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私がしたことは殺人ですか? |
須田セツ子 | |
青志社 |
T医師が不満を抱いていた病院への攻撃材料にしたから(?)
病院を去っていたM医師がリークしたから(?)
組織を守るためにトカゲの尻尾きりのように須田医師を切り捨てた病院(?)
市議会選挙に利用した公明党(?)
3年後、病院から突然謝罪(賠償金の提示)をされた事で、欲に目が眩んで事実を変えてしまった遺族(?)
須田医師にとっては災難と呼べるようなこの事件。
当事者である須田医師本人が書いていることで公平性に欠けるきらいは否定できないかも知れない。
だとしても、医療の進歩で“ただ生き永らえさせる”ことが可能になった、現代の終末医療を考えさせられる価値のある一冊だと思います。
そして「医療崩壊」を読んだときにも感じたことだけど、医療行為を司法で裁くことの限界や違和感。
気になったのが、遺族の長女の「抜管は家族会議の中で反対したが他の家族が納得しているので仕方無いということになった」という供述。
(他の家族の供述とは矛盾)
・・・これ、
裁判員裁判なら判決は違ったものになっていたのではないかしらん?
それにしても裁判とは茶番劇なんだな・・・
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悼む人 |
天童 荒太 | |
文藝春秋 |
「誰を愛し、誰から愛され、どんなことをして感謝されましたか?」
亡くなった人を(自分には全く関係の無い人でも)、それが生まれたばかりの赤ん坊であっても、殺されて当然だと言われるような人間であっても、その人が「誰を愛し、誰から愛され、どんなことをして感謝されたか」その3つで以て“悼む”のだという。
しかも悼み続けていくという主人公。
この主人公にとって“悼む”というのは“記憶しておく”ということ。
世間が「殺されても仕方無い」と思う被害者の過去・・・
加害者の過去・・・
「誰を愛し、誰から愛され、どんなことをして感謝されたか」
その記憶の中では誰もが愛に満たされたかけがえの無い存在。
忘れ去られたときが消滅するときだとすれば、悼む人は魂の救世主のようだね。
いろんな欲と都合で本来の人間の営みが狂わされます。
ただ生活することが大変な修行だったりします
特に天寿を全うした場合はともかく、悔しい思いを持ったままあの世に行ってしまった人はかわいそうだよね。
僕の知っている女の子は自分で人生を終わらせたけど、もうすぐ三回忌だ。この本のおかげで僕も悼むことを知った気がする。
生きるって、ひっくるめて素晴らしいことだと思います
主人公の静人はあたたかい人でしたね。
静人のように見ず知らずの人のことまでは無理だけど、縁のあった人のことは自分が生きている限り悼んでいこうと思わされました。
あと、愛という名の執着・・・は・・・ま、いいか(^^;