読書おぶろぐ

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マドンナ・ヴェルテ

2010年12月21日 20時53分10秒 | 医療 (医療小説含)

海堂 尊氏の作品。

本作品は、「代理母」がテエマとなつてゐる・・・・

海堂氏の作品は、第一作の「チーム・バチスタの栄光」からシリイズのやうになつてをり、諸処で同ぢ人物が断片的に出てくると言ふ流れになつてゐるが、本書は「極北クレイマー」を読んでから読むとわかりやすい。

また、本書の随分まえに書かれた海堂氏の別の著書にも本書の内容と繋がつた部分があるので、極めたい人は「チーム・バチスタの栄光」から順に刊行ごとに読むとよひ。

話は戻つて

産婦人科の医師となつた娘から、子宮が奇形で子供が産めないので代理母になつてくれと頼まれる主人公、山咲みどり。

「医師」として機械のやうな娘の対応に戸惑いつつ、娘かわいさに要望どおり代理母となることを承知する。しかし、「代理母」そのものが日本では法的に認められてゐないことを知る。さらに、子供の父であるはづの夫との関係に疑問を持つていくみどりは、子供を娘に渡さないと決心する・・・・

「代理母」 一言で言へば、子宮を貸す存在である。胎児の育成と出産までの間、自分の身体を貸すわけで、出産が終了したら何も関係は無い。諸外国ではすでに「ビジネス」となつてゐる。

日本の法律では、「出産した人が母」であり母が産んだ子供の遺伝子が産んだ人と何も関係なくても母となる。 しかし、医学的には親子のつながりは全く無い。

医師である娘と山咲みどりは、「娘の卵子と娘の夫の精子で受精した受精卵」を宿す「母」といふ関係となり、医学的の母親と産んだ実際の母親の関係の問題を描いていく。

子供が欲しいか否か、人それぞれの考へなのでだうでもいひ。代理母に関しても、個人的にはだうでもいひ。

「産まなければ母親」ではないのか?

代理母を否定する現行の日本の倫理委員会(?)に対する疑問の投げかけではないかと思ふ。



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