masumiノート

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加計問題

2017年06月19日 | こうちゃんの独り言

加計学園問題、説明に納得できますか(クイックVote)     
 http://www.nikkei.com/news/survey/vote/result/?uah=DF260520172555    より






         



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あれで政府(安倍内閣)に対して納得できるとか、支持するとか、もう宗教やな。
信者としか言いようがないな。        




6月20日追記    

田中真紀子氏が加計問題に参戦

加計学園問題で、田中真紀子氏が沈黙を破った。安倍自民党に敗れた民主党政権最後の文部科学相が、安倍晋三首相に「もう限界」と退陣を迫る。

 インタビューは6月10日。国会会期末が迫る中、「追及を終わらせちゃいけない」と田中氏から連絡があった。安倍内閣が復活した2012年12月の衆院選で自民候補に敗れ4年半が経ち、いま73歳。父の元首相・角栄氏譲りの声の調子とマシンガントークは健在だった。

「まずピッと来たのは、西山事件に似ているなと。女性問題へのすり替え。でも人間だれも完璧じゃない。これじゃ正論を言う人が出てこなくなる」

 西山事件とは、沖縄返還での日米両政府の密約を毎日新聞記者の西山太吉氏が暴き、国家機密を漏らすよう外務省女性事務官をそそのかしたとして1972年に逮捕され、有罪になった問題だ。起訴状に女性事務官と「情を通じ」と記され、世間の関心は男女問題へ移った。

 加計学園問題では、安倍首相の友人が理事長を務める学校法人の学部新設予定地を国家戦略特区に指定することを「総理のご意向」と記す文部科学省の内部文書が明らかに。その存在を前文科事務次官の前川喜平氏が証言する報道の3日前、前川氏の新宿・歌舞伎町の出会い系バーへの出入りを読売新聞が報じ、菅義偉官房長官が記者会見で批判した。

●首相に助言の勇者なし

 安倍首相は国会での野党の批判に、「私と付き合いがあったら特区に指定されないのか。おかしな話だ」「問題があると言う方が立証するのは当然」と反論。「今も半分自民党」と語る田中氏は、政権の劣化を嘆く。

「厚顔無恥、傲岸不遜(ごうがんふそん)。権力を得てゴリ押しがまかり通ってきた。今回は同じ手法は通らないと国民はわかっているのに、自民党議員は右向け右。“安倍はひどい”とこぼすベテランはいるけど助言する勇者はいない」

 首相は加計学園の件は民主党政権の検討結果を引き継いだとも述べるが、田中氏は「大臣当時に一切検討していない。文科省にも改めて確認した」。後任となった安倍内閣の下村博文氏への引き継ぎを否定する。

「政治主導」での混乱なら実は田中氏も負けていない。小泉内閣の外相当時は官僚と対立し9カ月で更迭。民主党の野田内閣では文科相に就任早々、「大学不認可」で騒動を起こした。

 文科省の審議会が認めた翌春開学予定の大学新設3件を不認可とし、唐突で混乱を招いたとして1週間で撤回、謝罪。だが、「時の首相のお友達の大学が認可されるような政治主導とは全く違う」と振り返る。

 就任直後のブリーフで事務方は、大学が乱立する中で当時発覚した巨額の負債や不正経理などの問題を強調していた。

「ところが3件も財政や運営で疑問があったのに認可のハンコを押せ押せと。少子化でやたら大学をつくって倒産したら社会へ出る学生はどうなるのと聞いても、決まったことだからと」

●でんと構えて支える

 ある幹部はかつて出向した自治体にある大学の認可だけ強く求めてきた。国会などでは自民党文教族から批判の嵐。

「自民党政権でずっとやってきたことなんだなと。それならこの際、認可の基準を明確に、手続きを透明にしようと有識者会議を立ち上げた」

 ほぼ同時に野田内閣が衆院を解散。敗れた選挙中も地元から戻って出たその会議は安倍内閣に引き継がれ、提言を出した。



「でも、加計の件では無視されたとしか思えない。教育行政が利権化しているから説明できない。教育には喜びや苦しみが詰まっていて、誰にとっても重いものなのに」

 その大学不認可騒動の収拾にあたったのが、当時文科省官房長だった前川氏だ。「でんと構えて支えてくれた。文教行政に非常に誇りを持っていた」と田中氏。加計問題での証言を「風穴を開けた。公益のためによくやってくれた」と振り返る。

