Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

旧岩崎邸庭園

2024-05-10 14:28:38 | 国内旅行

旧古河庭園を出たら上中里駅から御徒町へ移動し、同じく都立文化財になっている旧岩崎邸庭園へ。
65歳以上はやはり半額、わずか200円を支払って正門からの坂を上がれば
 
ヤシの木の向こうに堂々たる洋館。
古河さんちは石造りで田舎のコテッジ風だったが、岩崎さんちはまさに貴族様のお屋敷。

 入口で渡される袋に靴を入れて玄関を入り、順路通り左手に行けば洋風の部屋が続く。

  
 
こちらのお屋敷は古河邸以上に細部が凝っていて
 各部屋の天井に

金唐革紙などを使った壁紙
 イギリスのミントン社製タイルのベランダから
 
暖房用パネルラジエーターまでなんとも贅沢。

   
2階へ上がる階段や扉のステンドグラスも素敵だけれど

部屋ごとにある暖炉の意匠がすべて違うのがすごい。

ちなみに暖炉の上など部屋ごとに花がいっぱい飾られているが、これはちょうど假屋崎省吾のイベントが開催されていたから。
 
サンルームにはお弟子さんたちの作品が飾られ、庭にある撞球室も假屋崎省吾に占拠されていた。

 
2階のベランダから芝のお庭を眺めたら玄関ロビーに戻って右手へ。

角を曲がるとがらっと雰囲気が変わって、廊下の先は和館。
  
 
あちらこちらに岩崎家の三菱の意匠があるというこちら
 中に売店とカフェがあるが、元々は洋館よりもはるかに大きな550坪もあって、普段の居住はこちらだったとのこと。
  
 純和風と純洋風が繋がっているのが面白いが、古河さんち同様、やっぱり畳の生活からは離れられなかったと見える。

和館は日本人の棟梁が建てたが、洋館は古河邸も手掛けたジョサイア・コンドルの設計。
 
古河邸の一室がコンドルの資料室になっていたが、それを見ていたらコンドルがお雇い外国人として来日し工部大学校の教授に就任した時まだ24歳だったと知って驚いた。

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」にも幕末に西洋医学を系統的に伝えたポンぺがまだ20代だったとあった。
意地の悪い言い方をすれば「未開国」日本にえらい先生方は来たがらず、若造の知識でも全くの白紙の日本人にはありがたかったということだろう。
今読んでいるアーネスト・サトウの回顧録にも開国したばかりの日本には無一文でやって来て一攫千金を狙う「ヨーロッパ人のクズ」が大勢いたとある。

そんな中、コンドル先生は日本人建築家を育てただけではなく、河鍋暁斎に師事して見事な日本画を描いたり、日本人の奥さんももらって死ぬまで日本で暮らした。
クズではない西洋人には白紙の日本は若くても存分に腕を振るえる夢のような国だったのかも。

 
門の三菱を確認して、岩崎邸を離れた。


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2 コメント

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Unknown (trintrin)
2024-05-11 10:48:53
本建物は一部修復工事の時に見学しました。
ご一緒した五反田もですが
やはりズボンだ!スカートだ!よりも
なれた着物でちゃぶ台に。
で楽に生活したんでしょうね。
当時は今よりも小柄な日本人たちが
建てる洋館はどこもサイズがかわいいです。
迎賓館も初めて見た時「ちっさ!」と叫びました。
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trintrin 様、 (Lunta)
2024-05-11 16:16:38
岩崎邸の立派な洋館も「迎賓館」で、年に何回も使わなかったみたいですね。
それはそれで贅沢だけれど。
日本に比べると欧米の宮殿はスケールがちがう。
ロシアのプーも体小さいのに巨大な宮殿で偉そうにしてますね。
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