励む傾向にある。他の子達がやんちゃに遊んでいる間にも、こつこつと。それで、「自分たちはこれほど頑張っているのに不公平!」となるわけですが。

 

私:アカデミックに秀でているだけでなく、異なる特性を持った学生を集めるということね。

 

義弟:アカデミックに優れた子ももちろん必要とされるわけだけれど、大胆な発想で切り開いていく子、創造力溢れる子、周りを引き上げ導いていく子、そして異なる文化的な価値観を持つ子も必要。多様な才能が合わさることで、世界はより豊かに成長していく。

 

私:うん、とてもよく分かる。○○(義弟)も息子君を持つ親だけれど、では、これからを生きる子供を育てる親として、何ができると思う?

 

義弟:親はね、目の前の成績をよくしないと!スコアを上げないと!と必死になるわけだけれど、もっと長い目でみないといけないんだよ。大学が欲しいのは、「やらされて従う子」じゃなくて、「自らパッションを持ち自主的に動いていく子」。やらされて成績やスコアがよくても、長い目で見るのなら続きやしない。

 

私:やる気に溢れ自主的に動いていく子なら、もし困難にぶつかっても、自ら工夫して進んでいくだろうね。

 

義弟:大人が思う「いい成績をおさめ、いい大学に入るなら、いい就職先が見つかって、お金も稼げる」なんて言葉をかけても、子供の自主的なやる気は育ちやしない。とにかく、その子自身の興味に火をつけることだね。例えばね、何かを作るのが好きで、いつか本当に飛ぶロケットを作ってみたいという一心で、突き進んでいる学生を知っているけど、そういった興味へのパッションを培っていく。トップの大学が求めているのはそういった「自主的なやる気に溢れた人材」であり、それは、世界が必要としている人材とも言えるのじゃないかな。

 

 

米国のこうしたトップの私立大学の入学審査では、

「大学側の主観」が大いに反映され、

そのため、「宝くじ」や「不公平」といった見方もされます。

それでも義弟の話を聞く限りでは、大学の持つ

「多様な能力や価値観を合わせ未来の世界を創りだす人材を輩出する」

といったビジョンに、なるほどね、と納得でした。

 

また、こうしたトップ大学を受ける側も、

たとえ「不合格」となっても、

自分の能力がどうこうと落ち込むより、

あくまでも「大学側の主観」が大きいということを思い出し、

前を向いて進んでいけばいいのでしょう。

 

いずれにしても、

「やる気に火がつきパッション溢れ自主的に動いていく子」

これからの世界では、ますますこうした人材が求められる、

それは確かにそうなのだろう、そう確信した話し合いでした。

 

まずは子供達の目の前の興味を、大切に育てていきたいですね!

 


義妹とハイメさんの結婚式!多様なインテリジェンスに囲まれて

2016年04月11日 | 子育て全般

昨夜戻りました!

あのフロリダの太陽!

数日間の思い出が、これほど熱を持っているのも、

あのフロリダのまぶしさのせいもあるのでしょうね。

 

義妹&ハイメさんの結婚式!

(「義妹の結婚式へ!お相手は自らの内に流れるリズムを追究し続けるミュージシャン」)

新郎&両親!

新婦&両親!

誓い。

よい時も、難しい時も、共に助け合い愛を注ぎます。

 

ベストフレンドであり、最愛のあなたへ

と手紙を読み合い。

指輪交換。

 

夫婦誕生!おめでとー!

 

それぞれのお父さんから祝辞。

ハイメさんのお父さん、「代々家系に伝わる詩の一節を読みます」と。

スペイン語で、慈しみあうカップルの様子を描いた言葉を読み上げます。

そして最後に、「これがその詩です」と手にしていた紙を掲げると、

義妹とハイメさんが、笑顔で頬を寄せる写真!

お父さんの粋なジョークに、会場中、やんややんやの歓声。


チアーズ!

そしてダンス!

