たまに上手い表現を思いつくとうれしかったりする。(コクリコ坂から~そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない)
「そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない」
われながら たまには良いことを言うなぁと。
でも、そのよなことを言わしめるのは、素晴らしい表現者への憧れがあるから。
一昨年はその歌に感激してビデオを作ったり。
″ 空に終点はあるのかしら。夜が来て一日は終わるでしょ。″ 2011年の夏空から
その頃に愛聴していた曲をYouTubeで見つけました。
これも歌詞が素晴らしい。
これは自分に向けられたメッセージだって感じることってあるでしょ。
クルマの中でバッハを流してたら、同乗していた連れに、葬式でもあったか??って言われましたが、
ほの暗い調べのなかに豊潤があるように思えたりすることがある。
幾つもの昼と夜を越えて 幾つもの海と島を渡り
真の光を探し続け 彼の旅は未だ終わらず
京都あたりを歩くと、そうだ京都行こう的観光イメージではなく、幾つもの生き死にの物語の匂いを感じたりすることがある。
言葉が意味をなくした都に 隠された愛の言葉を探し
声なき声がすすり泣く 深き暗闇の路上を歩む
誰にとっても同じ現実があるわけではない
それぞれに それぞれの現実があって、それぞれの光景がある。美しい詩だ。
夜毎夜毎の炉辺ものがたり
懐かしき隠者の面影
輝かしかりしかの年月を 取り返すことあたわずとも
それを悲しむまいとして 彼の旅は未だ終わらず
旅人 (中文字幕)
″ それを悲しむまいとして "
なんと意気軒昂なフレーズなんだろ。生老病死、誰もが避けて通れぬ苦しみや悲しみを過ごす時に。
「もし君が若い時にパリで暮らすことができれば、残りの人生をどこで過ごそうと、パリの日々はいつも君と共にある。
なぜならパリは移動祝祭日なのだから」
ヘミングウェイの言葉を彷彿とさせる。
暖かい炉辺の日々は決して過ぎて流れ去ってしまうだけのものではなく、どこで何をしていようと自分について回る、そう思えたら素晴らしいではないか。
手嶌葵さんもカバーしたのが、QUEENの「手をとりあって」。
太陽の光も素晴らしいが、月の光も素晴らしい。陰翳礼讃、陰があってこそ際立つもの。
QUEEN 手をとりあって TEO TORRIATTE 本物映像コラボバージョン QP劇場
久々に手嶌葵ちゃんの歌声も、よかでした
謝々。
それを悲しむまいとして、
とあの声で歌われると、このひとはどうしてこんな深いところに降りてくるのだろうと思ってしまいます。