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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~『ホトトギス』同人に~(57)

2016年05月12日 | 俳人杉田久女(考)

杉田久女は昭和9(1934)年6月に『ホトトギス』同人になりました。

久女が『ホトトギス』同人になった年月については、昭和7(1932)年1月と昭和9年6月の二説があるようですが、私は久女の長女昌子さん作製の久女年譜にある、昭和9年6月だと考えています。

昭和9年の5月に久女は3度目の『ホトトギス』雑詠巻頭を得ています。それは下の5句ででした。

      「雪颪(おろ)す 帆柱山冥(くら)し 官舎訪ふ」

      「生ひそめし 水草の波の 梳き来たり」

      「逆潮を のりきる船や 瀬戸の春」

      「磯菜摘む 行手いそがむ いざ子ども」

      「くゞり見る 松が根高し 春の雪」

(54)の記事で書いた様に、この年(昭和9年)の4月17日~28日に、久女は虚子に序文を懇願する為に再度の上京をしましたが、虚子は彼女に会うことさえせず、この時も序文を与えることをしなかったのです。この間の流れを書くと下の様になります。

昭和9年4月に虚子の序文を求めての再度の上京、虚子に会えず序文得られず
  ↓
5月に上の5句で3度目の『ホトトギス』雑詠巻頭を得る
  ↓
6月に『ホトトギス』同人になる

序文を書き与えることを絶対にしなかった弟子に、
なぜ虚子は雑詠巻頭を与え、更に同人にまでしたのか、ここのところが私には理解できません。私でもそうですから、久女にしても更に理解できず苦しんだのではと思います。

しかも、これから書いていきますが、わずか2年後の昭和11(1936)年10月に久女は同人を除名されるのです。非常に不思議な気がします。

見方によっては、同人にした時点で既に、虚子の心中に久女を同人除名する心づもりがあった様にも思えます。

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