まずは夫婦で。

新郎さん、プロですからね。みとれます。

両親が加わり。

娘と息子と、そして義娘と義息子と。

新しく親族となった皆で、リズムに合わせ。

 

その後は、皆食べて踊って食べて踊って。

 

アメリカのポップから、ラテンミュージックまで。

ラテン音楽が流れるたびに、ハイメさん親族の熱さに圧倒されます。

お姉さん従姉妹さんたちの身体の動き! 

リズムと身体が溶け合い、身体が音楽なのか、音楽が身体なのか。

6歳の女の子でも大人顔負けです。

「これもインテリジェンスのひとつね」と義母。

ラテンの方々の集まりに出かけるたび、

私もいつもこの「インテリジェンス」に息を呑んでます。

 

そしてハイメさん親族の熱さといえば、

もう何といってもこの日のためにペルーから訪ねてらっしゃったお母さん!

「ペルーでは冷房がないから、冷房がきいていると体調を崩しちゃうの」と、

その朝も熱を出されていたとのことなんですが、

そんな様子を全く感じさせないとにかく突き抜けた明るさ

子供達にも私にも何度ハグ&キスしてくださったか!

「ワイフがハッピーで、子供達がハッピーで、

他に何がいるっていうの!人生さいこでしょー!」

とスペイン語で何度も夫に向かって。

 


話しに花咲く屋内の大人たち。

子供達は外で、

8年ぶりに会う従弟と話し込み、

「この暖かくてしっとりした空気、きもちーね」とうっとり。

 

 

食べて踊って夜も深まるころ、

ケーキカット。

 

 

最後は、

ハネムーンに向かう二人を、

シャボン玉で送ります。

 

 

愛し合い、家族となり、家族が増え、

その子もいつか愛する人を見つけ、共に生きていくことを願い。

いくつも連なる人生の大切なひとときを、

こうして共に祝えることを光栄に思いつつ。

 

私達も今年で結婚19年目。

今ではすっかり、新郎新婦を「父母の目」で眺める結婚式です。

 

底抜けに明るいハイメさん家族との出会いに感謝!

お二人のこれからが幸溢れますように!

 


子育てに不可欠な「無条件の受け入れ」は母親に対しても重要という研究

2016年03月17日 | 子育て全般

困難に出合った子供の「レジリエンス(耐性、跳ね返す力)」について、

25年間研究を続けてきた心理学者 Suniya Luthar氏は、

レジリエンスを育む最もパワフルな要素とは、

「主に子供と関わる親(primary parent)」との「強い絆」と結論付けています。

 

そして多くの場合、「主に子供と関わる親」は母親であるため、

つまり、母親から子供へ注がれる「無条件の愛情」こそが、

子供の健やかな成長にとって大切だとします。

 

Suniya Luthar氏は、

その後アリゾナ州立大学心理学者のLucia Ciciolla氏と共に、

それまでの研究を発展させ、

では、ママが「無条件の愛情」を注ぐことのできる

「気持ち的な余裕やハッピーさ」を、

どう培うことができるのだろう

というテーマに取り組んでいます。

 

その研究結果が、

パートナーとの良好な関係も大切だけれど、

何よりも母親にインパクトを与えるのは、

友人や信頼できる人々からの「無条件の受け入れ」というもの。

 

ママが他者と繋がり友人関係や信頼できる関係を築くこと、

そうした深みのある関係の中で、

母親の「気持ち的な余裕やハッピーさ」が最も培われると。

 

「母親からの『無条件の受け入れ』が子供にとって『決定的』であるように、

『無条件の受け入れ』を子供に提供する母親にとっても、

『無条件に受け入られる』ことが不可欠なんです」

とLuthar氏。

(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4697864/)

 

子供に関わる人々が、

表面的ではなく、

心と心が触れ合い、

子育ても含め人生の喜びや大変さを分かち合える関係を築く大切さ、

思い出していきたいです。


「全国歴史の日コンテスト」を通し改めて思う「ゴールの多様さ」

2016年03月13日 | 子育て全般

 

