masumiノート

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あれから3年・・ものは流れても心までは流れない

2014年07月02日 | ガソリンスタンド2

月刊ガソリンスタンド7月号の110、111ページです。

俺には夢がある!!
大津波でも「心までは流れない」
大震災の翌日 夢枕に立った亡き母に誓う 絶望からのSS再興

三浦石油・歌津SS
(人懐っこい笑顔の元気なSS社長さんの写真が載ってます)

宮城県南三陸町、歌津地区。
特に沿岸部に位置する当地で“大震災2日後”に、同SSは“再開”している。
“最低限のガレキを移動させただけ”の状態でどうやって再開したのだろうか。
また、どうしてその意気に至ったのか。
震災以降、たびたびメディアにも取り上げられる三浦社長の事が、本誌記者はどうしても気になり、今回の取材を申し込んだのだった。

「あれから3年以上経つしなぁ・・・。この店も去年の9月に“一応”建て直した。補助事業でね。どうだ綺麗なもんだろ?」

三浦社長は少しおどけた様子で話す。あまり「これまで」を話したくないのかも知れない。
しかしそうはいかない。「ありのままをお伝えしたいんです」と食い下がると、ジッとこちらを見て「話が長くなるよ。じゃあこっちへ」と事務室に通された。


「3.11の約3年前、修行に出ていた息子が帰ってきた。
『親父、SSの隣に本格的な塗装ブースを備えた板金工場を作ろう』って言うんだ。SS内で小さくやればいいんじゃないって言ったんだけど、片手間でなく全力でやりたい、と。しばらく悩んだけど、作ったよ、 工場。何千万の借金背負ったけど、SS活性化と息子の頑張りのためなら構わないってね。それで大津波が来て、全部消えてしまった」


これが被災SSの現実なのだと思うと「部外者」である記者は沈黙してしまった。

「俺の親父とお袋は、津波で流されて行方不明になった。親父の遺体がすぐ見つかったのは不幸中の幸いだった。
俺自身、津波が目の前まで来て、飲み込まれかけた。間一髪で息子の車に飛び乗って命を拾ったんだ」

「親父が始めたSS商売だ。俺も若い頃、親子だから喧嘩もしたけど、全部教えてもらった。親父だけじゃない。この地域全体が俺を育ててくれた。
例えば忙しくてメシを食う時間もなく灯油の配達に行くと、そこの家の主人が白メシに海苔をつけて、ポンと投げてくれる。
それが嬉しくて、美味しくて。町全体が温かく育ててくれたんだ」


そんな町が大津波で壊滅したのだ。心中察するに余りあるということだけを痛感した。

「震災翌日、命からがら弟の家に着いた。高台にあったから弟と家は無事で。
精根尽き果てて眠りにつくと、まだ行方の分からないお袋が夢に出てきて『助けて、助けて』って言うんだよ。苦しくて目が覚めた」続けてもう一度眠ると、今度は自分が10代20代の頃の風景が、本当に走馬灯のように流れた。

明治生まれのお婆ちゃんが飲ませてくれた「うんと甘い」コーヒー。さっきの「オニギリ」のことも。温かい皆の心。

再度目が覚めた時に俺は、心を鬼にした。
さっきのお袋の「助けて」は、この地域を助けろってことに違いない。
俺にできる事は、SSだ。
地下タンクに油は入っているはず。もし無事ならば手回しで給油できる。
すぐガレキの山に向かったよ」

「まだ自衛隊も来ていなかったから、せめて到着するまでは緊急車両に給油しようと。
当然、周辺SSはまだどこも再開できていない。
来る日も来る日も行列ができて、手の感覚がなくなるまで皆に給油した。もちろん無料でね」


「ある日、軽トラックが来た。『こういうの緊急車両ではないかもしれんが、なんとか給油してもらえんだろうか』って、すがるように頼まれた。
ブルーシートに覆われた荷台に、遺体が置かれていた。火葬場に行きたいのだと。
顔を見たら若い頃「オニギリ」をくれた、そのお爺さんだった。泣いた。いくらでも油持ってけ、早くお骨にしてやってくれ、と今度は俺がすがったよ」

そうやって一日一日、給油を続けた。
人が来ない日はなかったから「結局、今日まで続ける事になった」という。
いつまでなんて決めていない。せめて復興するまで。

「最終的には、お袋の遺体も見つかったんだ。発見された場所はなんと、弟の家のすぐ近くの、大きな杉の木の上。
なんだ、俺の夢枕に立った時、本当に見ててくれてたんじゃないか。本当に、近くで声をかけてくれてたんじゃないか」

三浦社長の目が赤くなった。


*****

三浦社長さん、ありがとうございます。
ガソリンスタンド社の記者さん、ありがとうございます。


2 コメント

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Unknown (暁天侍)
2014-07-02 18:34:24
ええ話やのぉ(T_T)
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暁天侍さん (masumi)
2014-07-03 10:12:20
はい。

あの時多くのSSマンが必死で働きましたよね。

泣けてきます。
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