「中道筋」が貫く町、美東町。幕末、この美東を中心に長州藩の運命を大きく変える事件が起きた。
太田絵堂の戦いである。幕末、第一次長州征伐以降、長州藩の政府軍は保守的な立場を取ると共に、改革派を弾圧。
改革派の先鋒、高杉晋作は福岡に逃亡し藩論を倒幕へと転換する機会を伺っていた。
元治元年(1864年)十二月十六日、高杉は満を持して下関で挙兵。これに呼応して、奇兵隊を中心とした諸隊が決起し、下関から萩に向けて赤間関街道を進軍する。
一方政府軍もこれを鎮圧すべく街道を下り現在の美東で激突する。両軍は太田と絵堂にそれぞれ陣取り対峙した。
6月より咲いていた花「蛍袋」
開花時期は、 6/ 1頃~ 6/25頃。
・まさに「袋」形の花。
英語では「bellflower(鐘の花)」という。
名前は、「花の中に蛍を閉じ込めると、
その明かりが外へ透けて見える」ところから
きているらしい。
また、提灯の古名を「火垂(ほたる)」といい、
その提灯に似ているので「ほたる」、それが
「蛍」になったとも。
(季節の花300より)