昨日は、学区の「全国歴史の日(National Hisotry Day)」コンテストへ。

学区4つの中学校(6-8年生)それぞれから選ばれた生徒たちが、

個人またはグループ部門で、

展示物、ウェブサイト、リサーチペーパー、ドキュメンタリー映画、パフォーマンス(劇やダンス)を競います。

 

1974年にオハイオ州のケースウェスタンリザーブ大学(Case Western Reserve University)で始まったこのコンテスト、

今では、米国全50州&DC他、サモア、グアムや、

中央アメリカ、韓国、中国、南アジアのインターナショナルスクールなど世界中から約60万人!が参加するイベント。

今年のテーマは「歴史に見る探究、出合い、交換( Exploration, Encounter, Exchange in History」。

 

アラスカで子供たちが通っていた小学校(多くの州では6年生から中学生)でも、

6年生になると、グループに分かれドキュメンタリー映画を作り、

この「全国歴史の日」に参加するというのが学校あげての行事だったのを思い出します。

 

次女が通うこちらの中学校では、展示物かウェブサイト制作で参加する子がほとんどだったようです。

次女も「黒死病」についての展示物(12歳次女の「黒死病」歴史プロジェクト、陸の見えない海へと漕ぎ出すからこそ)で参加し、

6年生代表として学区のコンテストへ。


ここで、学区4つの中学校を合わせそれぞれの部門から2人「州大会」へ進み、

州大会を勝ち抜くと、夏にメリーランド大学に集まり、それぞれの歴史プロジェクトを披露。

そこでの優勝者には、大学奨学金などが渡されるのだそうです。

 

次女は、周辺中学校の7・8年生の強豪を前に、今回州大会へ進む「2人」に入ることはなかったのですが、

パッションの注がれた歴史プロジェクトに囲まれ、いい刺激を受けました。

3人の審査員にプリゼンテーションする次女。

 

事前にアラスカ時代の大親友と「グループでのドキュメンタリー映画部門で州大会に進んだ!」

とテキストのやり取りをしていたようで、

「ああ私はだめだったー」と残念がってましたが、

全米でこうして同じ行事があるというのは離れていてもお互いを励ましあえていいですね。

 

 

 

昨日は、こういったコンテストに出場するときに覚えておきたい「ゴールの多様さ」を、

改めて親子でなぞる機会でした:


ゴール1 勝つこと

それでも「勝ち負け」は、切磋琢磨を促すスリリングな「ゴールのひとつ」に過ぎません。

 

ゴール2 周りから学ぶ

ひとつひとつのプロジェクトを見て周るだけでも、楽しいです。

綱渡り士Philippe Petitの歩み、

ギロチンの歴史、ベトナム戦争、ダンスの歴史、スペース競争などなど、テーマも多岐にわたり。

今回他校生と交流する機会はなかったのですが、情報交換したり、様々な出会いの場ともなりえますね。

 

ゴール3 改善点を見出す

とにかく州大会レベルの入賞者というのは、圧倒的に時間と労力のかけ方が違います。凝った模型や展示物。

次回は、もうちょっと時間をかけ、テーマをより掘り下げ、模型や展示の仕方も工夫できるといいね。

プリゼンテーションの仕方も、棒読みみたいになる箇所もあったから、より滑らかにできるといいよね。

 

ゴール4 体験を楽しむ

コンテストの熱気を楽しみつつ、見知らぬ街でドーナツとホットチョコレートで温まり、ちょっと旅気分。

家族で楽しみました。

 

グループ参加の場合などは、「チームワーク」もゴールのひとつになりますね。

 

 

ひとつひとつのプロジェクトに目を輝かせていた生徒たち。

そのほとんどの子達がメダルを手にすることがなく、

帰りの駐車場には、悔しそうに歯を食いしばり、

一生懸命作った模型や展示物を、車に積み込む姿に溢れていて。

「勝ち負け」だけではない「ゴールの多様さ」を思い出し、

「これから」に向けて歩いていこうね。

 