「総理のご意向」の内部文書を松野博一文科相は当初、「確認できなかった」と説明。田中氏は、連絡を取り合う文科省幹部に冗談交じりに促していた。

「前川さんはルビコンを渡ったんだから。誰かが閣議後の大臣会見に飛び入りして、記者の前で『内部文書がありました』と手渡せばいいじゃない」

 その幹部は、「そんな知恵を出す者も、勇気がある者もいないんじゃないでしょうか」と言葉少なだったという。

 前川氏の証言を「責任者の時に堂々と言うべきでは」と批判した菅官房長官に、田中氏は「現役の時に言えるわけがない。全くアンフェアな主張で、いじめのようなものだ」と憤る。

 文科省は「国民の声」(松野氏)を理由に再調査。同じ内容の文書があったと15日に発表した。

●当選同期という因縁

 安倍氏と田中氏の因縁は深い。安倍氏の祖父岸信介氏、田中氏の父角栄氏は自民党でそれぞれ大派閥を率い、岸派の流れをくむ福田赳夫氏と角栄氏による70年代の激しい首相の座争いは「角福戦争」と呼ばれた。

 二人はそうした自身のルーツを強く意識する。自民党の長期政権が崩れた93年衆院選で初当選。激動する政界でともに将来の首相候補とも言われた。

「歴史認識が違うのよ」。44年生まれの田中氏はそのころ、社会保障の会議の席で、54年生まれの安倍氏とふと交わした「私語」を日記につけている。

 田中氏「日本が敗戦して」

 安倍氏「真紀子さん、今なんて言った?」

 田中氏「敗戦よ」

 安倍氏「あれ終戦なんだけど」

 田中氏「中国や東南アジアへの侵略戦争でしょ」

 安倍氏「違う違う。アジアを解放するために行ったんだ」

 十数年後の06年、首相になった安倍氏と、自民党を離れた田中氏が国会で火花を散らす。

 安倍氏「(初当選の)あの時、同期で田中さんこそ総理になるのではと印象を持っていた。就任した以上は日本を正しい方向に進めていきたい」

 田中氏「期待もありますが、失礼ながら子どもが大人の革靴を履いて道路に出て右へ右へと歩いていきそうな、危なっかしい印象を持つ人もいます」

●政治は私のDNA

 2度目の首相になっても何かにつけ「この道しかない」と語る安倍氏の姿勢を、田中氏は「単線」と表現する。

「トランプさんと似ている。わかりやすいから一定の支持者がいるけど、これだけグローバルでリアルタイムに世界が動く時代に一本調子は危うい。複線、複々線でないと」

 その危うさが、加計問題や森友問題での脇の甘さとして露呈したとして、安倍氏に「もう能力の限界」と退陣を勧める。

「第1次政権と合わせて5年半もやったんだし、辞めたらいい。トップが代われば風通しがよくなる。嫌なら即衆院を解散してほしい。民進党は相変わらずポップコーンがはじけたみたいで、すぐ代表選に出るとか、離党するとか、国民がうんざりするのはわかるけれど、自民党を大勝ちさせるとは思わない」

 ではその時、自身は。前回の14年衆院選で出馬を見送った新潟5区から再び出るのか。

「私ですか? 今は出ませんよ。忙しくて」

 東京の自宅に山積みの父の遺品を田中角栄記念館に展示する相談や、越後交通会長としての仕事で毎週新潟との間を往復。元文科相として子どもの貧困対策の「子ども食堂」に関わる。「主婦業で料理も作り、講演もあって結構充実してます」

 でも政界引退とは口に──。

「しません。私の最大の関心は政治。そういうDNAです。バッジをつけて国会議員や東京都知事や新潟県知事にならなくたって、やりたいことはできる」

 そして、笑いながら付け加えた。「わかんないでしょ、将来何が起こるか。明日死ぬかもしれないし。日本が突然大統領制になったら、選挙に“はーい”と出るかもしれませんよ」

(構成/朝日新聞専門記者・藤田直央)

※AERA 2017年6月26日号