昨日の記事「ひとつひとつの「爆発」が、思うようにならない物事に向き合う力&スキルを育む」で、
「認知のゆがみ」について少し触れたのですが、
もう少し分かり易く説明します。
「認知のゆがみ(cognitive distortion)」とは、
誇大であったり論理的でなかったりといった「思考パターン」です。
そしてこれらの思考パターンとは、
うつや不安感などといった精神病理学的な状態を永びかせるとされています。
「認知行動療法」などでも、
この「認知のゆがみ」に自ら気づくことが、
セラピーのコアとされているようです。
「認知のゆがみ」について草分け的な研究をしたとされる
精神科医 Aaron T. Beck氏とDavid D. Burns氏によると、
主に以下のような「認知のゆがみ」があるといいます。
・フィルタリング
物事について、細かいネガティブさを拡大視し、ポジティブな面を全てそぎ落としてしまう。フィルターを通し、ポジティブ面は全てザーと流し落とされ、残るのは、ネガティブ面のみ、といったイメージですね。
・黒か白かといった極端思考
黒と白の「間」が抜け落ちた思考。物事や人々を、「グレーゾーン」などの現実にある「複雑さ」を考慮せず、黒か白かのどちらかに振り分ける思考。完璧でなかったら、自分は完全な失敗者だと思うなど。
・過度の一般化、レッテル貼り
ひとつの出来事や一片の証拠に基づいて、全体的な結論を決め付ける思考。一度だけ起こった思わしくないことが、これからも何度も起こってしまうだろうと思うなど、ひとつの物事を、何の打つ手もない終わりなきパターンに組み込まれたものとしてとらえる。
・結論に飛びつく
少しの証拠から結論を決め付ける。相手がこういう態度を取るのは、自分をこう思っているからだと「心を読んだり」(実際はそう思ってないかもしれないのに)、今こういうことが起こったから、未来もこうなるに違いないなど「未来を読む」(そんなこと分からないはず)ような思考パターン。
・大惨劇化する
「もし~したら・・・」などと、「惨事」の可能性を広げていく。
・個人的にとる
他者が言ったりしたりすること全ては、自分に対しての直接的な個人的な反応だととらえる。誰がより賢くよい見かけかなどを決めるため、すぐに他者と比較するなども。
・周りが全ての手綱を握っている
自らの喜びも痛みも全て周りによるという考え方。自分は何もできない被害者という思考。
・「~すべき」
すべて「すべき」「すべきでない」と考え、そうしないと何らかの形で罰せられるかのようにとらえる。
・感情的に論理づける
こう感じるから、こうに違いないと考える。私って馬鹿だなあ→私は馬鹿。「感情は行き来するもの」にも関わらず。
・他者を自分の思うように変えられるという期待
圧力を与えたり甘い言葉でつり、他者を自分に合わせるために変えられると思う。他者が変われば全てうまくなると考える。結局、他者が手綱を握っているんですね。
・極小化、極大化
いいことは極小化、よくないことは極大化する思考。
・常に正しくある
「正しくあること」が、他者のフィーリングより重要だとする。どんな状況でも、正論を振りかざす。どんなに相手を傷つけようとも、私はこの議論に勝つだろう、なぜなら私は「正しい」のだからと、「個の興味」を、他者のフィーリングに優先させる。
・「天国」が報酬を与えてくれる
まるで誰かが常に記録していてくれるかのように、自己犠牲や自己否定の見返りがいつか与えられると期待する。何の見返りもないと、苦しくなる。
こうした思考に陥っていく自分に、
あ、そうそう、と気づいていくこと、
それだけでも、随分と変わってきます。
こちら米国では、子供向けに、
それぞれの「認知のゆがみ」を動物にたとえたものなどがあるんですが、
日本でも、こんな「キャラクター」になってたりするんですね!
「自分の『気分』や『考え方のクセ』に気づくことで、
もやもやした気持ちや、よくわからない感情がすっきりして、
気持ちが軽くなることにつながります。」
とのこと。
(「悩みは、がまんするしかないのかな?」こころの健康副読本編集委員会 3ページ目より)
「自分を苦しくする考え方のパターンに気づいていこうね」
そんな話を子供たちとすることが助けになっている、
そう実感しています。
年齢に合わせ、こうした言葉や図を大いに活用し、
その子の心に届く話し合いをしていきたいですね。
みなさん、楽しい週末をお過ごしください!
参考資料:
‘Cognitive Distortion’Wikipedia
‘15 Common Cognitive Distortions’ By John M. Grohol, Psy.D.