「コンテストを通し社会科学への興味関心が深まることを願っています!」

と最後の表彰式で担当者の方。

こうした全国規模のコンテストを、

生徒たちの社会科学への興味関心を深める機会へと生かしていけるよう、

働きかけていきたいですね。


リーダーのフットワークの軽さ、日々「何が大切か」に立ち返り続けるということ

2016年03月13日 | 子育て全般

昨日「全国歴史の日」コンテスト前夜の出来事。

 

学区大会参加が分かってから3週間ほどの間に、

私も二度ほど「展示物って、学校においたままでいいの?」と次女に聞いていたんですが、

そのたび、「ああ、先生が会場に持っていってくれるから」という返事。

次女は基本的に自分でやりたいタイプで、親が介入するのを嫌がります。

 

ところが、前夜本人と担当の先生とのやり取りで

(こちらは小学校高学年にもなると生徒と先生とのやりとりも電子メール)、

「展示物は自分で学校から家まで持ち帰り会場へ持参する」と判明。

この先生、次女の中学校だけでなく学区大会の担当者でもあり超多忙、

そのまま連絡がつかなくなります。

 

泣きじゃくる次女。

 

夫、「だからもっとママやパパに手伝う機会を与えなさいと言ったじゃないかー!」と怒り。

鼻息荒くしばらく叱り付けた後、パニックになっている子に怒ってもしょうがないとはっとしたのか、

泣き続ける子を抱きしめて。

 

そんなドラマを繰り広げながら、

それでも泣きじゃくる子を前に家族で途方に暮れていてもどうしようもないので、

半ば翌日の参加をあきらめつつ、金曜日の夜9時過ぎ、ひとまず校長先生に電子メールを送ります。

 

「週末の夜分に申し訳ありません。

こうこうこういう理由で社会科の教室に展示物を取りに行く必要があるのですが、

明日土曜日の朝8時までに掃除や何らかのイベントで校舎が開くといことがありますでしょうか?」

 

すると一分もしない内に返信。

 

「明日の朝8時に校舎前で待ち合わせましょう」

 

!!!

 

 

翌朝、校舎前に7時45分につき待っていると、

青色のスポーツカーが到着。

ジョギングに行くようなラフな格好で耳にピアスをした40代男性の校長先生が、

ニコニコしながら降り立ちます。

 

校舎を開けて下さり、社会科の教室の鍵を開けてくださり、

展示のボードを抱える次女に別れ際、

「頑張ってね。私も後から会場に顔出すから」と笑顔で。

 

今までも、

評判のよい校長先生のフットワークの軽さには何度か脱帽してきましたが、

今回もです。

 

毎朝校舎の前でひとりひとりに挨拶する校長先生、

しょっちゅう校舎中歩き回ってスタッフ生徒親一人一人に声をかける校長先生、

長女がタレントショーで歌を歌った次の日に、

同じ歌をまた違った雰囲気でアレンジしたCDを作って渡してくださった校長先生もいます。

次女の今の中学校の校長先生も、

イベントのたびや、コンピューターの不具合など何か少しでも問題があるたびに、

自らすぐに全校生徒と親に対してメール発信。

 

校長という「リーダー」によって学校の雰囲気も随分と変わるというのは、

こちらの親やスタッフの間でよく言われることなんですが、

雰囲気のいい学校には、「フットワークの軽い校長」がいるということ、

これまで10年近く5人の子供たちが様々な学校にお世話になる中で、実感しています。

 

そしてこの「フットワークの軽さ」とは、

日々常に「何が大切か」に立ち返り続けることからくるのだろうなと。

 

