どんなワザワイでも、シュウソク後は「元に戻る」と言うんじゃないの?
コロナ禍以前は、「元の生活に戻りたい」とか「戻ることを祈ってます」とか、そういう言葉がテレビから聞こえてきたと思うんだけど、
コロナ禍の場合、何故かとても早い段階から「ウィズコロナ」、なんていう言葉が使われ始めてて、
それに凄い違和感を感じてた。
「新しい生活様式」って検索すると、動画もいっぱいある。
手洗いうがいは良いよ。
マスクもケースバイケースでしたら良いよ。
フェイスシールドも好きにしたら良い。
でも、
お店で店員さんと会話するときは真正面に立ってはいけないとか、キャッシュレスで、とか。
商品について何か訊きたいことがことがあっても何となく遠慮しちゃうし、
支払いの時も、お金を差し出しているのにソッポ向いたまま目も合わせずに「そこに入れて下さい」ってつっけんどんに言われると、現金で払うと何か嫌がられている感じがする今日この頃。。
レジスタッフが年配の人ならまだそうでもないけど、若い人だとそんな感じがするのは気のせいかな?
これについてはコロナ禍以前から感じていたことだけど、コロナ禍で一気に強まった感がある。
感染を恐れる気持ちは理解できるし誰だって感染したくはない。
だけど、
何で「元の生活に戻る」ことはなくて、
ウィズコロナ、アフターコロナ、ポストコロナ なのか?
しかもその言葉がとても早い段階で言われていたことが引っ掛かる。
もちろん感染防止のために協力するのは吝かでないけれど、
それでもこのウィズコロナ、アフターコロナ、ポストコロナには危惧することがある。
一番危惧するのは、子供たちのこと。
自分の子供という意味じゃなくて、人類の宝ものの子供たち。
幼稚園や小学校で、給食やお弁当を食べる時、おともだちとおしゃべりもできないって?
密に人と接することなく成長することになる子供たち。
杞憂であれば良いけれど。
あぁそうか、やっぱりこれが一番だ。
Sくん、Sくん、Hくん、Fちゃん、Mくん、Sちゃん、それから、これから生まれてくるかも知れない孫たち
訪ねて来てくれたときにハグしたり、「どれどれ、どれだけ大きくなったかな~」と言いながら抱き上げて「おおーっ、重たくなったねぇ、大きくなったねえ!」って言ってあげたら、照れくさそうな、嬉しそうな顔を見せてくれる。
その顔を見る楽しみ。
それが、これからはもう、もしかしたら・・・
と考えるからだ。
私は、コロナ禍以前の「元の生活」に戻ることを希望します。
近所の牛丼店も最近i-Padでの注文に変わりましたが、先日高齢の方が使用方法が分からず(恐らくスマホを使ったことないと思われる)店員さん呼んで注文しようとしてバイトの人と一悶着ありました。
バイト「i-Padで注文するように変わりましたので、これで注文してください。口頭での注文は受けれません」
客「使い方が分からんから呼んでるんだ!これで注文できん人は来るなってことか?(怒)」
バイト「方式に変わったのでそういう事になります。そういう決まりなので」
客「もういい。もう二度と来んわ!(激怒)」
その後、責任者?が出てきて謝っていた(お代は要らないので食べて行って下さいと言ってた)ようですが、怒って帰られました。
確かにそういう方式かもしれませんが、i-Padが使えない人くらいは口頭で注文聞いてあげてもいいんじゃないか?と思いましたが、今の若いのって臨機応変に対応できないのでしょうかね?
脱線してすみません・・・余談でした。
想像できます。
平成は(間違った)「お客様は神様」でしたが、令和はその反動なのかと思うことがあります。
消費者は機械にしか相手にしてもらえないようになる・・・以前このブログにも書きましたがそれが現実味を帯びてきたように思います。
感染防止のためにマスクをして蜜を避けて成長したら、やはりそういうバイトくんみたいな大人になってしまう可能性があると思うんですよね(--;;;