高学年から
『ガラスの壁の向こう側』(国土社)でデビューされた、せいのあつこさんの2作目が出ました。
こちらも「季節風」の投稿作品として掲載された作品です。いくつかのシーンが、当初に読んだときと変わらない新鮮さでせまってきます。ずっと主人公の心理描写が続くのではなく、ふっと違う要素が入り込んでくる。それが、世界を確実なものにしてくれるのです。感想文を書いているときの鉛筆の「浪人まわし」や、教室で聞こえる紙の音や、教室から見える青い空や。
自分はみんなと違うと感じるとき。正しいことをしている友人、主張している友人に、その場で異論を唱えることはできなくても、何か違うと感じるとき。そういう気持ちが本当によく書かれています。
言葉で主張されると、それが正論になり、黙らざるを得なくなることがあります。
でも、そうじゃないんじゃあない? あたしが間違ってるの?
社会の中で生きていくって、その正論に従うことなの?
文香が、休み時間のたびに、不登校になっている大林君の席に座ることは、「正論」を言う側からしたら、「意味のないこと」かもしれません。でも、そうじゃない! それによって大林君が学校へ来るという結末ではないけれど、大林君の心は来ました! この結末、安易に陥らず、でも希望が見えるという、かなりのものです。(稚拙ないい方、ご勘弁)
子どもが読んだとき、その子のいる状況によって、きっと感じ方が違うかもしれません。
これは、大人にも読んでもらいたい作品です。この本を読んで、ざわりとした感覚を覚えるかどうか? それは、「正論」側にいる人間かどうかで違うかもしれません。うーん、たぶんほとんどの人が文香ちゃんに共感するんじゃないかなあ。生の教室と、本の中の教室の違いかなあ。
文学を書くっていうことが、どういうことか。せいのさんの作品は、それを考えさせてくれます。
今私は、この作品に救われています。
せいのさん、『大林くんへの手紙』を書いてくださって、ありがとうございました。
文香ちゃん、大林くんへの手紙を迷ってくれて、ありがとう!! 自分を通し抜いた文香ちゃんに、おばさんは励まされました。
思いついたまま、頭に浮かんだことを羅列しました。でも、こんなふうに、1+1=2 じゃなく、人間の心の底のもやもやとしたものを言葉で表してくれているんです。
実は、次回の「季節風」で、この作品の書評を担当します。もっと読み込んで、ちゃんと整理して書きますねー。