素晴らしいリーダーにお世話になれること、

感謝。


潔く負けられない子、「勝ち負け」でいっぱいな頭に「好奇心」を発動させる

2016年03月11日 | 子育て全般

去年秋から始まったチェスクラブ。

週に一度授業前の1時間、30人ほどの生徒が小学校の図書室に集まっているんですが、

私自身ルールを覚えるにつれ、他の親御さん方2名程と一緒に、

アシスタント(ボランティア)として手伝わせていただいてます。


私自身チェスにすっかりはまってはいるものの秋から始めた初心者なんですが、

駒の動し方がままらない子に基本中の基本を教えたり、

見回って対戦相手を入れ替えたり、おしゃべりをたしなめたりなどなど。


毎回、いろんな気づきに溢れていて、チェスについて書きたいこともたまっているんですが、

今日は、「潔く負けを受け入れられない子」そして「伸びていく子」について。

 

 

こちらでは、「潔く負けられない子」を「サワールーザー(sour loser:酸っぱくて気難しい敗者)」と言います。

負けそうになるとあらゆる言い訳をして駒を置き換えてみたり、ルールを勝手に変えてみたり。

相手が年下だったり大人しそうな子だと、威嚇したりも。

それで負けてしまうと、憎まれ口を叩いて、駒を投げてみたり。


周りの大人に叱られ、ふてくされ、それでもしぶしぶ始めた次の試合で勝てばまた一気にご機嫌。

それでもその次に負ければ再び荒れ、叱られる。


頭が「勝ち負け」でいっぱいなんですよね。

 

もちろん「勝ち負け」を競うゲームなので、

皆勝とう勝とうと「勝ち負け」が頭の中心にあるわけですが

「勝ち負け」はあくまでもゴールのひとつであって、

ひとつひとつのゲームから「何を学ぶか」の方が、

実はより大切なゴールなんだよ、

そんな話をチェスマスター始め、周りの大人が繰り返し教えるようにしています。


具体的には、負けて悔しがっている子に、

「ほら、あそこでナイトをこちらに動かせばよかったんじゃないかな」

「みてみて、キングが端っこにいたら、こうやってルークとルークでチェックメイトできるんだねえ」

とこちらも「大発見!」といった様子で話しかけてみる。


それで、「あ、そっかあ」「えっ、どういうことかなあ」と、

その子の「好奇心」がむくむく動き出すなら、

「サワールーザー」になってる場合じゃなくなってきます。

あれえ? ともう一度チェス盤に向かって再現を始めたり。


そうして「好奇心」で頭いっぱいになると、

怒りや、悔しさや、落ち込んだ気持ちなんかも、

力を失っていくんですよね。

 




我が家も、こうした公の場では取り乱すところをあまり見せないものの、

自宅で負けると「サワールーザー」ばりばりの子や、

すぐに「ああ私はだめだめね」となる子がいます。


とにかく、負けても勝っても

「あそこさあ、こうしたらよかったんだよねえ」「こんな手もあるんだねえ!」

そう大発見に感動といった様子もみせつつ、

「好奇心発動!」となるよう促してみる。


そう繰り返していると確かに、

「サワールーザー」度も緩まっていきますし、

「自分はだめだめね」と止まっている間もなくなっていくのだなあと。

 


チェスクラブを見ていて、伸びていく子は、

この「好奇心」が強い子というのを実感しています。

そして「好奇心」というのは、

「勝ち負け」だけを見るか、「発見や学び」を探索するよう促すか、

そういった周りの大人の働きかけによって、

高めていくことが可能なのだと改めて思っています。

 


さて、怒涛の週末が始まります。

みなさん、よい週末を!


