高松から瀬戸内海沿いに東に来ると、引田から先は讃岐山脈が海に落ち込んで断崖絶壁となっており、峠を越えるしかなかった。
峠の登り口の海岸には、江戸後期の文化十年(1813年)に立てられた「寿可多美(すがたみ)の地蔵」がある。
弘法大師ゆかりの霊場八十八ケ所を訪ねる四国遍路は、平安時代末に始まり、江戸時代半ば以降、庶民の間にも広まった。
しかし、当時の四国はやはり遠く、遍路に行けたのは、地元・四国や山陽地方の人が多かったらしい。
そうした人々が讃岐方面から、阿波にある一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」に行くためには、まず讃岐山脈を越えなけれならなかった。
今も峠の頂上には「遍路道」と書いた札が多く下げられている。
6月に咲いていた花「紫陽花」
開花時期は、 6/ 1頃~ 7/15頃。
ちょうど梅雨時期と重なります。
紫陽花は日当たりが苦手だそうです。
・名前は「あづさい」が変化したものらしい。
「あづ」は「あつ」(集)、
「さい」は「さあい」(真藍)で、
青い花が集まって咲くさまを表した。
「集真藍」
「味狭藍」
「安治佐為」 いろいろあります。
・本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の
白居易さんが命名した別の紫の花のことで、
平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が
今のあじさいにこの漢字をあてたため
誤用がひろまったらしい。
(でもいい雰囲気の漢字です)
(季節の花300より)