杉田久女の俳句習作時代と呼べる期間は短く、俳句を始めてまだ4年目の大正8(1919)年に、初期の代表作と言われ人々によく知られた
「花衣 ぬぐや纏わる 紐いろいろ」
が誕生しています。この句は大正8(1919)年の『ホトトギス』6月号雑詠三席に入選した6句中の1句なのだそうです。8月号の「俳談会」の最初にこの句が取り上げられ、虚子や内藤鳴雪が句評をしています。
虚子の句評をみると、〈この句は女が花見に着た着物をぬぐ時の状態で、花を見る華やかな心持ちと一致して、まとわりつく色々の紐を興がり喜ぶのである〉〈こんな事実は女でなければ経験しがたいものでもあるし、観察しがたいところのものでもある。即ち此の句の如きは女の句として男子の模倣を許さぬ特別の位置に立っているものとして、認める次第である〉として高い評価を与えています。
現在、この句の句碑が当時久女が住んでいた家にほど近い、小倉北区の堺町公園に建てられています。
<花衣の句碑>
この句が誕生した頃、夫宇内の勤務する(旧)小倉中学の生徒の間では〈バネさんは家庭的に不遇なんだそうだ〉という噂が流れていた(バネさんというのは杉田宇内のあだ名)。さらに尾ひれが付いて、〈杉田先生は子供を連れて夕方の買い物に行っているとの評判もたっていた。生徒達はバネ先生を気の毒に思い、夫人に強い義憤を感じた〉と、これは久女関連の書物によくみられる記述です。そして、そのほとんどの書物で、これはその後しばしば現れてくる、いわゆる〈久女伝説〉の一典型だとしています。
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