「異才発掘プロジェクトROCKET」と同じような目的を持つ活動が行き渡りますように

2016年03月10日 | 子育て全般

 「異才発掘プロジェクトROCKET」のニュースレターを取っているんですが、

今朝届いた今月のレターも、興味深かったです。


小学生時代から不登校で、

フィギュアを制作し続けた竹内信善さんへのインタビューが載っていました。

学校のペースから距離をおき、じっくりと興味を深め続けた竹内氏、

今では模型作家として活躍されているそうです。


「異才発掘プロジェクトROCKET」ディレクターの中邑賢龍氏と竹内氏の会話の最後部分の引用です:

〝中邑:一般的に、国っていうのはシステムをなかなか変えないって思われている。国全体を動かしていく、いろんな人の気持ちを変えていく、ということには時間がかかるからね。でも、今は多くの人が、何か変えなきゃいけないな、という気持ちにはなってきているんだよね。だから、ROCKETも国から応援してもらっている。

竹内:そうですね。いきなり、学校以外について知らない人が「(ROCKETやフリースクールのように)学校以外の場所があるんだよ」と言われても、想像できないじゃないですか。だから、色んな人に、学校以外の場所があるんだよ、と伝えようとするのが大事なんじゃないかな。

中邑:ただ、不登校になると目立たなくなってしまう。そういうときに、不登校しながらユニークなことを継続してやっている人が、学びの多様性についてアピールしていくことができるんじゃないかな?そういう意味で、竹内さんの存在は大きいと思う。”

 

メジャーではない道を築いていく人々、

「ユニークなことを継続してやっている人」の活動が、

こうしてどんどん公に紹介されていくといいですね。

 

「異才発掘プロジェクトROCKET」のニュースレターは無料で誰でも申し込めます。

またウェブサイトでも読めるようです(今月分はまだ更新されていないようです)。

https://rocket.tokyo/news-letter/

 

 

「異才発掘プロジェクトROCKET」とは?

https://rocket.tokyo/より引用)

ROCKETは,突出した能力はあるものの現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学校生を選抜し、継続的な学習保障及び生活のサポートを提供するプログラムです。

将来の日本をリードしイノベーションを起こす可能性のある異才を育む教育環境を通して、創成することを目指し、日本財団と東京大学先端科学技術研究センターとの共同プロジェクトとして2014年にスタートしました。

 

目的

学習機会を失っている子どもたちへの継続的な学習機会の保障

突き抜けた子どもたちの凸の部分をのばす教育の提供

ユニークな子どもたちを潰さない教育の実現

異才と呼ばれる人が生まれ、活躍しやすい社会の実現”

 


「異才発掘プロジェクトROCKET」と同じような「目的」を持つ機関が、

こうした選考を突破できるほど「突出した能力」がある子だけでなく、

あらゆる凸凹を抱える子にも手が届くほど、

広まり行き渡っていくといいですね。


学校にフィットしないクリエイティブでセンシティブな子を持つ母親のテッドスピーチに共感

2016年03月10日 | 子育て全般

 ギフテッド、クリエイティブ、ハイリーセンシティブの3人の息子さん

を持つ母親のテッドスピーチ。

 

学校にどうしてもいけなくなった息子さん達。

「何とかして学校へ行かせるべき」という周りの大多数の意見に囲まれ、

様々試してみるも、

「これ以上学校に無理に行かせることは、親子の絆を壊すことになる」と

家で過ごすことを決断。

 

それでも「自宅学習」しようと

オンライン授業やリサーチプロジェクトを共に試そうにも、

「勉強」という言葉を聞くだけで拒否反応を起こす息子さんたち。

「学校」というものを想起させるものは全て受け付けなくなっていたと。

 

そこで、とにかく一年、好きなようにさせたと言います。

映画を見たり、

コンピューターを組み立てることを繰り返したり、

マインクラフトしたりと過ごす息子君たち。

 

翌年から、学校へ戻ることに。

といってもそれまでとは全く違ったカリキュラムの学校で、

先生は同じ部屋にいるのだけれど、生徒の自主性が重んじられ、

生徒の思うままに学習が進められるシステムを取り入れた学校。

 

息子さんたちはみるみる活気を取り戻し、

周りとも交わるようになり、

生き生きとアカデミックにも取り組むようになったと。

 

お母さんは振り返り、

息子さん達が、オーソドックスな学校に通い続けることで、

どれほど自分であるということを妥協し、

フィットするためにどれほど自分自身を呑み込まざるを得なかったかを痛感したといいます。

 

そして、「オーソドックスな学校にフィットしない子が、

自らの学習環境や方法を選ぶことのできるシステムの必要性」を訴えています。

 

メインの学校の他に、

こうした生徒の自主性を重んじたカリキュラムを持つ学校や、

去年長男がお世話になったオンラインや大学授業や課外活動などを

組み合わせられるような公立学校(無料)など、

多様な道筋が、増えていくことを願っています!


