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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~句集と序文~ (55)

2016年04月06日 | 俳人杉田久女(考)

句集出版などに無縁の私の様な者から見れば、これほど師、虚子の序文にこだわる久女の気持ちが最初は理解出来ませんでした。

虚子の序文で句集を飾ることで、自分の句集に箔をつけたいのかなと思い、久女って意外に権威主義の人かもしれないなどと思いました。

が、調べていくうちに、当時の俳句の世界では最初の句集を出版する時に師の序文を仰ぐのは、お墨付きというか、ごく普通のやり方のようで、ほとんどが師の序文で飾られています。

句と序文はセットになっていて、句集の紹介や俳句事典などでも句の作者と並んで序文の執筆者が明記されています。それほど句集と序文は一体のもののようです。

高浜虚子は多くの弟子の句集に序文を与えていて、序文の名手と呼ばれることもあった様です。この頃には昭和7年に山口誓子『凍港』、野村泊月『比叡』、昭和8年には富安風生『草の花』、昭和9年は山口青邨『雑草園』、西山泊雲『泊雲句集』、川端茅舎『川端茅舎句集』などに序文を書いています。
<高浜虚子 1874-1959>

多くの『ホトトギス』の作者達が、この様に師の序文を得て句集出版を果たしているので、同じ『ホトトギス』で育った久女も師の序文を仰ぎ、句集を飾りたいと考えるのはもっともなことでしょう。

そして昭和7、8、9年に三度の『ホトトギス』雑詠巻頭を得て、実力も充分な久女なので、虚子がすんなりと序文を書いてくれると信じていたと思います。ところが、そうはならず虚子の序文はなかなか得られませんでした。

それなら自分で序文を書くか、序文なしで出版してもいいのではと、私などは思いますが、虚子を誰よりも崇敬している久女にとって、師の序文なしの句集出版は考えられないことだったのでしょう。

師の序文なしで出版しても、『ホトトギス』の人々からは、師の許しも得ない勝手な句集出版とみなされ、結社以外の人々からは、弟子でありながら序文ももらえない立場なのかということになり、久女にとって師の序文が得られないということは、句集出版そのものが出来ないという事を意味していたようです。

門下の多くの弟子たちに序文を与えている虚子なのに、久女にだけは与えなかったことを、私は何だか非常に不自然に感じるのです。
 

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