IQや偏差値でははかれない「知性」、Zhongさんという事例

2016年03月08日 | 子育て全般

テッドスピーチの中で、学校の勉強が苦手で、

授業中退屈でしょうがなかったという中国系アメリカ人Eddy Zhongさん。


「世界でただ一人、数学を理解できないアジア人という気持ちでした」

というZhongさんの言葉に、会場中大笑い。

こちらでは、アジア人は数学や科学に強いという「ステレオタイプ」が、

行きわたっていますから。

 

ところがある日、発明品を募るコンテストに応募したところ、優勝。

それ以来、様々なアイデアや発明品をコンテストに応募するたびに優勝。

 

その後、17歳で高校をドロップアウトし、起業。

「眠り始めると振動する腕時計」(退屈な授業でも起こしてくれる!)

を開発プロデュースしたり、

去年は、MITやハーバード大学関係者の協力も得、14歳から18歳を対象に、

「ビジネススタート講座」を開講。世界中から参加希望者が集まります。

http://www.businessinsider.com/tech-accelerator-teen-startup-founders-2015-1より)

 

もし、IQや学校の成績というものだけが、人の知性をはかるものだとするなら、

僕のように、学校の成績がオールCでありつつ、

16歳からビジネス界に入り、

今ではスタンフォードやハーバードなどトップの大学の卒業生と

肩を並べて評価されるような者がいるということを、

どう説明できるのでしょうか?

「知」というものには、

IQや学校の成績といったものには、

ひっかかることのない何かがあるのではないでしょうか?

Zhongさん。

 

このスピーチのタイトルは、

「学校が子供をいかにより知的でなくするか(How school makes kids less intelligent)」

というのですが、

Zhongさんが、「会社創設」のメンバーを集めるために、

動いていたときの話がとても印象的です。

 

高校で発明品や企業のアイデアについて話すために全校生徒に呼びかけたところ、

ほとんど集まらず、翌日から皆にからかわれ馬鹿にされ続けたと。

ところが、小学校で同じような集まりをしたところ、

一つ一つの発明品やアイデアに全校生徒大興奮。

「僕お小遣いはたいてそれ買うよ!」と叫ぶ子供達。

 

そこで、Zhongさんは痛感したといいます。

小学校から高校まで学校という場で過ごすことで、

何かが変わってしまう。

既成の枠組みから飛び出すような発想やアイデアというものへの

パッションや価値観が、学校で長く過ごすうちに、失われていく

 

 

 


放課後スクールを見ていても、思うのですが、

今の教育システムでの勉強に関心が持てなかったり、

どうしてもちんぷんかんだったり、

教室に座って叱られ続けていたり、

「問題児」とレッテルを貼られている子にとって、

学校の外に出て、ペーパーテストなんかじゃない方法で、

自らを試すことができる場がより増え充実していけばなあと思います。

 

学校で過ごすことの弊害は、

Zhongさんいうように、

今の教育システムでは「はかることのできない知」が追いやられてしまう他に、

こうした「分かりにくい知性」を持った子達が、

「自分はだめだ」と思い込むことでしょうね。

 

夫や我が家の子を見てもそうなんですが、

「知」というのは、もっと複雑で奥行きの深いもの、

テストスコアに現れるものなんてほんの一部。

 

同じような思いを持つ人々が少しずつ力を合わせ、

流れができていきますように!